オーダーメイド研修

「吾輩(わがはい)は猫である。名前はまだ無い。」

有名な小説の出だしである。

「吾輩(わがはい)は講師である。情報はまだ無い。」

研修が始まった際の、講師の気持ちである。

研修において、始まる前から受講生の事が分かっていることはまずない。
場合によっては人数さえ、行ってみないと分からない。

あらかじめ、カリキュラムを公開し、そのカリキュラムを見て募集してきてくれる研修であれば、そのカリキュラム通り実施しても、ある程度は受講生の方で、調整してくれることだろう。

だが、そうでない場合には、受講生の求める研修と用意していたカリキュラムが適していない可能性が高い。。
研修がなんの目的もなく開かれることは少ない(全くないというわけでもない)。
通常は目的があり、タイトルが付けられる。
だが、「●●基礎」というような曖昧なお題の研修では、参加者にも大きなばらつきが出てくることが多い。
ばらつきが多ければ、カリキュラムと受講生の望むことの間に差がある可能性が高くなる。

そんなときには、受講者のレベルと受講生の望むことに合わせて、カリキュラムを調整する。

講師としては、受講者の方に時間をいただくのだから、その時間を掛けただけの価値を提供したい。
そのためには、あらかじめ用意していたカリキュラムをそのまま実施することに意味がないと判断すれば、カリキュラムを変更せざるを得ないのだ。

このブログの題は「オーダーメイド研修」である。

一般的には、オーダーメイド研修というのは、あらかじめ、研修を主催されるところ、例えば企業などから「●●を学ばせたい」というのを伺って、それに合わせてカリキュラムを考えて実施するものである。
だが、私の考える「オーダーメイド」にはもう一つ意味があり、それが参加している受講者に合わせて現場でカリキュラムを組み替えながら実施するということである。

実際にそこまでカリキュラムを柔軟に考えている研修はそれほど多くないだろう。
だいたいの場合、受講者とカリキュラムに乖離(かいり)があったとしても、受講者があきらめるか、講師があきらめるか、双方があきらめるか、で予定通り進行して、なんとも形容しがたい退屈な時間を過ごすことになってしまうだろう。

始まるまで受講者についての正確な情報はわからない。
だからスタート地点も決められない。
もちろん、あらかじめ用意したカリキュラムがぴったりマッチすることは考えづらい。
だから、役に立つ研修とするためには「現場でのオーダーメイド」は欠かせない。

実際には、頭がくらくらするぐらい受講者にばらつきがあることもある。
それでも、少しでも受講者に合わせた研修を行いたいと思う。

準備した内容の半分も使えないこともある。
だから、幅広い準備をして臨みたい。

研修の目的は、受講生の成長であり、満足なのだ。

それなくしては、研修の存在意義は、私にとってはない。
実施することだけに意義がある、という研修は無駄以外のなにものでもないのだから。。

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