ツールに溺れる

ロジカルシンキング、というものがある。

一般的に、論理的な考え方をして、いろんなフレームワークを利用して問題の分析や解決策を見つけること、ということになっていて、研修などでは、既存の実績のあるフレームワークの使い方を説明する、となっているものが多い。

異論はあるだろうと思うが、本当に身につけなければならないのは、論理的に考えて、必要なフレームワークを創り出す力だと考えている。
それがあれば、有名なフレームワークの得手不得手も見えてくるだろうし、途中で目的を見失うこともなくなるだろう。

目的を見失う、と書いたが、既存のフレームワークなどのツールの使い方から学ぶと、そのツールを使うことが目的であるように思えてくる。
だから、例えば、フレームワークを図として完成させることがゴールのように思えてしまい、それを用いて解決すべきだった問題への意識が薄くなったりする。

このような問題は研修や教育の現場でたくさん見かける。

スポーツ指導の現場で練習メニューの形だけ真似している指導者、途中のプロセスをおろそかにしてただ実施しているワークショップ、目的化してしまっているツール。

必要なのは、その練習メニューは何のために実施しているのか、という理解、プロセスの中での考え方の変化と求めたい結果、問題を解決するためにツールを使うことなのだ。

ロジカルシンキングでも、私の専門である講師(教育ファシリテーターといってもよい)でも、スポーツ指導の指導者でも、そこにあるツールを使うことが目的になっては道を誤る。

釘を打つために金槌を使うのが当たり前だが、トンカチを使うために釘を打つことはないだろう。
あるとすれば、金槌の使い勝手を試すときぐらいのはずだ。

釘の打ち方ではなく、金槌の使い方を学べば、釘は打てるようになるかもしれないが、釘をどこに打てばよいかを考えられないままかもしれない。

釘を何のためにどこに打つのかを考えて判断し、釘の太さや長さを決めて、何の道具を使って打ち込むかを判断して、実際に道具を使って打ち込む。
そうなって初めてスキルである。

物を学ぶ際、考える際に、既存のツールの使い方から学ぶことは本質を見えなくしてしまう危険がある。

ロジカルシンキングに関して、ツールの使い方を学ぶような研修と、自分でツールを創り出すような研修の両方を実施したことがある。

結果ははっきり出た。

自分でツールを創り出す研修では、1日の研修の終わりには「自分の問題の解決の糸口が見えた」と言われた受講者の方が何名かおられたのである。
残念ながらツールの使い方を説明した研修ではそういう結果は出なかった。

終了後の満足度は言わずもがなである。

繰り返して言う。

フレームワークや練習メニューなどのツールは、文字通り「道具」である。
目的を見失い、道具に使われて、道具に溺れてはならない。

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