教育再生実行会議

教育再生実行会議、というのが内閣に設置されている。

「21世紀の日本にふさわしい教育体制を構築し、教育の再生を実行に移していくため、内閣の最重要課題の一つとして教育改革を推進する必要があります。」

というのが設置理由である。

その教育再生会議が出している提言に「いじめの問題等への対応について」というものがある。

内容的には「こうあるべき論」がたくさん書かれているものである。

曰く。
「学校は、いじめられている子に対して、組織的体制により継続的にケアを実施し、守り抜く。いじめている子に対しては、段階的・継続的に教育的な指導を行うなど、責任を果たす。教育委員会は、問題の解決が図られるよう、学校及び教職員を全面的に支援する。保護者は、子どもの様子を注意深く見て、的確に助言するとともに、問題の解決が図られるまで、責任を持って子どもを見守る。」。

曰く。
「教員や部活動指導者は、部活動において勝利至上主義に陥ることなく、子どもの生涯全体を視野に入れて、発達段階に応じた心身の成長を促すことに留意する。」

曰く。
「国及び教育委員会は、部活動指導者の養成や教員研修において、体罰の禁止とともに、コーチングや各種のメンタルトレーニングなど、体罰や不適切な指導によらない適切な指導方法を体得できるよう徹底する。」

言っていることはどれも正しい、と私も思う。

だが、大事なことが抜けている。

「How」がない。
どのように、というのがないのだ。

どのように、という実現方法を抜きにして、こうあるべき論だけでは、おそらく変わらない。

「部活動において勝利至上主義に陥ることなく、子どもの生涯全体を視野に入れて・・・」などというのは、コーチングの基本的な考え方であるが、スポーツの分野でもなかなか実現が難しい。

それを学校の先生や親などにどのように身につけてもらうのか。

コーチングの理論を知るだけではできるようにならない。
逆に、コーチングを知っている、ということから、より独善的になる可能性さえある。

どのように正しい「育ての理論」を学び「育てのスキル」を身につけるのか。
そして、それを継続的に学び続けていくのか。

「こうあるべき」だけでは社会は変わらない。
変えるためには「どのようにして」が必要なのだ。

変えていくためには、学校教育のあり方から変えていかなければならないだろう。
そして、何年も何十年もかかる変化になるはずだ。

まずは、大学の教育にコーチングの理論学習だけではなく、徹底した訓練を取り入れ、コーチングによる育て方を実現できる教師を育成する。
新規教師を育成すると共に、既存教師にもコーチングを学ぶ機会を作る。
コーチングについては、継続的に学べる体制を整える。
育てることに主眼を置いた教育に対する啓蒙を行い、教職員以外にもそれを学ぶ機会を作る。
覚える教育から、考える教育へ転換し、できる教育者であれば、学習指導要綱に頼らない教育を行えるようにする。
不適格な教員については、教育現場から外すことができるようにする。

こんなことを続ければ「こうあるべき論」が現実になるかもしれない。

「教育は国家百年の大計」である。
「こうすべき論」だけで終わるのではなく、ぜひ実現のための方策を考えてもらいたいものである。

何度も言うが、具体策のない「こうあるべき論」では意味がないのだ。

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