私は、教えないで教える、という考え方を、ラグビーのコーチングから学び、ラグビーのコーチングはもちろん、私が実施している各種の研修にもその考え方を適用している。
先日、講師仲間に「教えないで教える、というのは哲学的」と言われたので、そうではない、というのを少し書いてみたい。
哲学が科学か、という問題についてはいろいろな意見があるだろうが、もし「教えないで教える」というのが禅問答のようなものだと考えるのであれば、それは違う。
「教えないで教える」というのは、きちんと裏付けのある科学だ。
まず、教えないで教える、というのは2つの言葉が矛盾しているように見えるので、哲学的、という評価をもらってしまうのは仕方がないと思う。
なので、まずは2つを分けて考えてみたい。
一つは「教えない」である。
これは「1から10まで全て手取り足取り教える事はしない」というように考えれば良い。
もっと簡単に、答えを教える事はしない、と言ってもよい。
技術でもなんでも「こうやるんだよ」とやり方を教えてしまうと、それ以上の発展をしにくくなる。
また、それにより「答えを待つ」姿勢を生み出すことにもつながってしまう。
教えるのではなく、一生懸命考える中で気づきを得て成長してもらうことを目的とする。
だから、まず、やり方や答えを「教えない」。
もう一つは「教える」である。
物事を学ばせるのであるから「なにも教えない」というのはあり得ない。
こちらが学んでもらいたいことを意図しているのだから、それを教えなければならない。
だが、やり方や答えは「教えない」のであるから、どうすれば「教えられるか」を考えなければならない。
その方法は簡単である。
学びたくさせればよい。
学びたいと思い、そのための環境があれば、人は勝手に学んでいく。
つまり、学びたいという気持ちを育て、学べる環境を作ることが「教える」なのである。
まとめるとこんな感じだろう。
「やり方や答えを教えずに、学びたいというモチベーションを与えて気づきを待ち、そのための環境とチャンスを作ること」
これが「教えないで教える」の意訳である。
自ら学ぶことは、高いモチベーションにつながり、効率の良い学びにつながる。
このことを、脳科学者の茂木健一郎氏が「育ての極意」という形で番組にしているが、これはスキルコーチングで言われていたことを改めて言っている感じである。
「NHK 育ての極意」
http://www.nhk.or.jp/professional/2009/0331/index.html
自ら学ぶこととモチベーションの関係は、心理学でも、脳科学でも明らかにされている、とても科学的なことである。
「教えないで教える」は禅問答でもないし、哲学的な問題でもない。
科学的に手法が明らかにされている、とても実用的なスキルである。
学べば誰でもできるようになる、育てるためのスキルである。
ただ、印象的な言葉で表現しているに過ぎない。