人材育成に関する考察

講師という仕事をし、多くの人と話すことで、今の日本の組織の人材育成のあり方についての問題が見えてきた。

今回はその問題と対応方法について考えてみたい。

まず大きな問題として「指導する立場の人」が「教育」を「教える事」ととらえており「育成」の視点が足りない、もしくはない場合がある。
これは少年スポーツの指導でも、社会人の研修の講師でもかわらない。
育成とは、自律、自律する力を育てることであり、考える力を育てることである。
だから、1から10まで教え、失敗を恐れ挑戦ができないような人間を作ることは「育成」ではない。
挑戦し、失敗し、そこから何かを学ぶ力を育てることこそが、育成である。
先回りをし、失敗を防いでやることは、学ぶチャンスを奪うことと同じである。
この視点を持たない人が指導をすると、指示がなければ動けない、未知のことに挑戦できない人しか育てられない。

次に「教えれば成長できる」と思われていることも問題である。
今の学校教育がそういう教育なので、それが当たり前と考えている人がとても多い。
だが、教える事はスタート地点でしかない。
いくら詳しく教えても、覚えるだけであれば、それは本当の成長にはならない。
本当の成長はその後に「考えること」があって初めて実現される。
考え、気づき、理解して初めて成長があるのだ。
「教えたからできるはず」は指導側の思い込みでしかない。

育成には時間がかかるとの認識が薄いのも問題である。
人間が成長するためには、時間がかかる。
また、考え、気づきを得、試行錯誤をし、納得するまでの時間が全ての人間で同じ事はあり得ない。
そのため、育成については、継続的にサポートをしながら学習を続けることが欠かせない。

例えば「コミュニケーション」について1日、2日話を聞いて、それでうまくなると思えるだろうか?
そんなことはあり得ない。

意識し、訓練しなければ、うまくなる、すなわちスキル化できるはずがないのである。
学ぶことが難しい事ほど、時間をきちんとかけることが必要である。
職人が「一人前になるには10年かかる」などとよく言われるが、スキルを身につけるというのはそういうことなのである。
その10年が、育成方法次第では7年になるかもしれないし、5年、3年にできるかもしれないが、時間はかかるのだ。
この「学ぶための時間」の存在を意識しなければ、育成計画は成り立たない。

これらの問題についての、現時点での私の実施している対応策は次のようなものである。

【「育成」の意味を指導者が理解する】
指導者が自己満足に陥らないように、指導される側の成長を意識し、それを絶対的な基準とする。
指導される側の人間を信じることも大切。

【「教えないで教える」育成をする】
説明で理解させようとせず、考え、試行錯誤し、気付くチャンスを可能な限り多く与える。
必要な説明を的確に短時間で行えるように、インストラクションのスキルがあることも重要である。
教えないというのは、何もしない、のとは違う。
気付くチャンス、学べるチャンスをできるだけ多く作ることが絶対条件である。

【「環境を整えて待つ」ことができるように】
学ぶ環境を整えて、適切な課題を与えて、結果をきちんとフィードバックできる仕組みを作り、モチベーションを上げ、結果が出てくるのを待つことが必要である。
学んでいる期間中は継続的なサポートが欠かせない。
サポートをしつつ学ぶ期間をきちんと確保しなければならない。

待つことはとても回りくどく感じるかもしれない。
「そんなに時間をかけていられるか」とも言われるかもしれない。

だが、成果が上がらない、行動に変化が現れない研修を受けても、それが成果を上がらない以上、最悪のコストパフォーマンスにしかならない。
言い方を変えれば「捨て金」である。

一方で「そんなにコストをかけられない」というのも、企業などでの人材育成では大切な問題であることも理解できる。
学習させるために人を雇用しているわけではない、というのも当たり前の話である。

