大事なことは論理的に考えようよ

川内原発の再開の議論のニュースが流れている中で、おかしいな、と思えることがいくつか(いくつも?)あるので、少し疑問を呈すなどしておきたい。

宮沢経産相が「万一事故が起きた場合は、国が責任を持って対処すると約束する」と言ったと伝えられている。
ただ、その宮沢経産相は「せんだい」ではなく、「かわうち」と読んでいたという恐ろしく初歩的なミスもしている。単なる言い間違えなのかもしれないが、意識の低さを露呈している、というのも、あながち間違いではないだろう。
それに、そもそも、福島の原発の対処ができているか、という問題もある。

何を意図して「責任を持って対処する」と言っているのかわからないが、少なくとも福島で避難している人がちゃんと自分の土地に戻れるようにできてから言うべき言葉なのではないだろうか。

発言全体に、何かを論理的に考えたとは思えない軽さが感じられる。
約束する、と言っているのだが、具体的に何をするのかがちっとも分からない。
『原子力規制委員会の田中俊一委員長は7月、川内原発の審査書案を公表した後の会見で「安全だということは申し上げません」と発言。原子力規制庁も「100%安全とは言えない」との見解を地元での説明会などで示してきた。』

これは科学に基づいた判断であり、そもそも100%安全と言っていた福島原発があのような事故を起こしたのだから、100%安全などという言い方ができないのはあたりまえである。

にもかかわらず、

『安全性について会見で問われた岩切市長は「福島で起きた津波や地震、原発事故に対応するのは十分、100%と言っていいと私は信じている」。
台風や地震、火山の噴火が同時に発生するような規制委の想定を上回る複合災害の危険性については、「現段階では考えることはない」と話した。』

だそうだ。

100%と言う根拠が「信じている」というのは、どういう頭から出てくるのか不思議でさえある。

さらにまた想定を上回ることは考えなくてもよいらしい。
事故が起きたら「想定外だったから仕方がない」とでも言うのだろう。
まったく進歩がない。

「現段階では」と付け足しているが、現段階以外のいつにそれを考えるのだろう。
火山の噴火の影響は、予兆があれば燃料棒を運び出すなどする、でOKになったらしい。
御嶽山の噴火もそうだが、火山の噴火に関してはまだまだ分からないことがある。

火山学者が以下のように言っている。

『小山教授は大会の講演で、審査で焦点となった巨大噴火の予測について、「現代火山学はほとんど知見を持っていない」などと説明。規制委は監視を強化すれば前兆の把握は可能と判断したが、「楽観的過ぎる」と指摘し、噴火の数年前に予測することは不可能との見方を示した。』

燃料棒の運び出しには数年単位の時間がかかるそうである。
数年前に噴火の予兆を確実にとらえなければ、大規模噴火の際に打つ手がないということだ。
予兆を確実にとらえる方法はないと学者が言っているのにもかかわらず、それを元に燃料棒を運び出すことでOKとなっているのだ。
科学軽視以外の何物でもない。
なぜ政治家の話には、こんなに「論理性」がないのだろう。

小学生に説明したって「おかしい」と言うに違いない論理(?)を強弁して押し切り、いざ問題が起きれば「想定外」と言い捨て誰も責任を取らない。

論理的に安全に対して科学的に強く主張すると思っていた原子力規制委員会も、そうではないところがちらほら見えてきた。
経済や、国防などなど、さまざまな理由から原発を動かしたい人達がいるのは理解できる。
だが、説明するのに、せめて理解ができるぐらいの言葉は使って欲しいものである。

今のままでは、小学生を納得させることさえ難しい。
ましてや全国民を「安全」と納得させるのは、どう考えても無理だ。
政治家の話を聞けば聞くほど、怪しいものに思えてくる。
原発が絶対だめ、とは思っていない。

だが、被害が起きて、それを人が制御できず、多くの人が不幸になるのなら、それは使わない方がよい技術なのだろうと思う。

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