Stay hungry, stay foolish.

「ハングリーであれ、馬鹿であれ」

スティーブ・ジョブズのスタンフォード大学でのスピーチの締めくくりのメッセージである。

圧倒的なエネルギーを持って、創造的破壊を繰り返したジョブズに比べられたら怒られそうであるが、私も見習いたいものである。

私にとっての創造的破壊、とはどのようなものだろうか。

私のような、受講生の最善のために独自に判断し動くような講師は、実際のところ、一般的な研修会社とは相性が悪いことが多い。
講師として応募しても、方針が違いますね、と言われて断られたことも、一度や二度ではない。

事情はわかる。

講師のスキルに依存した研修となると、同じ研修を他の場所でも実施しようと思えば、その講師しか使えないというのはリスクになる。研修会社としては、誰がやっても同じ研修を実施できるようにしておきたい、というのだ。カリキュラムを売るには、それが必要だからだ。
本筋からいえば、講師をしっかり育てることで実現すべきであると思うのだが、かかるコストの問題や、安定した需要が年間を通してあるわけではないなどの研修業界特有の問題などで、それがまた難しいことであるのもわかる。

しかし、教育というのは「人」に依存した仕事である。
教える内容を知っていても、教え方、伝え方、育て方を知っていないと、本来の目的を果たすことはできないし、なにより心理が学ぶことに深く関わる以上、それに対応できる「人」がいなければ効率的な学びは実現できない。

それをよく知っているのが、同じ教育関係の学習塾業界であろう。
テレビの広告にまで講師を出し、その講師の特徴を売り込んでいる。
そして進学率なども競い合い、かけたコスト分だけ、成果が出ますよ、と宣伝している。

それほど遠くない将来に、企業研修の世界も、コストと成果をきちんと評価し、とりあえずやった、という研修から、やった結果こう変わった、という方向に向かうだろう。

研修がおわった時に「期待していなかったんけど、出てよかったです。」と言われることも多い。

でも、おかしいと思わないのだろうか?

お金を払って研修をするのであるから、払った分の成果があって当たり前なのではないだろうか?
テレビを買う時に「映らないだろうが、映ったらラッキー」とは誰も考えないだろうが、研修に期待しないのは、映らないテレビを買おうとすることに等しいのではないだろうか。
映ることではなく、テレビを買うことが目的というのはおかしい話である。

テレビを買うのは目的ではなく、映し出された番組を見て楽しむことであるはずだ。
研修をするのが目的ではなく、研修で成長しその後の生活に、仕事がよりよいものになることが目的でなければならない。

期待されない研修ではなく、期待される研修とし、期待された以上の成果を出せる講師になりたいと思う私はへんなのだろうか?

このような話をしていたら、先日知り合った方から「『本物』を広めるのは大変なんですね。」という言葉をいただいた。
非常にうれしい言葉である。

「本物」であることを目指し、努力を続けていきたいと、あらためて思った。

学習塾業界も、どれだけ教えないかに工夫を凝らしている、というニュースも最近あった。
考える力を育てるために、だそうだ。

今の時代、人を育てようと思えば、そこに行き着くのだ。

考える力を養うことが、成長のための早道であるとともに、今、求められている人材を育てるのに必要不可欠な方法なのだ。
「教えないで教える」ことが育てるために大切なのことなのだ。

こんな私だが、私を理解していただいた上で、毎年仕事をいただける研修会社もある。
担当者にはきっと胃が痛くなる思いをさせていることと思うが、感謝している。

私にとっての創造的破壊、というのは、映らないテレビを買おうとする価値観を壊すところから始まるのかもしれない。

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