ブランドになりたい

前回、一流のバイオリニストが駅で素性を明かさず演奏した実験について書いた。

その記事を書きながら、ブランドとはなんだろう、と考えてみた。

ブランドの価値というのはいくつかあるだろう。
ここでは2つの価値について考えてみたい。

一つは、他人が認めている、ということである。

全てとは言わないが「他人が認めているから」というのが価値であって、「このブランドの商品はいいから」というのは後回し、というのはよくあることではないだろうか。
もちろん「このブランドの製品は質がいいから」という理由で選んでいる人も知っている。
だから、すべてが「他人が認めているから」「みんながいいと言うから」である、とは言えないだろうが、そういう傾向が強いことは、先の実験でも実証されているのではなかろうか。

そして、その「他人の評価」に高い値段がつく。

次に、他人が認めている、という安心感がある。

先の実験の演奏家の1枚1万円もするチケットが飛ぶように売れるのは、この安心感があるからだろう。
数十万円のバッグなども、安心感がなければ買えないだろう。

研修の仕事にもブランドがある。

大手の研修会社の費用と私の研修の費用を比べれば、私の研修の費用は安い。
質、という面でも、大手と比べて遜色はないと思っているし、実際に「今までで一番よかった」と言ってもらえることも珍しくはないので、完全なうぬぼれでもないだろう。

だが、営業的にはなかなか厳しい。

たとえ質がよかったとしても、私にはブランド力がないのだ。
比べるのはおこがましいが、駅で演奏する奏者と同じである。
よいものを提供することができても、誰も目に留めてくれない。

正直、ブランド力があれば、もっと仕事ができるかも、と思うし、ブランドになれればうれしい。

大手の研修が選ばれるのには「大手だから」という安心感も大きな理由だろう。

研修という商品では、実施前に見せられるものが少ない。
事前に実際の「商品」を見せることもむずかしい。
大手では、固定されたカリキュラムとその実績があることが、安心感につながっていくのだろう。

私が「研修に対する安心感」を提供することも難しい。
もしできるとしたら、さまざまな受講者の感想をご覧いただくか、実際に体験していただくしかない。

特に私のように受講者に最適なものを、と考えてオーダーメード制で研修をしていたら、大手の研修会社と同様の、固定のカリキュラムとその実績というのは作りようがない。

もしできるとしたら、私の作るカリキュラムとその実施は、常に楽しく、効果がある、という経験をしていただくしかない。
そして、それを感想としていただき続けるしかないのだろう。

私も私の研修も、今はブランドではない。
私がいくら「いい研修をしますよ」と言っても、実施前には、それを誰も担保できない。

これから先も、私と私の研修がブランドになれるかどうか分からない。
研修に対する安心感を提供し続け、多くの人から認められなければ、ブランドにはなれないのだ。

今は、可能な限り質の高い研修を実施し続け、実績を積み、安心感を提供できるブランドになるように努力と継続をするしかないのだろう。

そしていつの日か、テクノセンスの研修、長谷川講師の研修、というブランドができあがることを祈りつつ、今できることを精一杯続けていこう。

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