Archive for 2011年10月7日

Takanori

私の研修・セミナーの特徴

私が実施するセミナーや研修は幅広い。

IT技術研修
IT技術系新人研修
一般新人研修
管理職研修
社内講師研修
講師研修
コミュニケーション研修
コーチング研修 など
上記に関わるセミナー類

さらに、コミュニケーション研修と一言で言っても、IT技術者向け、管理職向けなど、さまざまな目的ごとに細分化することもできる。

これは私の研修の中心には「人を育てる」「コミュニケーション」「IT技術」「コーチング」という4つの柱があるためで、これらでカバーできる範囲はとても広い。
加えて、これらを組み合わせてカリキュラム化するスキルも柱の一つと言ってよいかもしれない。

IT企業系の新人研修では、これらすべてが有効に活用できるし、管理職研修ではIT技術をのぞく3つ、コミュニケーション研修でもIT技術をのぞく3つが利用されるという具合である。

私の研修でおもしろいのは、「教える内容」が研修で「実際に使われている」ことであろう。

管理職研修の中では、コーチングスキルや人を育てる理論、コミュニケーションを当然使うことになるが、それはまさにその研修で学んでもらいたいことになる。
そのため、実地に体験しながら理論と実践を学ぶ、というとても「お得」な研修となる。

以前にIT技術系の講師講習をした際に次のような感想をいただいたことがある。

「特に印象的なのは、『教えないで教える』という一見矛盾しているような不思議な考え方です。元々私は人にものを教えるのが得意ではないからか、これはとても不思議なことで、理屈ではうまく説明できないのですが、自分自身が実際に体験しているので納得しています。」

理論と共にそれを実践していることで、受講者の理解も納得度も上がっていく。

1日や2日のセミナーでは十分に体験してもらうことは難しいかもしれないが、それでも「聞くだけ」よりははるかに理解につながることができる。

私にとっても繰り返し実践することで、新たな気づき、反省があり、私自身も上達していき、さらにそれを次の受講生の方に伝えることができるようになるので、実施を繰り返すことがよりよいものを作ることにもつながっていく。

私がセミナーや研修でお伝えしているのは、実際に私が使っているスキルである。
それを体験して効果を実感してもらえれば、学ぶモチベーションが高くなることは間違いない。

これらの研修を助成金を利用して開催する準備も進めている。

興味がある方はぜひお問い合わせをいただきたい。

hasegawa@technosense.co.jp

Takanori

Stay hungry, stay foolish.

「ハングリーであれ、馬鹿であれ」

スティーブ・ジョブズのスタンフォード大学でのスピーチの締めくくりのメッセージである。

圧倒的なエネルギーを持って、創造的破壊を繰り返したジョブズに比べられたら怒られそうであるが、私も見習いたいものである。

私にとっての創造的破壊、とはどのようなものだろうか。

私のような、受講生の最善のために独自に判断し動くような講師は、実際のところ、一般的な研修会社とは相性が悪いことが多い。
講師として応募しても、方針が違いますね、と言われて断られたことも、一度や二度ではない。

事情はわかる。

講師のスキルに依存した研修となると、同じ研修を他の場所でも実施しようと思えば、その講師しか使えないというのはリスクになる。研修会社としては、誰がやっても同じ研修を実施できるようにしておきたい、というのだ。カリキュラムを売るには、それが必要だからだ。
本筋からいえば、講師をしっかり育てることで実現すべきであると思うのだが、かかるコストの問題や、安定した需要が年間を通してあるわけではないなどの研修業界特有の問題などで、それがまた難しいことであるのもわかる。

しかし、教育というのは「人」に依存した仕事である。
教える内容を知っていても、教え方、伝え方、育て方を知っていないと、本来の目的を果たすことはできないし、なにより心理が学ぶことに深く関わる以上、それに対応できる「人」がいなければ効率的な学びは実現できない。

それをよく知っているのが、同じ教育関係の学習塾業界であろう。
テレビの広告にまで講師を出し、その講師の特徴を売り込んでいる。
そして進学率なども競い合い、かけたコスト分だけ、成果が出ますよ、と宣伝している。

それほど遠くない将来に、企業研修の世界も、コストと成果をきちんと評価し、とりあえずやった、という研修から、やった結果こう変わった、という方向に向かうだろう。

研修がおわった時に「期待していなかったんけど、出てよかったです。」と言われることも多い。

でも、おかしいと思わないのだろうか?

お金を払って研修をするのであるから、払った分の成果があって当たり前なのではないだろうか?
テレビを買う時に「映らないだろうが、映ったらラッキー」とは誰も考えないだろうが、研修に期待しないのは、映らないテレビを買おうとすることに等しいのではないだろうか。
映ることではなく、テレビを買うことが目的というのはおかしい話である。

テレビを買うのは目的ではなく、映し出された番組を見て楽しむことであるはずだ。
研修をするのが目的ではなく、研修で成長しその後の生活に、仕事がよりよいものになることが目的でなければならない。

期待されない研修ではなく、期待される研修とし、期待された以上の成果を出せる講師になりたいと思う私はへんなのだろうか?