コストも時間もかけたくない、だが、人材育成はしなければならない、というのが企業などでの人材育成の最大の問題かもしれない。

それについても解決策はある。
週に一度か二週に一度程度の集合研修を、一定期間続ける形式の研修である。
集合研修で課題について考え、解決策を模索し、アドバイスをもらい、現場でその解決策を実施する、というアクションラーニング形式の学び方である。
費用は集合研修に対してかかるので、同じ期間の研修に比べ数分の1以下になるし、実質的な訓練期間は長くできる。
そのため、うまくモチベーションを持たせることができれば、最低限のコストで最大限の成果を期待できる。

もちろん可能ならば、最初に集中的な集合研修を行ってもよい。
良いモチベーションを持たせるために有効であろう。

大企業はさまざまな人材育成の工夫を行っている。
大きな組織を維持、成長させるためには人材育成が欠かせないということもあるだろうが、人材育成に予算を回す余裕があるというのも大きいだろう。
中小企業では、2人、3人で研修に参加するには、費用的にも公開研修に参加するしかなく、本当に目的とする学習を行うことも難しい、という意見もある。
それならば、複数の中小企業で合同の研修を企画し実施すればよい。

そもそも育成、研修というのは研修会社が提供するものを受け入れるのではなく、学ぶ側が選ぶべきものであるはずである。
人数が集まれば、研修コストを大きく下げることも可能である。

問題があれば、解決策を考えればよい。

さまざまな工夫をしつつ、実際の効果が上がる、受講してくれる人のための教育を実現していきたい。

講師の役割

今の時代、さまざまな教育理論が存在する。

私が研修の実務や、コーチングの中で工夫してきたさまざまなことが、理論化されているのを知ったときには、若干の悔しさ(自分で見つけたのに、という)と、正しいことをしてきたんだという安心感がわいてくる。
また理論を学ぶ中で、新たな発見や発展の可能性が見えたりもする。

そんなさまざまな教育理論を見ていく中で、再確認できたことがある。

それは「講師は教えられない」ということである。

研修講師をしていて「講師は教えられない」というのは何事だ、と言われるかもしれないが、学ぶ意志がない人に何かを教える事は不可能なのだ。
逆に「学びたい」と思っている人に「学ばせない」のもまた不可能だ。
つまり、講師ができることは決まっている。

「学びたいと思わせる」

これが講師の第一の仕事である。
そして、学びたい人を助けることも、大切な役目である。

学びたいという気持ちに火をつけ、効果的なサポートができれば、言葉は悪いが勝手に学んで成長してくれるものなのだ。

今年も新人研修の準備が始まった。
また、以下のような会話ができるよう、しっかりした準備と練習をして臨もうと思う。

新人「先生、同級生が他の会社で受けている研修と、私が受けてるのは全然違うみたいです」
私 「そうか。で、どっちがいい?」
新人「こっち!」

人間は忘れる生き物

20分後には42%、1時間後には56%、1日後には66%、一ヶ月後には79%を忘れる、という調査がある。つまり「講義」ではスキルの習得はもちろん知識の伝達もできない。

研修の中での「グループワーク」については、一年後に尋ねても「やりましたねぇ、懐かしいなぁ」という声が返ってくる。体験型の学習はそれだけ「残り」「身につく」ものなのだ。
だが、3分や10分のワークショップでは気づけること、学べることには限りがある。

よく見るのが、短時間のワークショップをやらせて、発表させて、期待した答えが講師の期待と違うと、「そうですね」と言った後に違う内容を答えとして伝えるパターンである。
ワークショップをやることに意味があるのではなく、その中で気づくことに意味があるのだが、手段と目的が違ってしまっている。

講義がメイン、考える時間が十分に取られない、考えた内容が尊重されない、こういう研修では、モチベーションの維持が難しいだろうし、意図的に失敗させてそこから学ばせるような進め方もできないだろう。

物事を学ばせるためにはきちんとした学習のためのデザインが必要である。
組織全体として何を目指すのか、目指すものを実現するためには、管理職にはどのようなスキルを持たせ、新入社員には何を伝えるのか。
もちろん、それぞれにどのような手法を使うのか、というのも大切な要素である。

