私の適性

いくつかの会社に営業に回っているのだが、ここのところはっきりしてきたことがある。

1つは
「私は大きな研修会社には向かない講師である」
ということだ。

決められたカリキュラムを、決められた手順で実施しするのが、大きな研修会社の基本的な研修の進め方である。
それから大きく外れることは、企業としてサービスを保証できないことになるのだ。

この考え方も理解できる。
多くの講師を確保しながら講習を行う場合には、同じ講習メニューであれば、同じ品質でなければ提供しづらいはずだからである。

私の考え方は違う。
同じ講習メニューであっても、受講者が変われば学ぶ内容は違ってくるだろうし、学ぶ内容が同じでも効率的に学ぶ方法は変わってくるだろうし、同じ方法で学んでもらっても結果が変わってくるはずなのだ。

だから、学ぶ内容をしっかり理解した上で、受講者に合わせて最大限の効率を上げられる講習を行いたい。

この考え方が、誰にでも同じように教える事を目指すやり方とは相性が悪いのは、明らかである。

ベストではないにしても、ビジネスとして安定したサービスを提供することは、それはそれで大切な事である。

だが、本当は、ベストを目指せる講師を育てるべきではないかと思う。
簡単ではないだろう。
実際に私が面接などに行くと、ちゃんと説明ができさえすれば、本当の意味での講師のスキルはあまり重視されない、という雰囲気が伝わってくる。そもそも、そんなことは聞かれもしないことも多い。
講師のスキルというものに期待をしていないのだろう。

私が考えるベストな研修会社とは次のようなものである。
・カリキュラムは基本的にオーダーメイド。
・カリキュラムを実施すること、ではなく、最終的な成果を重視する。
・講師を育てることを重視する。

結果的に大きな研修会社には向かないことになってしまう。

もう一つは
「技術研修のみを行う会社とは相性が悪い」
である。

技術講習がメインの場合は、専門知識があることが前提とされ、講師スキルは二の次になる。
「ちゃんと説明ができればよい」というレベルであることが多い。
そうすると「講師スキル」などというものは、下手をすると存在さえ意識されていないことがある。

実際にはきちんとした資料さえあれば、教える内容を知っているよりも、教え方を知っている方が、はるかにまともな講習ができる。
講師が知らなくても教える事ができるのだ。

もっとも、全く知らなければ論外であるが、ちゃんと育てれば、受講生が講師を超えてもよいのである。
逆に、教える人を超えられないのであれば、育てているとは言えまい。

もし教える人の範囲でしか学べないのであれば、イチローのコーチは存在できないことになるが、そんなことはない。
イチローのコーチは、イチローと同じようにはできなくても、観察し、分析し、課題を設定できる力を持っているのだろう。だから、イチローをさらに育てることができる。

同じ事が講師にも言える。

IT技術の技術知識についても自信がないわけではないが、それよりは、コミュニケーションスキルを始めとする講師スキルの方が、私のスキルとして重要なものであると自分では思っている。
講師経験者に対して講師講習を行え、それで好評を得ていることからも、それなりに通用するスキルであると思っている。

どうやら、受講生のことを第一に考え、受講生の満足度を通してビジネスにつなげていきたい、そんな会社でなければ、私のような講師は相手にしてもらえないようである。

コメントを残す