Archive for 2016年3月13日

Takanori

私にしかできない?

講師育成研修でよく言うセリフの1つに「私の真似をしないでください。」というのがある。
私が実施しているグループワークを体験すると、自分でも試したくなるようで、グループワークをハンドリングする練習をせずに研修の現場で実施する方が出てくる。
それは危険だよ、と戒めるためである。

私ができることを見て「長谷川さんは長い間やっていたからできるんだ」と言われることもある。

講師仲間から「別格だ」と言っていただけることもある。
こう言うと、私は長い時間をかけてとんでもないことができるようになっていると思われるかもしれないが、実は研修の仕事を始めた最初からこのようなことをしている。
もちろん、最初よりは今の方が上手にはなっているが、決して研修の仕事を長年行わなければできないことをしているわけではない。

私が最初からある程度認められるようなことができた原因は確かにある。

ラグビースクールにおけるコーチングに関する知識があったこと。
技術的なレベルがそれなりのものであったこと。
話すスキルがある程度はあったこと。

これらがその原因である。

だが、技術レベルは普通に開発の仕事をしている人が持っているレベルと大差はない。
話すスキルも、クライアントと会話しつつ要件定義などができるようであれば問題がないレベルである。
コーチングに関する知識も、決して理解していると言えるレベルではなく、あくまでも「知っている」程度であった。

それらを元に、毎日必死で考えて準備をし、実施して観察をし、結果に対して自分でのフィードバックを続けたことでできるようになったのだ。
そしてその中で、コーチングやグループワークに対する理解も進んだ。
こう考えていくと、きちんと学びさえすれば誰でもできるようになるはずのことである。
私ができるようになった理由が実はもう一つある。

それは「逃げるチャンスがなかった」ことである。
ろくに扱えないコーチングとグループワークにしか頼れなかったぐらい追い詰められており、それから逃げる方法がなかったのだ。
言い換えればやり続けることを強制されていたのだ。

実際の原因は「逃げられなかった」だが、これは「チャレンジし続けた」とも言える。
だから、私と同じことができるようになるためには、コーチングやグループワークを学び、伝えるべき知識を持ち、話すスキルを高めた上で、真摯なチャレンジを続ければよい、ということになる。

決して私にしかできないことではないし、長い時間をかけなければできないことでもない。
コーチングとグループワークの力を理解した後は、それをより磨くために時間を使ってきた。
理論を学び直し、実践的な訓練をし、よりよくできるように工夫をし続けてきた。
その中で、自分の経験や知識を体系化し、人に伝えられるようになってきた。
私のしていることを理解できない人は「長谷川だから」で片付けようとする。

それは可能性を捨てることで、とてももったいないことだな、と思いながら聞いている。
理解しようとしない人に伝えることは難しい。

私がしているのと同じようなことをするのは、たいへんかもしれないが、難しいことではない。
私が行っていることを表現するための方法論はすでにある。

それを他の多くの人に伝えていき、訓練の場を作っていきたい。
それができていないから、タイトルのような言葉を聞くことになってしまう。
「長谷川さんだからできる」

この言葉は、私の力不足を認識させる言葉でしかない。

Takanori

やりたいこと

私は教育に携わっている。
主として研修講師として活動し、ブログや書籍などによる情報発信、さまざまな機会を通じて人材育成に努め、また、そのための人材の育成に取り組んでいる。

そんな私の「やりたいこと」は、最終的に「人を育てる文化を日本の企業や学校や家庭に根付かせること」である。
そのためには、ただ生きるために言われたとおりの形で講師をするのではなく、自分の信じる形での研修を行い、成果を出すと共にその良さを知ってもらうことが重要である。

私の信じる形の研修や教育の形とは、自主性、考える力、コミュニケーションをベースとして自ら学ぶ形である。
これまで多くのシーンでその効果を見せようと努力してきた会社がある。
これまでもいろいろお世話になったし、一時期は「教えないで教える」を目標として掲げてくれていたこともあったので、なんとか私の知識や経験を役立ててもらおうと思って全力で取り組んできたつもりである。

だが、残念なことに、私のやりたいことや目的は伝わっていなかったようである。
おそらく効果は伝わっているのだが、ただ単に「長谷川だからできたこと」でしかなく、その理由やベースとなる考え方は伝わっていなかったのだろう。
私に旧来の研修の形を求めることは、私にとっても、求める方にとっても意味がない。
私にとっては、そのようなことを求められることは、足踏みにつながり、先のことを考えると時間がもったいないと考えざるを得ない。

このようなことを考えると、仕事がなくなる心配をしたくなるところであるが、実際には現時点でもいくつかオファーをいただいており、それらを断りつつ仁義を通してきた。
また、私の「やりたいこと」に直接の興味を持ってくれている会社も多い。
カリキュラムもお仕着せではなく、任せてくれると言ってくれるところもある。
講師育成という特殊な研修においても成果を上げられるスキルを持っていることもプラスに作用することだろう。

だから、幸いなことに、少なくとも新人研修の期間においては仕事を失う心配はあまりない。
旧来の「丁寧に教える教育」は近いうちに崩壊する。
参加型であり、チームによる学習であり、全て教えるのではなく教えないで考えさせる教育に必ずなる。