自分自身の経験を元に、研修なんてやっても無駄、と思っている人もいるかもしれないが、きちんとやれば必ず効果はある。今はそれだけのさまざまな教育論的な蓄積がある時代。使わないのはもったいない。

例えば、管理職研修ではアクションラーニングの手法を取り入れ、現場の問題点を認識、分析、解決していくことが実利的な学習となり、自律的な学習につながる。
加えて、スキルコーチングの手法によるコミュニケーションスキルの訓練を組み合わせれば、相乗効果により、効率的な学習が期待できる。

私は、一つのスキル、一つの学習方法を伝えるだけではなく、問題を複数の課題に分析、分割し、それぞれについて最適な学習方法を提案したいと思っている。

お客様が教育で目指すところは最大限尊重する。それが目的だから。
だが、それをどう実現するかについては、さまざまな教育理論、実践方法の中から最適と思われるものを選び、提案していきたい。

さまざまな教育理論があり、実践で試され、効果のある学習方法がいろいろ提唱されているのに、それが現場では実施されていない事が多い。
もし研修が眠かったら、それはどこか間違っていると思って良い。
眠る受講生が悪いのではなく、眠らせる講師の問題なのだ。

組織全体で「育てる意識を持つことが大切」とよく言われる。
だが、新入社員研修でコミュニケーション、チームでの活動スキルなどを学ばせても、配属される現場にそれがないことがある。
そのために、せっかく学ばせてもつぶされてしまうことが多い。
これはもったいない。

教育費は経費であってはならない。
教育費をリターンの大きい投資とするための教育を続けて行きたい。

忘れる人間に忘れさせない。
学びたい人間を作り、スキルを身につけてもらう。

これが目指す教育である。

自戒を込めて

傲慢になるべからず。
傲慢と見られるべからず。

人からは必ず学ぶべし。
学べたことに感謝すべし。

謙虚を美徳とし、かつ媚びることなかれ。
自信を持ち、かつおごることなかれ。

自身の源は努力である。
努力の源は夢である。

夢を持ち、努力をし、自信を持ち、謙虚でおごらず、人から多くを学び続け、感謝を忘れぬ人となれ。

自転車に乗る

もしあなたが「自転車の乗り方を教えてもらいたい」という依頼を受けたら、どのように教えるだろうか・・・・。

ここのところ、ブログの更新もメールマガジンの発行も少し行っていなかった。この期間は多くの人に会い、自分自身について多くを考え分析し、これからの行動について考えていた。
その結果、出た結論は「私は、職人になりたい」であった。

もちろん自営業者として、営業も経営もしなければいけない。
だが、求められるから、商売になるから、といって、自分がよくないと思っているものを売ることは、私の心を売り渡すことになってしまいそうな気がする。
志、という大層な言葉を持ち出すほどではないが、私のしたいことは、人を育てる文化を企業や社会に根付かせることであり、実際に育てることである。

自転車の乗り方を教える時に「まずハンドルを握って、サドルに腰掛けてください。ペダルに足を乗せて体重をかけてペダルを回します。前に進みますからバランスをとってください。転ばないように気をつけてくださいね。ふらふらするようだったら、少し前を見てみましょう。肩にも力を入れてはだめです。でも、もしダメでも大丈夫です。時間が来るまでは後ろで支えますから。」とはやりたくない。
ここには、気づきを生もう、成功体験を通してより大きな成長を引き出そう、という発想が見られないし、何より乗れるようになるまでに時間がかかるし、乗れるようにならないかもしれない。

私のやり方はこうだ。
ペダルを外した自転車を用意する。
またがって、足でこいで走り回る。コースを決めてタイムトライアルでもいい。
スムーズに走り回れるようになったら、ペダルをつける。
ペダルの回し方がぎこちないようだったら、スタンドを立ててペダルの回し方だけ練習するのも良い。
一つ一つができるようになれば、あとは放っておいても勝手に乗れるようになってくれる。
自転車に乗るという技術を要素に分解し、要素ごとに効率的に訓練する、という考え方である。

