スティーブ・ジョブズに捧ぐ

中学生の頃、読んでいたコンピュータ系の雑誌で、Apple II を見た。
8bitの6502を搭載したマシンで、今から見るとオモチャ以下のレベルではあるが、グラフィックを使えた。
VisiCalc という初めてのパソコン向け表計算ソフトが動き、なによりおしゃれだった。
カードスロットも搭載し、さまざまなカードで拡張もできた。

高校の間に、Lisa が出た。
おしゃれな名前だった。
名古屋のコンピュータショップでさわってみたことは覚えている。

高校を出る頃に Macintosh が出た。
一つしかボタンがないマウスをさわり、画面に開く窓を見た。

社会人になってしばらくして、会社の上司が Macintosh Plus を買ってきた。
自分にはとても買えない値段のその一体型のコンピュータをさわって感動した。
窓が開き、見たまま印刷できる。
フォントもいくつも使え、文字を打たなければキーボードが無いことを忘れる。
そんな機械だった。
それまで、MS-DOSやCP/Mなど文字の世界だけでコンピュータに触れていた者には衝撃だった。
ちょっとさわっただけでは、ふーん、と思うだけだったGUIは使い込むと手放せなくなる魅力があった。

少ししてお金を貯めて MacintoshIIcxを買った。
しばらく事務系のメインマシンだった。
Windowsはまだまともに使えるような代物ではなかった。

雑誌に載る NeXT のコンピュータの先進性に胸をときめかせたのもこの頃か。
「使ってるけどいいよ」という知り合いの言葉を、今でもうらやましいと思いながら思い出す。

携帯用は PowerBook550c である。
その前には PowerBook540 を持っていた。
遅かったが、ネットワークにつなぐのが便利だった。
最初のころは、Windowsはネットワークスタックを持っていなかった。
個人に解放されたネットワークに接続するのは、主にMacだった。

IIcx が遅くなって、Quadra800を買った。
どれだけ使い込んだろうか。
予算が許すだけメモリも積み、ハードディスクも何度か交換した。
CPUボードもアップグレードした。
ただ、徐々に Windows の優勢が明確になり、仕事上も Windows が必要になり、徐々に Windows にマシンも移っていった。

ずっと Windows マシンをメインに使っているにも関わらず、今、私の手元には、MacMini、iPad、iPod Touch とApple製品、ジョブズの子供達がいる。
押し入れの奥には、中古で買った Macintosh Plus も捨てられずにひっそりとしまってある。

GUI、洗練されたマニュアルや包装、こだわりのある、芯が通ったデザイン、こだわりのある点では、妥協のない仕様と技術、そんなものが私の知っている Apple 製品の魅力である。

Apple の製品は常に使う人を見てきた。
Apple の製品は機械ではなく道具だった。

一度 Apple から首を切られ、復活して戻ってきたとき、ジョブズは名実共に世界のコンピュータのビジョンを作るカリスマになったような気がする。

それから後のAppleは凄かった。
ときめく道具をたくさん見せてくれた。
iMac しかり、iPod しかり、iPad しかり、Macintosh ももちろんである。キーボードのデザインでさえ、Appleが引っ張っている。

そんなふうに、Apple II からずっと、世界のコンピュータの歴史を作り続けてきたジョブズが亡くなった。

私が Apple の製品を買うときには、ずっとスティーブ・ジョブズの語る夢を買ってきた。
今は、そんなふうに思える。

これから、彼のように未来の夢を形にして見せてくれる人は出てくるのだろうか?
彼のように芯の通った、未来の夢を見せてくれる人が。

夢を追って走り続けて、若くして亡くなったスティーブ・ジョブズのイメージは坂本龍馬にも重なる。

世界に進歩と夢を送り続けてくれたスティーブ・ジョブズに心から感謝したい。
走り続けてきた彼に、安らかな眠りが訪れることを、心から祈りたい。

そして、Apple の夢が現実に押し流されることに抵抗できる人が、Apple を継いでくれることを心から祈りたい。
Apple の力は、機械を作る力ではなくて、夢と未来を作る力なのだから。

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