私にしかできない?

講師育成研修でよく言うセリフの1つに「私の真似をしないでください。」というのがある。
私が実施しているグループワークを体験すると、自分でも試したくなるようで、グループワークをハンドリングする練習をせずに研修の現場で実施する方が出てくる。
それは危険だよ、と戒めるためである。

私ができることを見て「長谷川さんは長い間やっていたからできるんだ」と言われることもある。

講師仲間から「別格だ」と言っていただけることもある。
こう言うと、私は長い時間をかけてとんでもないことができるようになっていると思われるかもしれないが、実は研修の仕事を始めた最初からこのようなことをしている。
もちろん、最初よりは今の方が上手にはなっているが、決して研修の仕事を長年行わなければできないことをしているわけではない。

私が最初からある程度認められるようなことができた原因は確かにある。

ラグビースクールにおけるコーチングに関する知識があったこと。
技術的なレベルがそれなりのものであったこと。
話すスキルがある程度はあったこと。

これらがその原因である。

だが、技術レベルは普通に開発の仕事をしている人が持っているレベルと大差はない。
話すスキルも、クライアントと会話しつつ要件定義などができるようであれば問題がないレベルである。
コーチングに関する知識も、決して理解していると言えるレベルではなく、あくまでも「知っている」程度であった。

それらを元に、毎日必死で考えて準備をし、実施して観察をし、結果に対して自分でのフィードバックを続けたことでできるようになったのだ。
そしてその中で、コーチングやグループワークに対する理解も進んだ。
こう考えていくと、きちんと学びさえすれば誰でもできるようになるはずのことである。
私ができるようになった理由が実はもう一つある。

それは「逃げるチャンスがなかった」ことである。
ろくに扱えないコーチングとグループワークにしか頼れなかったぐらい追い詰められており、それから逃げる方法がなかったのだ。
言い換えればやり続けることを強制されていたのだ。

実際の原因は「逃げられなかった」だが、これは「チャレンジし続けた」とも言える。
だから、私と同じことができるようになるためには、コーチングやグループワークを学び、伝えるべき知識を持ち、話すスキルを高めた上で、真摯なチャレンジを続ければよい、ということになる。

決して私にしかできないことではないし、長い時間をかけなければできないことでもない。
コーチングとグループワークの力を理解した後は、それをより磨くために時間を使ってきた。
理論を学び直し、実践的な訓練をし、よりよくできるように工夫をし続けてきた。
その中で、自分の経験や知識を体系化し、人に伝えられるようになってきた。
私のしていることを理解できない人は「長谷川だから」で片付けようとする。

それは可能性を捨てることで、とてももったいないことだな、と思いながら聞いている。
理解しようとしない人に伝えることは難しい。

私がしているのと同じようなことをするのは、たいへんかもしれないが、難しいことではない。
私が行っていることを表現するための方法論はすでにある。

それを他の多くの人に伝えていき、訓練の場を作っていきたい。
それができていないから、タイトルのような言葉を聞くことになってしまう。
「長谷川さんだからできる」

この言葉は、私の力不足を認識させる言葉でしかない。

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