ビジネス上の研修でも前者のように「乗り方を説明」して終わるものは多い。
そういう研修は短い。
自転車の例でいえば、10分もあれば終われるだろう。
だが、決してその時間で乗れるようにはならない。

私の方法では、10分では終わらない。
早くて数十分、普通は1~2時間、場合によっては半日ぐらいはかかるだろう。
だが、できるようになる。
私の提供し続けたいのは、そういう「できるようになる」研修であり、私自身は、より効率的に学ばせる技術、それを磨き続ける職人になりたい。

まだそよ風ではあるが追い風は吹いていると感じる。
身につけたいスキルはあるのに、学べる場がない、という声を、特にヒューマンスキルが関係する分野でよく聞く。
例えば、プロジェクトマネージャのコミュニケーションスキルや、チームビルディングスキルについてなどである。
もちろんそういう声があれば、対応する研修があるのだが、多くが「乗り方の説明」だけで終わっている。訓練まで含まないものがほとんどなのだ。

だが、海外ではそのような研修が多くなされているし、日本の大手企業でも実施されている例もある。

「できるようになるには時間がかかる」

このことさえ理解してもらえれば、私の実施する研修が受け入れてもらえることも増えるだろう。
費用の面でも短い研修を、というリクエストがあるのもわかるが、それについてもできるだけの対応を考えたい。

最先端の教育理論に基づいた実践的に学べる研修を、誰でも受けられるリーズナブルな価格で、というのが今年の私のテーマである。

忘れることと慣れること

子供がやっているプレステ3のゲームをやってみた。

少し前の「デモンズソウル」というゲームで、久しぶりにやったのだが結構楽しめた。
このゲームは「アクションロールプレイングゲーム」と呼ばれるジャンルのもので、けっこうアクション要素が多く含まれている。
私は、以前はかなりゲームをやっており、腕のいいゲーマーではないが、アクションゲームもそれなりにやりこんだものがいくつかある。
なので、久しぶりのアクションゲームも何とかなるかと思っていたが、アクション要素に対する反応が、以前とは比べものにならないほど落ちているのに気付かされた。
回避するための要素があるので、ゲームの進行はできるのだが、衰えを感じさせられた。

で、ふと思い立って、さらに昔のグランツーリスモ4というプレステ2のゲームを引っ張り出してやってみた。

ドライブシミュレータに分類されるゲームであり、実車に近い操作感を持ち、このゲームでうまくなれば、実車の運転もうまくなる、というゲームである。
これは、当時はかなりやりこみ、鈴鹿サーキットなどはコースを細かく覚えていたはずなのであるが、久しぶりにやってみると、コースは忘れている、操作の細かな感覚も忘れている、など、思い出すのに少々時間がかかった。

あれだけやっていれば忘れていないだろう、と思っていたのだが、そうではないというのがよく分かった。

もちろん、しばらく触れていればいろんな記憶がよみがえってくるのだが、人間は続けていなければ忘れるものなのだ。

もう一つ、昔のゲームをやってみて気がついたことがある。

画面がとても荒いのだ。

以前は「きれいだなぁ」と思って見ていたゲーム画面であるが、プレステ3のハイビジョンの美しい画面を見慣れた後だと、だめである。
ハイビジョンの画面に慣れてしまったのだ。

ハイビジョンを見てしまうと、DVDも荒く見える。
プレステ3のゲームに慣れてしまうと、プレステ2のゲームは荒く見える。

よいものを使ってしまうと、見てしまうと、それに慣れ、戻れなくなる。
そんなことを考えてしまった。

人は、新しいことに慣れ、いろんな事を忘れる。

当たり前の事だが、あらためて、それを意識した。

忘れてはいけないことも、忘れない方がいいことも、たくさんある。
忘れてもいいことも、慣れなければいけないことも、たくさんある。
そして、忘れたくないけど忘れてしまうことも、たくさんある。

