コーチングはアートなのか?

ラグビーワールドカップの日本代表の活躍を見て、あらためてエディー・ジョーンズヘッドコーチ(以下、エディさん)のことを知りたくなり、ネット上のいろんな情報を探したり、本を読んだりしている。

その中で、「ラグビー日本代表ヘッドコーチ エディー・ジョーンズとの対話 コーチングとは「信じること」」という本も読んだ。

読んでみて、全体としては「さすがにすごいな」と思わせられるところばかりであったが、1つだけ気になることがあった。

この本の中でエディさんは「コーチングとはアートである」と言っている。

気になるところはここだ。
細かく読んでいけば、コーチとしてすべきことをすべき時にあるべき形でやっているのが分かる。

実際にできているのは、日本代表の活躍を見ても間違いないところであるが、でもそれを「アート」と表現してしまうところにどうしても引っかかってしまう。

よく読めば、ルール化、明文化、数値化しづらい人間の「感情」に対応するときの方法の選び方や見極め方を「アート」としているのが分かる。

だが、これは、講師育成やコーチ育成で必ず伝えなければならないことだと私は考えており、伝える以上、「アート」ではいけないのだと思っている。

恐らくエディさんは他の指導者を育てた経験が少ないのではないかと思う。
多くの選手を育ててたときにしたように、指導者を育てるのであれば、自分で行っている「アート」を分析して「スキル」にしているだろうからだ。
私のような一介の研修講師が、ワールドクラスのエディさんについて何かを言うのはおこがましいのかもしれないが「コーチングはアートである」という言葉が一人歩きしないように願わずにはいられない。

「アート」を実現する「スキル」を持たない指導者が「センスがないから」という言葉で「スキル」を学ばないことを正当化してしまうような気がするからだ。
選手を含め人のやる気を引き出したり、自主性を引き出したりするときには、観察に基づく対象の把握と、どのような結果をもたらすかの予想が不可欠である。
もちろん、どのようにしたらよいのか、というアイデアを出す準備や手法のストックも欠かせない。

これらをスキル、知識として持ち、使いこなせれば、コーチングを知らない人からは「アート」もしくは「マジック」という呼ばれる成果が上がることがある。

だが、誰か特別な人しかできない「アート」でも「マジック」でもない。
違うのだ。

あくまでも、スキルだから、考え方を学び、自分を向上させ、必要な知識を身につければできるようになる。
もしそうでなければ、私が行っている講師育成研修などは意味がなくなってしまう。
この「スキル」と呼ぶべきものを「アート」と表現していること以外、エディさんは素晴らしい、と思う。

対象の分析、学ばせる内容の選択、学ばせ方の選択、学べる環境の構築、モニタリング、コミュニケーションができるコミュニティ作り、コミュニケーションスキルの向上、自主性を引き出し判断し動けるようにし、自信を持たせる。

すべて、コーチングの基本的な考え方であり、講師育成研修で伝えている、もしくは伝えようとしている内容である。
それを、世界レベルで実践しているということには、あらためて敬服する。
世界のエディさんと自分を比べることは、やはりおこがましいとは思うが、使っている道具は同じものであるのは間違いない。

私は私のフィールドでできるだけのことをやっていこうと思う。

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