空欄を使う力

研修の対象になるものは、二つある。

一つはプログラミング能力のように、動く、動かない、で結果を判定できる正解のあるもの。

もう一つは、コミュニケーションスキルのように、それが正しい、という本質的な正解がないものである。

正解のあるものは、比較的教えやすい。

極端な話、資料を用意し、演習問題をやってもらい、正解を与えておくだけで、本人に学びたい気持ちがあれば勝手に進んでいってくれる。
受講生に「学びたい気持ち」を持たせることができれば、それで研修の目的を達することができたりもする。
より効率のよい学びのためには、いろいろと工夫ができるが、基本はそれだけでよい。

だが、正解がないものはなかなか大変だ。

まず、何を学んでもらうべきか考えなければならない。
そもそも正解がないのだから、学んでもらうもの、というのを考えるだけで一苦労である。
どうやって学ぶか、というのも悩ましい。
知識だけの問題ではなく、考える力、判断する力を育てる必要があるので、単純に演習問題をやらせて答合わせをすればよい、というものでもない。

さらに、出てきた答えに対してのコメント力も求められる。
答がないものに対するコメントなので、けっこうたいへんである。

このように答がないものを教えるときには、何を学んでもらいたいか、についてきちんとした意識を持ち、伝えたい内容とその周りのことに対して自分の基準がないと研修も進められないし、コメントもできなくなってしまう。

世に存在する研修では、正解のないものに対して、仮の正解を決め、正解のある研修にしてしまっているものがある。
例えばコミュニケーションに関する研修で、ロールプレイをベースとした設問に対して4択で答えさせるようなものだ。
だが、それでは残念ながらコミュニケーションの力は身につかない。

大切なのは、その状態を自分で観察し、判断し、対応の仕方を考える力であり、正解を探す力ではないからだ。

正解がないのだから、ロールプレイであれば自分で対応を考えて記述するべきなのである。
力をつけるためには、そのための「空欄」が必須なのだ。

前述のように「空欄」を作ると、講師の側の対応能力が問われる。
正解がないことがらに対して、コメントをしなければならないのだから。

だが、本当の学びのためには「空欄」を扱う力が講師には欠かせない。
正解のないものに対する研修を実施する講師には、「空欄」を扱える力を身につけてもらうしかないのだ。

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