久しぶりにゲームをやってみてそんなことを思った。

気付くことと変わること

ここのところ、異業種交流会に何件か出席さていただき、多くの人と知り合うチャンスをいただいている。

さまざまな人と会い、話を伺い、気付かされることが多い。

その中で身に染みて感じさせられるのは「知っていてもできないことが多すぎる!」である。

例えば「話を聴く」であるが、まず聴くことがコミュニケーションの出発点である、と口が酸っぱくなるほど研修では言っているのにもかかわらず、人と会うときにはついつい話しすぎてしまう。
ある方から「余裕がないからではないか?」との指摘をいただいたが、その通りであるとしても、できていないことには違いがない。

IBMが、製品がすばらしいから大きくなったわけではなく、営業力で大きくなった会社だ、という話もよくするものであるが、営業的なスキルの低さにも気付かされる。

自社のホームページの技術的な不備も、これまで数も分からないほどホームページを作る仕事をしてきたのにも関わらず、である。

これらは「知っている」のだが「できないこと」「できていないこと」だ。

「知っている」が「できる」になって初めて私自身の成長、変化になる。
気付くだけではだめだ。
知っているだけではだめだ。
「できる」になるまで訓練が必要だ。

全てができるようになると思ってはいない。
だが、できるようになりたいと思えば、できるようになる努力をするしかないのだ。

まだまだやらなければならないことが多いことに改めて気付かされたのが、異業種交流会に出たことの、1つの大きな成果である。

井の中の蛙になってしまってはいけない。

育てる研修の形

研修といえば、講師が話し、受講生がノートを書いて一日が終わる、というイメージが強いのではないだろうか。

そして、時々質問があり、講師が回答する。

実習が含まれる研修も、最近では多い。演習問題が時間を決めて出され、時間内にできなければ解答が配られて説明がなされる。ワークショップが実施されることもあるが、時間は例えば三分など短い。

このような研修では、本来の研修の道具の力を発揮できていない。

講師が話すこと。
これは必要である。
だが、長く話しすぎてはいないか?
3時間知らないことを話されたら、それを理解しながら覚えることは、ほぼ不可能だろう。
少なくとも私には無理である。

演習問題は、自分で解けて初めて意味を持つ。特に時間内で終わらない人にとってはそうである。
解答を配ることは、やり方にもよるが、考える機会とモチベーションを奪ってしまうに等しい。

ワークショップの3分でできたのは自己紹介だけだった、なんて笑い話もあるが、実際にどこまで話し合いができて、そこから何かを得られたか、が、重要である。

気づきを得て、学びの道具として使うワークショップには、やはり必要な時間がある。

考えさせて育てる研修には、これらの配慮が欠かせない。
それがないものにも、有効な研修はもちろんあるだろうが、育てる研修にはなっていない場合が多いのではないだろうか。

講師が長く話さないためには、的確に話をする必要があり、その準備もスキルも欠かせない。

演習問題がなかなかできない人を待つのには覚悟がいる。解答を配って、できたことにしてしまった方が楽である。

本当のワークショップからはさまざまなものが出てくる。何が出てくるか分からないものに対して、きちんと対応するためには、講師にも幅と深みが必要である。

さて、これまでのあなたの見た、受けた研修は、人を育てる研修だっただろうか?

考える力を育てる研修だっただろうか?

セキュリティとインフラ

衆議院のネットワークがハッキングされたことがニュースになっている。少し前のソニーでもあったし、防衛関係の企業も侵入されたとかされないとかやっている。
毎日、そんなニュースが流れている。

だが「侵入」が具体的にどんなことなのかを知っている人が、どれぐらいいるのだろうか。

技術的な内容がメディアに載らないのは、セキュリティ的な観点からは当たり前であるが、もう少し「何が危ないのか」は徹底して教えておく必要があるだろう。

いくつかあげてみよう。

・大丈夫と確信できるファイルは開かない。
基本的に「どこの誰が送ってきたか」、「どこから持ってこられたか、」、「なんのファイルか」などの素性が明らかでないファイルは開いてはいけない。
メールの「From:」は簡単に詐称できるし、意図していたの違うホームページが開かれているかもしれない。
Windowsパソコンなどでは拡張子にも注意しなければならない。
ファイルを「開く」時には注意が必要で「とりあえず開いてみる」は御法度である。
君子危うきに近寄らず、が絶対的な真理である。

