のに、を忘れる

私は意思が弱く、何かをしたい、と思ってもなかなかできるようにはならない。

ダイエットしかり、規則正しい生活しかり、である。

そんな私であるが、最近、少しできるようになったかな、と思えることがある。

それは、「のに、を忘れる」ということである。

のに、というのは、言葉である。
例えばこう使う。

「私がこんなに可愛がってあげたのに。」
「私はこんなにがんばったのに。」

そして、こんな形で続いていく。

「あいつはぜんぜんいうことを聞かない。」
「だれも認めてくれない。」

つまり、自分のしたこと付けると、とたんに不満を言っているようになってしまう魔法の言葉である。

もちろん、こんなことは口に出しては言わないのだが、ついつい思って、考えてしまう。

「あれもこれもやったのに・・・・」
「私のやってることは素晴らしいことなのに・・・・」

これでは、どんなに何かをがんばっても、なんらかの報酬を求めていたり、特に、勝手に期待した報酬が得られなくて不満を持ってたりするように思えてしまう。

そしてこんな言葉になってしまう。

「私がこんなに可愛がってあげたのに、あいつはぜんぜんいうことを聞かない。だからあいつは嫌いだ。」
「私はこんなにがんばったのに、誰も認めてくれない。だからこの会社はだめなんだ。」

本当にそうなのかもしれないが、多くの場合、単なる自己中心的な考えであろう。

そんなふうに考えた時に、「のに」を使わなければよいのではないかと考えた。
それが「のに、を忘れる」である。

自分が「のに」を使っていることに気付けるようになって、使わずに考えられるようになるまでにはそれなりの時間がかかった。
だが、それができるようになってくると、不満を自分の中に作らずにすむためか、心なしか心が軽くなったような気さえするから不思議なものである。

これからもずっと「のに」を忘れ続けていきたい。

年齢を重ねて様々なことを忘れやすくなっているのだが、この「のに」は歳をとっても油断をするとすぐに思い出してしまいそうである。
これからも続けて、忘れることを忘れないようにがんばりたい。

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