研修で学ぶこと

研修はなんのために行うのか、といえば、何かを学ぶためである。

通常は「○○研修」というタイトルが付き、もし「○○」が「コミュニケーション」であればコミュニケーションについて学ぶことになる。

だが、実際には、その研修に参加した人すべてが同じ事を学べるとは限らない。
というよりも、そうでないことの方がほとんどであろう。

例えば、コミュニケーション研修において伝え方を学ぶ場合、伝えるためにしなければならないことをちょっとあげてみると次のようになる。

1・言葉を選ぶ。
2・文章を適切な長さにする。
3・適切な早さで話す。
4・間を空ける。
5・などなど
注:順番はてきとうである

受講生の中には、1と2はできているが3ができていないとか、3と4はできているが1ができないとか、いろいろな人がいる。
1から4までだいたいできるが、もっとうまくなりたいと思っている人もいるだろう。

このようにスタート地点がちがう人がいれば、学ぶことがちがうのはあたりまえのことだ。
特に、新入社員研修のように、学ぶ内容が多岐にわたる場合にはさらに学ぶことの違いは大きくなる。
新入社員研修などの場合、最初のうち、講師の意向をとても気にする人がいたりする。
「講師が何を学ばせたいと思っているか」という「講師の意図」を気にする人がいるのだ。

そういう質問は、前述のような理由からあまり意味がない。

もちろん、最低限学んで欲しいことはある。
それについては、繰り返すことや、メッセージを発すること、課題の設定方法などによって担保することになるが、それ以外の部分は、自ら学ぶことを考えてもらわなければならないのだ。

だから受講生から「先生が言いたいのはこういうことですか?」というような質問が来た場合には、次のように答えることにしている。

「大切なのは、私が何を教えたいか、ではなく、君たちが何を学んだのか、です。」
とらえ方によっては、講師の逃げと言われるかもしれない。
学ぶ内容を受講生任せにしているからだ。

だが、受講生に理解を強制することができない以上、何を理解し、学ぶのかは受講生に委ねるしかない。
何を理解し、何を学ぶのかは、受講生が学びたいと思ったことに依存する。
だから、これ以外の方法はない。
それでも逃げていると言われる方は、次のように考えてみて欲しい。
教えるべき内容を説明し、理解させたつもりになっている研修は、より悪いのではないか、と。
ちなみに、これまでの研修講師人生の中で、上記のような考え方でやってきて「逃げてますね」と言われたことは一度もない。

それは、学ぶべき内容を学んだ上で、さらに多くの内容を自発的に学んでくれているからだろう。
ここ2年の新入社員研修は、座学ゼロを目指してきた。
カリキュラム内容が少し変わったのに対応したのもある。

来年の新入社員研修でも、新しい挑戦をしていきたい。
そして、学んでもらうべき内容を効率よく学んでもらい、それ以外にも少しでも多くの学びの機会を用意できるようにしていきたい。

新しい挑戦のキーワードは「自発性」になるだろう。

これまでの新入社員研修では「学ぶこと」は私が用意してきた。
今年は「何を学ばなければならないか」を新入社員に考えてもらう可能性を探ってみたい。

もちろん全て任せるわけにはいかないが、何を学ばなければならないのかを考える時間は、より多くの自発性を育ててくれることだろう。

2ヶ月間、そのような育て方をした時にどれほどの変化が見られるのか楽しみである。
しかし、きっと端から見た「放置している感」はさらに強くなってしまうに違いない。
ぱっと見、仕事をしているように見えないのは、それはそれでちょっと悩みなのであるが、論理的に考えて他に方法はない。

より多くの成果のためには、私が遊んでいるように見えるのは、あきらめるしかなさそうだ。

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