・アンチウィルスが入っているから安全ではない。
アンチウィルスユーティリティが入っているからといって、それで全てがカバーできるわけではない。
あくまでも保険である。
新しいウィルスが出てきて、それが発見されてから対策されて広まる場合もあるのだ。
発見が単なる発見なら良いが、感染して見つかる場合もあるだろう。
入っているから安心、ではない。
セキュリティの各種設定もできるようになっているが、無効にしたままではそもそも意味がないが「不便だから」という理由で「無効」になっている例も見かける。
多くの場合、そのことも忘れている。
もっとも、セキュリティプログラムをいれていないのは問題外である。

・USBメモリにデータを入れて。
他の人からUSBメモリでデータをもらう場合、それが感染している場合もある。
メディアに対するウィルスチェックがなされるかどうか、確認しなければならない。

・便利なユーティリティをネットから導入。
本当に安全なのか確認することは難しい。
スパイウェアと呼ばれるような、一見問題ない動きをしていて裏で悪さをするものもある。
実際の監視はかなり難しい。

だが、これらが徹底できたとしても、まだ危ない。

何もしていなくても、ネットワークに接続するだけで感染する場合もある。
これを考えるにはネットワークの構成に関する理解も必要である。

また、サーバー上のサービスを提供しているプログラマが正しい知識を持たなければならないし、持っていたとしてもそれをきちんと使わなければ意味がない。
もちろんWindowsなどのOSについているプログラムもそうである。
実際には漏れがあるので、セキュリティアップデートなどとして、脆弱性が見つかったプログラムを入れ替えて更新している。

バッファオーバーフロー、SQLインジェクションなど高度な攻撃方法もあるが、基本的な対策案はある。
だが、現状、それを徹底させる方法がない。

今のコンピュータは安全には作ってない。
安全に、ではなく便利なように作ってある。
その便利さがセキュリティホールの原因になっている。

ウィルスというのは、いわゆる「プログラム」である。
今のコンピュータはウィルスでも、通常のプログラムでも区別せずに動かす。
だが、ウィルスプログラムを動かしてしまったら負けである。

本質的には、データスタックとプログラムスタックを分離したCPUを使ったり、データは文字列ではなくオブジェクトととしてしか扱えない言語を使ったりするような、根本的な解決を図らなければならないのだろうと思う。

WindowsXPのサポート切れが近づき、Windows7もしくはWindows8への移行を促されている。
提供元のマイクロソフトでは、Windows7のほうがWindowsXPよりも安全と言っているが、Windows7でもウィルスに感染するときはする。
ユーザーに正しい知識(を求める必要はないはずなのだが)がなければ、ダイアログを出そうが何をしようが、ウィルスプログラムを実行できてしまうからだ。

マイクロソフトという一企業のプロダクトが世界中に影響を与えすぎではないかと、私は思う。

セキュリティの面からも、コストの面からも、OSレベルのソフトウェアは、基本的に公のものであるべきなのではなかろうか。
少なくとも「一企業の独占」ではいけないはずである。

そうすると「停滞する」という声が上がるかもしれないが、安定のための停滞ならばよいと思う。
例えば、WindowsXP では絶対にできないこともない。

競争が必要ならば、「OSの規格」を定めてその実装を競ってもよいだろう。
以前の TRON が目指したことであるが。

セキュリティに関して言えば、私に言わせれば「危なすぎる状態」がずっと継続しているように感じられる。

Windowsは便利であるが、長期的に考えて、違う方向を探っていかなければならないはずである。
かなり難しいことが山積みではあるが。

「スキルコーチングで育てるスキル」が私の強み

昨日、無料のマーケティングセミナーへ出席してきた。
実際にはさわりをセミナーで話し、本格的な内容は○○万円はらって聞いてね、という販売セミナーだったのだが、そのさわり部分でもいろいろ参考になった。

