研修シーズンということもあり、新人研修も含め、ここのところ何件かの技術研修を担当させていただいている。
さまざまな方に受講生になっていただいているのだが、中には、社会人経験の長い方もおられ、新人研修(ちゃんと受けなければ、という教育がなされている)とは緊張感が違う研修も担当させていただいている。
新人研修では、所属会社から「ちゃんと受講するように」というプレッシャーが掛けられているので、少々まずい研修であったとしても、一生懸命に受講生がフォローしてくれたりするので、長期間である、ということを除けば、比較的楽なことが多い。
だが、社会人経験の長い方のおられる研修ではとてもシビアである。
良い研修、悪い研修の反応が、とても直接的に返ってくるのだ。
そのようなシビアな研修で評判が悪いのが「座学」である。
もちろん、私が受講生であっても座学は好きではない、というか苦手である。
座学のみの研修では、たいてい眠くなるか、自分でテキストを読んで調べているものだ。
中には「もっと教えてもらいたい」という反応を返してくれる人もいるのだが、実際のところ、それでは成長してもらえない。
今年の新人研修でも、座学と自主学習の両方を行ってみた。
そして、どちらがいいか聞いてみた。
答えは「自主学習」であった。
こう書いてくると、私の技術に対する説明が拙いから、と考える方もおられるだろうが、実際のところはそれほど下手な説明ではないはずである。
少なくとも経験のある講師仲間からうなっていただけるような説明をすることが可能であるし、たぶん、へたくそ、と言われるほど悪くはないはずである。
だが「座学」はおもしろくない、と言われる。
分かっていたのだ。
座学がおもしろくなく、学べることも限定的であることは分かっていたのだ。
だから、座学を少なくし、自分で学ぶ時間をできる限り多くしてきた。
座学で理解することは期待しない、と言いつつ、演習の時間を多くしてきた。
だが、これまでは座学をなくせなかった。
理由は簡単である。
私自身が「技術系の研修には座学が欠かせない」という常識を持っているためであり、座学をしないことが恐かったためである。
私自身の思い込みと心理的な弱さのために、受講生に身にならない「座学」を押しつけてしまっていたにすぎない。
今年の新人研修では、私の考え方を理解していただける人事の担当者の方と巡り会うことができた。
「試したいことがあったら、うちの社員で試してください。ただし、失敗したらリカバリーはお願いしますよ。」とまで言ってくださった。
ここまで環境が整ったら、挑戦するしかない。
何をするか分かり、それを変えるチャンスをいただいたのだ。
これを活かさなければ罰があたるだろう。
すでに、新人研修以外の研修では、座学をなくし、先日の初心者向けのプログラミング言語研修では、発表に対するコメント以外の技術的な説明を排している。
結果は、好評であり、結果も出ており、座学とはなんだったんだろう、という気持ちにさえなっている。
研修で受講生が大きく化ける時がある。
今年は私が化けてみたい。