このような話をしていたら、先日知り合った方から「『本物』を広めるのは大変なんですね。」という言葉をいただいた。
非常にうれしい言葉である。

「本物」であることを目指し、努力を続けていきたいと、あらためて思った。

学習塾業界も、どれだけ教えないかに工夫を凝らしている、というニュースも最近あった。
考える力を育てるために、だそうだ。

今の時代、人を育てようと思えば、そこに行き着くのだ。

考える力を養うことが、成長のための早道であるとともに、今、求められている人材を育てるのに必要不可欠な方法なのだ。
「教えないで教える」ことが育てるために大切なのことなのだ。

こんな私だが、私を理解していただいた上で、毎年仕事をいただける研修会社もある。
担当者にはきっと胃が痛くなる思いをさせていることと思うが、感謝している。

私にとっての創造的破壊、というのは、映らないテレビを買おうとする価値観を壊すところから始まるのかもしれない。

Takanori

スティーブ・ジョブズに捧ぐ

中学生の頃、読んでいたコンピュータ系の雑誌で、Apple II を見た。
8bitの6502を搭載したマシンで、今から見るとオモチャ以下のレベルではあるが、グラフィックを使えた。
VisiCalc という初めてのパソコン向け表計算ソフトが動き、なによりおしゃれだった。
カードスロットも搭載し、さまざまなカードで拡張もできた。

高校の間に、Lisa が出た。
おしゃれな名前だった。
名古屋のコンピュータショップでさわってみたことは覚えている。

高校を出る頃に Macintosh が出た。
一つしかボタンがないマウスをさわり、画面に開く窓を見た。

社会人になってしばらくして、会社の上司が Macintosh Plus を買ってきた。
自分にはとても買えない値段のその一体型のコンピュータをさわって感動した。
窓が開き、見たまま印刷できる。
フォントもいくつも使え、文字を打たなければキーボードが無いことを忘れる。
そんな機械だった。
それまで、MS-DOSやCP/Mなど文字の世界だけでコンピュータに触れていた者には衝撃だった。
ちょっとさわっただけでは、ふーん、と思うだけだったGUIは使い込むと手放せなくなる魅力があった。

少ししてお金を貯めて MacintoshIIcxを買った。
しばらく事務系のメインマシンだった。
Windowsはまだまともに使えるような代物ではなかった。

雑誌に載る NeXT のコンピュータの先進性に胸をときめかせたのもこの頃か。
「使ってるけどいいよ」という知り合いの言葉を、今でもうらやましいと思いながら思い出す。

携帯用は PowerBook550c である。
その前には PowerBook540 を持っていた。
遅かったが、ネットワークにつなぐのが便利だった。
最初のころは、Windowsはネットワークスタックを持っていなかった。
個人に解放されたネットワークに接続するのは、主にMacだった。

IIcx が遅くなって、Quadra800を買った。
どれだけ使い込んだろうか。
予算が許すだけメモリも積み、ハードディスクも何度か交換した。
CPUボードもアップグレードした。
ただ、徐々に Windows の優勢が明確になり、仕事上も Windows が必要になり、徐々に Windows にマシンも移っていった。

ずっと Windows マシンをメインに使っているにも関わらず、今、私の手元には、MacMini、iPad、iPod Touch とApple製品、ジョブズの子供達がいる。
押し入れの奥には、中古で買った Macintosh Plus も捨てられずにひっそりとしまってある。

GUI、洗練されたマニュアルや包装、こだわりのある、芯が通ったデザイン、こだわりのある点では、妥協のない仕様と技術、そんなものが私の知っている Apple 製品の魅力である。

Apple の製品は常に使う人を見てきた。
Apple の製品は機械ではなく道具だった。

一度 Apple から首を切られ、復活して戻ってきたとき、ジョブズは名実共に世界のコンピュータのビジョンを作るカリスマになったような気がする。

それから後のAppleは凄かった。
ときめく道具をたくさん見せてくれた。
iMac しかり、iPod しかり、iPad しかり、Macintosh ももちろんである。キーボードのデザインでさえ、Appleが引っ張っている。

そんなふうに、Apple II からずっと、世界のコンピュータの歴史を作り続けてきたジョブズが亡くなった。

私が Apple の製品を買うときには、ずっとスティーブ・ジョブズの語る夢を買ってきた。
今は、そんなふうに思える。

これから、彼のように未来の夢を形にして見せてくれる人は出てくるのだろうか?
彼のように芯の通った、未来の夢を見せてくれる人が。

夢を追って走り続けて、若くして亡くなったスティーブ・ジョブズのイメージは坂本龍馬にも重なる。

世界に進歩と夢を送り続けてくれたスティーブ・ジョブズに心から感謝したい。
走り続けてきた彼に、安らかな眠りが訪れることを、心から祈りたい。

そして、Apple の夢が現実に押し流されることに抵抗できる人が、Apple を継いでくれることを心から祈りたい。
Apple の力は、機械を作る力ではなくて、夢と未来を作る力なのだから。