出席したのは「ジェイ・エイブラハムのマーケティングを学ぶ無料体験講座」というものである。

無料の体験セミナーということで、本当にさわりの部分だったのだが、私がやろうとしていることやっていることが、明確な言葉として表現されている部分もあったし、なるほど、という部分もあった。
欲目で見えなくなっている部分に気付かされることもあった。

余裕があればこの商材を買って学んでみたいが、残念ながら現在はその余裕もないので見送りである。
そのうちに余裕ができたら一度しっかり学んでみたい。

だが、さわりから学べたものも多いし、刺激をもらうこともできた。

その中の一つに「自分の(自社の)UPSを明確にする」というのがあった。

ちなみにUSP(Unique Selling Proposition)とは「独特の強み」のことで、オンリーワンになるために必要なものである。
UPS(無停電電源装置)ではない。

知っていたことも、人に話してきたようなことも、明確な言葉にすると力が増す。
ここのところそのような経験が多いので、ここでも私の「強み」を明確な言葉にしてみる。

・スキルコーチング技術
コーチ側が答えを持たない場合はやむを得ないが、教える事が決まっている場合にはスキルコーチングの方が圧倒的に有利である。
昨日の異業種交流会の中でメンタルコーチングをされている方と話をさせていただく事があったが、おもしろいですね、と言っていただけた。
パーソナルコーチングの経験もある。

・講師スキル
まだまだ未熟ではあるが、相手を巻き込むような話し方はできるようだし、スイッチが入っていれば聴くこともできるという、講師スキルは持っている。
他の講師と比較することはほとんどないが、プロ講師を育てるという解説ビデオを見ていても、とくに目新しいこともなくすでにやっていることが多かったので、それなりのレベルなのだろう。

・コミュニケーションスキル
コーチングスキルは双方向のコミュニケーションスキルであるため、メンタルコーチングの技法を含め、ただ話すだけの講師よりは、よりコミュニケーションに対して深く関わっている。
それを教えるという行動を通して、さまざまな伝え方ができるようになっているのもポイントだろう。
カウンセリング分野に一歩踏み込んだ知識と経験も

・IT業界における広く深い経験
ハードウェアの設計から、組み込み、業務アプリ、Webアプリ、ネットワークアプリまで20年を超える、数多くの開発経験からさまざまなものを学んできた。
IT業界以外の多くの業界に接することができ、多くの企業文化にも触れてきた。
開発業務については、広く深くという形になっている。
これらの経験と知識は私の大きな財産となっている。

これらが、私のもっとも重要な柱である。

つまり、私の強みの大きな要素は「育てるスキル」そのものである、ということになる。
「育てるスキル」をのぞく専門としては「IT関連スキル」である。
結局、私の最大の強みを発揮できるのは「IT関連スキルを身につけさせること」になる。

だが、実際には「専門的な事を知っていること、できること」より「育て方を知っていること」のほうが、学ばせるために有利であるのは私の経験から明らかである。
そういう意味からは「スキルコーチングをベースとした育てるスキル」のほうが強みとしてより優位である。
20年を超えるIT開発の経験からくる専門性がかすんでしまうほど、「育てるスキル」は強い。

そして、そのスキルを人に伝えられるレベルで理解し実践していることが、私の最大の強みである。

「心に火をつける方法」を知りたければ聞いて欲しい。

「心に火をつける技術」を身につけたければ、私の研修を受講して欲しい。

このように言えることが、私の最大の強みである。

ついでに、少し弱みを述べておこう。

それは、残念なことだが「育てるスキルの重要性、コーチングの有用性」が、まだまだ一般の研修において認知されていないことだと思う。
メディアでもいろいろな情報が流れているが、まだ点である。
多くの情報が流れ、点と点がつながり、線となり、線が重なって面となるまでには、もう少し時間が必要かもしれない。
それまでは「弱み」をカバーして余りある「強み」を提供し続ける必要があるのだろう。

やはりチャレンジである。