変われるものと、変われない人

昼食に「マルちゃん 正麺 塩味」というインスタントラーメンを食べた。

どなただったかは忘れたが「美味しい」という話をうかがっていたので、コンビニで見かけた折、購入してみたものだ。
商品自体の売りは「完成!生麺うまいまま製法」ということで、麺の食感らしい。

私はラーメンは好きだが、インスタントラーメンはほとんど食べない。
今回も何年ぶりか、に食べた気がする。

味は、普段店で食べているラーメンに及ぶべくもないし、生麺(風)とは言っても、乾麺であることは明白である。

だが、今回は少し驚いた。

袋の中に入っている乾麺の形が「丸い」のだ。

今までの私の知っている乾麺は袋の形のままの四角で、一部どんぶりで戻すようなものを除けば、丸い形の乾麺は見たことがなかった。

だが、丸い麺であれば、小さな鍋でも楽に調理ができる。
今まで、所定の量の水を入れて、四角い麺の上面が水に浸らずにいらいらした経験がある人なら分かってもらえると思うが、四角い形に鍋を合わせると、水の量との兼ね合いが難しい事が多かったりしたのだ。
でも、丸い麺なら、小さい鍋で、深い水の中で麺をゆでることができる。

素晴らしいユーザビリティである。

50年を越えるインスタントラーメンの歴史の中で、けっこう大きな出来事ではないかと思うのだが、これまで当たり前だと思ってきたことでも、まだまだ変化の可能性はあるんだな、と妙に感心してしまった。

話は変わるが、先日の研修の中で、多くの方が「変わりたい」「行動を意識したい」というアンケートを書いてくださった中で、一人だけ、「時間が長かった」「もっと短くして欲しい」という意見をいただいた。
もちろん、研修で常に100%の効果など望むのは無理なのだが、他の方に書いていただいた内容と比べると、どうも最初から「こんなことしても無駄」という意識を持って参加されているのではないかと感じられてしまった。
自分を振り返ってみることが研修の主な内容であり、参加されたある指導者の方は「楽しかったのですが、ぐさぐさきました」と言ってくれている。
それが「早く終わって欲しい」という感想になっているのだから、あながち私の思い込みでもないだろう。
もちろんその意識を替えられなかった私の力不足は反省しなければならないが、最初から反感を持ってこられている人の意識を変えるのは、実のところなかなか難しい。

この方は指導者であると思われるが、自分の指導の形によっぽどの自信があるか、それを揺すぶられるのがいやで避けていたか、ではないかと思われる。
これまでも指導者の指導をする中で、そのようなシーンはたくさん見てきた。

また、先日、仕事関係の打ち合わせをしている中で「新人研修には奇抜な提案は受け入れてもらえません」という話を聞いた。
私の研修は、決して奇抜なわけではないのだが、学校のように伝統的な「教える」教育をするわけではないので、奇抜、ととらえる人もいるのかもしれないと思って聞いていた。

新人研修で冒険をしづらいというのは理解できる。

ある研修会社では30日程度の研修で一人当たり60万円、という話を聞いたことがあるし、他には一日に100万円を越える金額を請求したりするところもあるらしい(うちの数倍である)。
新入社員が20人もいれば、1200万円から3000万円という、大きな金額がかかるのであるから、昨年実施して評価も済んでいる研修を実施したい、と考えるのは、研修の担当者として当たり前の事であろう。

さらに、研修では講師の個人の資質がやはりどうしても重要になるので、大きな問題がなければ、前回お願いした講師で、というオーダーが付くのも当たり前のことなのだろう。

そして結局、始めたときのまま、ずっと同じ形の研修が続いていくことになる。

だが、考えて欲しい。

同じ金額をかけて(私のところならもっと安いが)より良い教育をしないのであれば、その効果の差分を毎年捨てているのと同じなのではないだろうか。
同じお金を使うなら、より効果の高いものを目指すのが、本来の姿なのではないだろうか。

インスタントラーメンの50年続く歴史の中でも、まだまだ変化を起こそうという動きがあるのに、「学ぶことをやめたら教える事もやめなければならない」とまで言われる指導する人間の意識は変わっていかない。

変わっていけるものと、変われない人。

変化を恐れて、よりよいものから目を背ける人は、ひょっとしたらインスタントラーメンに負けているのかもしれない、とラーメンをすすりながら考えた次第である。

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