廃用萎縮、という言葉がある。
医学的には廃用症候群といい、動かさない筋肉などが萎縮し機能不全を引き起こすことなどを指すらしい。
介護分野では、寝たきりの方の骨や筋肉が衰えることを廃用萎縮と呼ぶそうである。
廃用萎縮は健康な人間にもおきる。
宇宙飛行士の骨や筋肉が弱るのは有名な話である。
生物は使わない機能はなくしていこうとするらしい。
それ自体は、栄養などの資源やエネルギーの節約という意味ではとても納得できることであり、当たり前のことなのだろう。
コーチや講師として人の成長に関わる仕事をしていると、廃用萎縮というのは筋肉や骨といった目に見えるものだけに起こるわけではない、と感じる。
体を動かすための神経系の調整能力などもそうであり、考える力、などという能力にも廃用萎縮があると思う。
研修において、考えさせる力を身につけさせる、などと言ったりはするが、実際のところ、考える力などは、すべての人が持っているものである。
学校教育などで、考えることではなく覚えることを求め続けられているために、萎縮し、忘れてしまっているだけなのだ。
私が行っているのは、その萎縮している機能に気づかせて活性化させているにすぎない。
人間の持っている力はもともと素晴らしいのだ。
私の仕事の第一は、すでに存在するものに気づかせ、使えるようにするリハビリのようなものらしい。
廃用萎縮してもまったくなくなってしまうわけではない。
廃用ではなく必要になればまた復活するし、より重要になれば、さらに成長もする。
講師は教える仕事ではない、といつも言っているが、実は育てる仕事でさえないかもしれない。
根っこはもともと人が持っている力なのだ。
それが必要になれば顕在化し、重要ならば人は勝手に成長させていく。
医者にも治すのは患者の力、という言い方をする人がいる。
おそらく講師も同じである。
気づかせ、重要と感じさせること。
その上で方向性を与えることができれば、他のことは「ささいなこと」なのだろう。