少年ラグビーのコーチ

ラグビーワールドカップにおいて、日本代表が南アフリカに勝ったことによって、一気にラグビーへの関心が高まった。

南アフリカ戦の戦いを見て心が震えた人も多いだろう。
私も涙なくしては見られないゲームだった。

あのゲームを見、エディ/ジョーンズヘッドコーチのさまざまな発言を聞く中で、あらためて、ラグビースクールでのコーチングについて考えた。

小学生、中学生が対象のラグビースクールにおいては、そこで勝つことがゴールではない、ということを分かっていないコーチが多い。
もしくは分かっていても、そのゲームにコーチとして勝ちたい自分を抑えられない場合もある。
そういう人は、例えばトーナメント戦で負けると腹が立つ。
勝てばいい指導をしたからだ、と思う。

逆である。

負けたらそれは子どもの力を引き出しきれない指導者の問題をまず考えるべきである。腹を立てて怒るなどは、子供立ちに責任を転嫁しようとしてるだけである。
勝ったら、それは子供立ちが頑張ったからである。

また、ある年代、特に小学生、中学生に対して、どのような能力を育てるべきなのか、ということも考えずに、自分の知っている(決してベストではない)ラグビーの形を、そのまま子どもにやらせて満足し、できなければ怒るコーチもまた多い。

育てるべき能力が分からなければ、それを育てるための方法も分からない。
だから、自分がやらされてきた練習メニューを子供たちにもやらせる。

子供たちにとってはいい迷惑である。
少年ラグビースクールのコーチの役割は、それほど難しいことではない。
担当する少年少女の人生が少しでも良いものになるように、運動能力、考える力、コミュニケーション能力などの基本的な力を育てることである。
そしてその延長として、例えば世界で戦えるスポーツ選手などの人材となれる基礎と可能性を作ることである。

それ以外の役割も目的もない。

コーチの役割は、決して、そのコーチの持つ中途半端なラグビーの知識で知ったかぶりをしてラグビーの形を教えることではない。
それでは基礎を作るどころか、子どもが持つ可能性を潰すだけだ。
子どもの成長に関わるコーチは、その子どもの人生に責任を持つことになる。

コーチはその責任を自覚し、育て方を学び、実践できるように訓練しなければならない。
これは、人を育てる、という作業をするものにとっての義務だと考えなければならない。

ちょっとラグビーを知っているから、昔プレイヤーだったから、ということだけでコーチをしていてはいけない。
過去にどれほど素晴らしい選手であったとしても、子どもの将来に対して責任を持つために、育て方を学ぶ事は義務なのだ。

具体的な方法論を折に触れて示していこうと思うが、読んで知るだけでは変わることは難しい。
考え、気づくことでしか人は変われない。

ぜひきちんとした知識を学び、現場で実践し、振り返りを行ってほしい。

最後に繰り返しておきたい。

コーチの役割は、今、自分がしたいことをすることではない。
子どもの将来のためになることをすることだ。
そのためには育て方を学ばなければならない。

これだけは忘れてはいけない。

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