林檎の行方

日本の文化の一つの大切な要素は「雅(みやび)」である、と私は思っている。
同じことをするのにも、ただ「する」だけではなくそこに上品さ、優雅さを求める。
茶道もそうだし、華道もそうだろう。

iPhoneというか、Appleの製品には、その「雅」な感じがたくさんある。
どうせ道具なのだから、したいことができさえすればいいじゃないか、ではないのだ。

できればいいじゃないか、で作られてきたのが、WindowsでありAndroidだと思っている。

日本ではできるかどうかだけではなくて、上品に、優雅にできることに意味を見いだす人が多いのだろう。
昔からAppleの製品のシェアが高いのは、そんなところに原因があるのではないかと思う。

今度出た iPhone6 plus はそのあたりの「雅」を捨て始めたような気がする。電話をするのに片手で苦労はしたくない。
両手でなければ扱えない端末は電話ではない。タブレットだ。

上品で、スマートで、雅であること。
そのためには、多くのブログラマが苦労するのも厭わないし、安易に流行に乗ることもしない。

Appleの魅力は、網羅ではなく、意志を持った集中だと、私は思っている。

今の状況は、以前ジョブズが抜けた後、節操なく機種を増やして落ちていった頃に重なるように思える。

ジョブズがいなくなった後、これからのAppleはどこに向かうのだろう。

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