考えさせる教育を行うためにはそのような教育を行える人を育てなければならないが、どうしても時間はかかる。
グループワークを扱うためにも訓練が必要であるし、課題を考えるためにも訓練が必要である。
だらだら話さないようにするための訓練も必要であるし、観察する力、気付く力も身につけなければならない。
心理学についての素養も欲しいし、できればカウンセリングレベルの傾聴力も欲しいところである。
そして、教えるべき内容に関しての深いレベルの知識も当然必要となる。

時間はかかるがそれらの育成を行えば、教育の流れの転換が顕在化したときには非常な強みを発揮できるはずだ。
だが、旧来の教育の形にこだわっていたら、顕在化のタイミングでおいていかれるしかなくなる。
研修の品質を、企業の担当者が知っている研修を行ったかどうかで計っているようであっては、先の発展は見込めない。
担当者がそのような観点で満足するということは、教育に対する新しい価値を提供できていない、ということでしかない。

受講者の「成長できた」という気持ちが強い研修は良い研修である。
そしてそれは受講者の満足度で表されるものである。
企業の担当者が知っていることをなぞれたかどうかで計られるものではない。
今年は、私自身、大きな転換を図る年になるかもしれない。

自ら参加者を集め、会場の手配をし、協力者を集めて、理想の教育を形にしていくタイミングなのかもしれない。
IT系の新人研修をターゲットとすれば、現時点で想定できるリソースでは100人ほどが限界だろうが、新人研修を有効に活かすための受け入れ側の研修をセットで実施することも可能だろう。

しっかり考え、いろいろな方の力をお借りしながらこれから先を決めて行きたい。

Takanori

課題発見、解決

課題の発見、解決、という研修を行うことがある。
そもそも「課題の発見、解決」そのものが目的であることもあるし、コーチング研修の中に含めることもある。
管理職研修の中にも含まれるし、新人研修においても求められることもある。

つまり、課題発見、またその解決は、全てにおいて大切なことであり、それができずに困っている人が多いということだ。
なぜ困るのか、といえば、簡単に言えば「すぐ目に見える問題だけを取り扱おうとするから」ではないかと考えている。

実際には「すぐ目に見える問題」というのは本当の原因ではなく、本当の原因からいろいろあって表面に表れてきた「現象」であることがほとんどなのだ。
例えば、クライアントから「ちゃんと思った通りに動かない」などといったクレームが来たとする。
クレームが来たから、製品の不具合かと思って調べても完全に動作する。
よくよく聞いたら、購入時の担当者が言った言葉が間違っていて、クライアントはその言葉通りの動作をしない、というクレームをあげていた、なんてことが普通にある。
この場合、本当の問題は、担当者が製品を正確に理解していなかったことにあり、解決策は担当者への正しい教育ということになる。

これなどはまだ簡単なほうである。

こんな例もある。

「最近入ってきた新人がなかなか成長しない」という問題を抱えているIT系の会社の上司がいた。
グループワークで意見交換をしながら、質問によりさまざまなことを考え、深めていくと次のような結論が出た。

「新人のレベルに対する、受け入れ側の思い込みが本当の問題である。」

その部署では数年にわたって、学生時代に専門教育を受けてきた、または趣味によりプログラムを書いてきたことにより、技術的には経験者といってもよいレベルの新人が配属されてきた。
そのようなことが続く中で、その部署では「新人」のレベル感が醸成されていった。
ある年に、新人研修で初めてプログラミングを学んだ新人が配属された。
すでに醸成されていたレベル感から比べると、当然ではあるがその新人のレベルは低いことになる。

このような経緯で、配属された新人がなかなか使えるようにならない、という問題意識になってしまったのだ。

実際に話を聞けば、配属された新人は、自ら努力をし、なんの問題もない新入社員である。
それどころか、自発的な動きもできる優秀な人材であった。

だが、思い込みによりそれが問題になってしまったのだ。
他にも「部下から報告がない」という問題を分析していったら、報告を受け取れていなかった自分が問題だった、というようなことは、もう当たり前と言えるほど普通にあることである。
問題分析の際に「自分に問題があるかも」と思うと、意識的、無意識的にそれらの問題から目を背けてしまうため、いつまでたっても真の問題にたどり着けない。
同じようなことはどこにでもある。
クレームをもらったら、思い込みや自己保身を排除した上で、何が原因なのか徹底的に考え分析をしなければ、本当の問題にはたどり着けない。
本当の問題にたどり着けないまま対処をしようとしたら、それは「臭いものには蓋」的な対処になってしまい、本当の問題をより見えにくくしてしまうだけである。

一度見えなくなってしまった問題はなくなることはなく、他の形で現象となって出てくる。
課題発見、解決といえばロジカルシンキングなどがあげられることが多いが、実際には、思い込みや自己保身の排除、問題を発見しようとする意識付けのほうが効果を上げられることが多いように感じている。
ロジカルシンキング分野の分析方法はそれらがなければ、ただの形にしかならない。
問題解決は問題が適切に見つかれば考えられる。

だから「課題発見」を以下に効果的に学んでもらえるかというのは、これからの私のテーマの1つである。