研修に感動は必要なのか

今年もそろそろ新人研修の季節となる。
その準備のための講師の集まりが先日あった。

その後に飲み会があったのだが、その場の話で少し印象に残ったことがあった。

それはブライダル関係で働いたことがあるサブ講師の人が話していた「感動」に関する話である。
言うまでもなく、結婚式などでは感動を演出する。
ストーリー、言葉、画像などを使って、感動させる流れを作るのだ。
映画なども同じである。

一方、研修においては、「感動」というのは目的にはならない。
何かを学び、身につけることが目的なのだ。

ところが、講師の集まりの中で、研修にたずさわる方が「感動を生むには」という話をしていたらしい。
それに違和感があった、という話である。

その違和感はよく分かる。
研修の目的は感動ではないで、研修の現場で感動を生む必要などないのだから。

説明を聞き、作業をこなすような研修では、感動など起こり得ない。
淡々と研修が進み、終わったら「やっと終わった」と思うことだろう。

だが、実際には私がたずさわった長期の研修では必ず感動があった。

できないことを認識しそれを克服しようと必死になって努力する姿、努力し克服した姿、人を信頼する姿、信頼される姿、できなかったことができるようになった姿など、多くの感動がある。
その感動で、私が涙ぐむことも多いし、研修の最終日に泣いてくれる受講者もいる。

これは部活のスポーツなどから得られるような体験に近い。
毎日みんなで必死の努力をする中で絆ができ、感動が生まれる。

だから、研修においては感動は生むものではない。生まれるものなのだ。

感動が生まれるぐらい濃密な必死の時間を作れるか。
今年もチャレンジが始まる。

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