私は本を読んだり、アニメを見たり映画を見たり漫画を読んだりするのが好きである。
特にどんな分野といわずにさまざまなものを見たり読んだりする。
その中に「暗殺教室」という作品がある。
漫画であり、アニメ化もされている作品である。
まだ見ていないが、実写映画もあるらしい。
ご存じない方はWikipediaなどで調べてみたいただきたいが、マッハ20で移動し地球を破壊するほどの力を持った生物が中学校の教師として赴任し、落ちこぼれと見なされる生徒を教育していき、生徒はその生物を暗殺することが任務、というこれだけの説明ではなんのことやら、という内容である。
だが、その中で語られる教育に関する発言は示唆に富み、読んでいても「上手い表現をするなぁ」というのが随所に見られる。
例えば、以下のようなセリフだ。
「どんな人間にも、殻を破って大きく成長できるチャンスが何度かあります。
しかし1人ではそのチャンスを活かし切れない。
集中力を引き出すような強敵や、経験を分かつ仲間達に恵まれないと。
だから私は用意できる教師でありたい。
生徒の成長の瞬間を見逃さず、高い壁を、良い仲間を、すぐに揃えてあげたいのです。」
殺し屋たちと渡り合う生徒達を見ながらの、教師としてのセリフである。
これなどは、そのまま私がIT系のプロジェクト演習などで目指していることだ。
これらの方針、方法は漫画の中だけで有効な絵空事ではない。
実際の学びの場でもきちんと効果があることなのだ。
ドラゴン桜などでもそうだったが、さまざまな作品の中に、さまざまなヒントや示唆、素晴らしい表現がある。
研修講師という仕事柄だとは思うが、それらの言葉や行われていることに対してはとても敏感になる。
ちなみに暗殺教室を見て思うのは、私が目指していることがそのまま描かれているということである。
・教師は一人一人にあった教育をしなければならない。
・教師は教えるべき内容をきちんと学ばなければならない。
・人を育てるということは、勉強の結果だけを求めることではない。
・教師は生徒を守らなければならない。
などなど。
残念ながら私はマッハ20で動けるわけでも、殺せんせー(教師として赴任している生物の呼び方)のような超人的な力を持っているわけでもない。
だが、同じようなことを目指して努力を続けることはできるだろう。
しかし、漫画を書いている作者の方がなぜこのようなことを書けるのか、考えられるのかにはとても興味がある。
もし機会があればぜひお話をうかがってみたいものである。