昨日、ラグビースクールのコーチ同士の新年会があった。
さまざまなことを話している間に、当然ながら、幾つもの言葉と出会ったのだが、その中で一つ、とても気に入った言葉があった。
表題とした「やわらかい実感」という言葉である。
この言葉を発した方は、別種目ではあるが、大学や高校での指導経験がある方で、その経験の後にラグビースクールでコーチングを学び、その後、また高校生を指導したときに、ラグビースクールでの指導の正しさのようなものを、「やわらかい実感」をもって感じたそうである。
このコーチは、グラウンドであまりきれいな言葉使いではない。乱暴な言葉ではあるのだが、「なんだ、このやろー」と言いながらにやりとしたりするので子供達はついていく。
このコーチの現場でのコーチング技術はとても高く、私も参考にさせてもらっている。
体系化されていないのかもしれないが、気持ちをつかむ基本はきちんとできているし、練習中の観察も指摘のタイミングも、メニューの展開のしかたも見事である。
恐らく、ラグビースクールでコーチとなる前にも、多くの試行錯誤と訓練を繰り返してきたのだろう。
そのような経験をし、コーチングを学ぶことで「やわらかい実感」を得る。
「あぁ、こういうことだったんだな」
という感じなのだろう。
他の先輩コーチとも、その感覚は分かるよね、という話をした。
コーチングの目指すところが腑に落ちた瞬間なのだ。
知る、と、理解する、の間は不連続である。
知る、と、理解する、の間には溝がある。
きっと「やわらかい実感」はその溝にかけられた光る橋なのだろう。