技術研修は座学ゼロの夢を見るか

「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」というSF小説がある。

フィリップ・K・ディックの作品で、映画「ブレードランナー」の原作である。

私の好きな作品の1つであるのだが、今回のタイトルはこの作品のタイトルのもじりである。
私の仕事のウェイトの多くを占める技術研修(特にIT企業の新入社員研修)であるが、昨年より「座学ゼロ」を目指す研修を実施している。

以前から、技術研修における座学については「必要悪」だと考えていた。
言うまでもないが、「悪」ではあるが「必要」だというのが「必要悪」の意味である。

でも、よく考えれば「必要」なものは「善」であるはずである。
「悪」なものは「不要」にできるはずだ。

なぜこんなことを考えたかというと、ある新入社員研修で、座学の間に涙目になる受講生がいたからだ。
理由を聞いてみると、眠いのを耐えるためにシャープペンシルで太ももを刺していた、という答が返ってきた。

起きていようとしてくれることはうれしい。
でも、技術研修なのに、起きていることに全力を使っている時間に意味はあるのか。

どう考えたって、そんなことに意味があるわけはない。
眠かったら寝て、目が覚めてから集中して聞けばいい。
そして、もっとよいのは眠くならない研修にすることなはずだ。

少し前にこんなサイトを見た。
「はじめて逆上がりが出来た女の子:成功後の一言が指導者を撃ち抜く」
http://shoichikasuo.hatenablog.com/entry/2014/11/22/121010

これと同じである。

よかれと思って教えているつもりなのだが、嫌なことを強いてるだけなのだ。
結局、その出来事で「技術研修では座学は必要悪だ」なんていうのも指導する側の勝手な思い込みなのだ、と気付いた。

それからは、どうやって座学を楽しくするか、また、短くするか、を一生懸命考えて実践した。
それは、ストーリーをきちんと作って伝えること、短く適切な本質を伝える説明を構築すること、使う言葉を適切に選ぶこと、などの形となっていった。

だが、どんなに少なくなっても「悪」が「善」に変わることはなかった。
できるのは「悪」をなくすことだけだったのだ。
昨年の研修の担当者の方が、私に素晴らしいチャンスをくださった。

研修時の雑談の折り「座学をなくす研修に挑戦してみたい」という話をしたら「やりたいことがあるなら、うちの社員で試してみてください。」と言ってくださったのだ。
なかなか言えることではないだろう。

もちろん「だめだったらちゃんとフォローしてくださいね」とは言われたが、そんなことは言わずもがなである。
こんなチャンスはなかなかない。
使わせてもらうしかない。

どうしたら座学をなくせるかを考えた。

見つけた手法は簡単なものだった。
中途半端に実践するとぐだぐだになる可能性があるので方法は書かないが、結果は素晴らしいものだった。

今までやってきた座学って何だったんだろう、なぜ座学を「必要悪」だとか言いながら実施してきてしまったのだろう。
そんな反省が浮かぶほど、座学ゼロの技術研修の密度は高くなった。

もちろん、結果も伴う。

座学ゼロ、は、技術研修でも夢ではない。
現実であり、効果も高い。

実際の効果を見た今は、このことを自信を持って言える。

座学しか方法がない、と思うときには、教えるべき内容への私の理解が足りないか、課題を考える努力が足りないか、使える時間が足りないか、のいずれかである。
それでも「座学がない技術研修なんてあるわけがない」と考えるのであれば、それはそれで仕方がない。
いかなる場合でもそうであるが、私には人の考えを強制的に変える力はない。

だが、もし興味を持ち、可能性を感じるのであれば、ぜひ挑戦して欲しいと思う。

facebook で「未来教育、育成チーム」というグループを作った。
https://www.facebook.com/groups/1511502422450217/

まだ作ったばかりで活動はしていないのだが、ここで「座学ゼロ」につながる学びの場作りについて実践につながる議論をしていきたいと考えている。
多くの「座学ゼロの技術研修」の夢を見る方と仲間になり、夢を現実に変える活動をしていきたい。

これからの日本のために。

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