4章 意識を変える
1. そんなの知りません!
技術研修が始まって数日たちました。
課題への取り組み方を見ていてそろそろ大丈夫だと思ったので、新たな要素を加えることにしました。
「今日は、これから渡す仕様に基づく設計書を作ってもらいますが、これまで設計書を見たことがある人、手を上げてください。」
自信がなさそうにぱらぱらと手が上がります。
「何人かはいますね。それでは、自分で書いたことがある人、手を上げてください。」
二人残りましたが、さっきよりもさらに手が低くなっています。
「どんなふうに作りましたか?」
「テンプレートを埋めて作りました。」
「私も、同じような感じです。」
「なるほど。」
だいたい予想通りで、計画通りに進められそうです。
設計書とはプログラムを書くための元となる資料で、多くの開発プロジェクトでは重要な意味を持つドキュメントです。実際の現場でもちゃんとした設計書はそれなりに経験のある技術者の仕事です。
「今回の設計書を書く作業では、テンプレートはありません、好きな形で書いてください。
みんなで見られるように模造紙に書いていてもらいますが、それを見てプログラムを書くことができれば、どんな書き方でもかまいません。
やることがわからない人はいますか?」
「・・・・・・」
やることはとても漠然としていますが、指示そのものは短くて明確なので、具体的な質問は出てきません。
「それでは質問はありますか?」
「時間はどれぐらいですか?」
「3時間です。」
「模造紙は何枚まで使ってもよいですか?」
「必要なだけ使ってかまいません。」
「発表はあるんですか?」
「はい。作成した設計書を説明してもらいます。発表者は自由で、時間制限もありません。」
さすがに、何度もワークショップをやらされているだけあって、質問に漏れがなくなってきています。
「それでは作ってもらう仕様を配ります。」
配っている最中からあちこちで「えぇっ」という声が聞こえます。
まぁ、今やっている問題からすればかなり難易度が高いのでやむをえないでしょう。
「何か質問はありますか?」
いくつか仕様に関する質問に答えます。
「他に質問は?」
「・・・・・・・・・・・」
質問もネタ切れのようです。
おもしろいもので、難しい課題の時ほど、先延ばししたい心理が働くのか事前の質問が多くなる傾向があります。淡い期待を打ち砕くように、サクサクと質問に対応していきます。
「では、作業開始。」
各グループ、それぞれ動き始めます。
早速議論を始めるグループ、とりあえずは一人で考える時間をとるグループなどさまざまです。
10分ほどすると、各グループでの議論がだんだん賑やかになってきます。
「設計書って、何を書けばいいの?」
「そんなの知らないよ!」
実際に叫びこそしませんが、心の叫びが聞こえるようです。
多くの技術研修では、あらかじめ決められたテンプレートを配布し、各項目を埋めさせることで、設計書の書き方を学んでいきます。そこではその項目がなぜ必要なのかを考える必要はありません。
しかし現場で必要なのは、その項目がどういう目的で必要で、どんな内容が要求され、どういう表現をしたら良いのかを考える力です。
その力を身につけるためには、何度も繰り返して試行錯誤し、考えることが必要です。
穴埋め式のテンプレートでは、それを考える必要はあまりありませんし、テンプレートそのものの良し悪しを考える力は育ちようもありません。
知らないことについて一生懸命に考えることが、本当の力を身につけることに役立つのです。
この後、作った設計書を元にプログラムを書き、振り返りワークショップを行うサイクルを何度か繰り返すことになりますが、最初のうちはぼろぼろです。ですが3~4回の挑戦で、あらかじめ決められたテンプレートと、同じような項目が含まれるところまでたどり着いてくれます。
自分たちの力でそこまで来られた、ということに気づけば、それ以降、新しいことに取り組むことを怖がらなくなります。
2. 答えはもらえるんですか?
ちょっと難しい演習問題に進んだ人から質問が来ました。
「先生、正解はもらえるんですか?」
「答は用意していません。自分で正しいかどうかを確認してください。」
演習問題に取り組み始めた頃に必ず出てくるやり取りです。
研修中に演習の時間がとれる限り、私は解答は渡しません。
答えを入力して動いたことが確認できても、それは理解したことになりませんし、答を解析して動作を理解できたとしても、自分で作る力にはならないからです。
解答を配って説明し演習の目的を果たしたことにする、というのは講師側の勝手な思い込みにすぎません。それはどんなに解答を丁寧に説明してもかわりません。
できるようになるには自力で解決する力を身につけるしかなく、講師は見守り、アドバイスを与えて励まし、待つことしかできないのです。
また、自分で正しいかどうかを確認する習慣も大切です。社会に出ればあらかじめ用意された答えがあることばかりではありません。実際には答えがないほうが多いでしょう。その際に自分でできる限り検証し、自分だけでは判断できない時には上司などに聞く、という行動ができるようにするためには、自分で検証する習慣をつける必要があります。
求められるまま答を与えることは、そのような習慣をつける機会を奪うことにもつながるのです。
ですが、解答を配布しないことは、講師にとってはとても怖いことです。
このまま最後までできなかったらどうしよう、答を見せて説明したら理解してくれるのではないだろうか、と考えてしまうのです。
しかし、それが受講生からいろいろなものを奪う行動であることも確かなのです。
受講生を信じて講師が我慢することが大切です。
受講生が他のやり方を見てみたい、という希望を持っている場合には、別の考え方を紹介して自分でプログラムを書かせればよいので、そこでも解答を配る必要はありません。
もし、私が解答を喜んで渡すシーンがあるとすれば、解答とほぼ同じ考え方で同じようなプログラムを作成できた場合でしょう。
解答のプログラムの方が「美しく」書けていることが多いので、解答を渡された人を悔しがらせるのにとても役立ちます。「解答だとこんなにきれいに書いてあるよ。」の一言でもつければ完璧です。
悔しいと思った人は、次は「美しく」書く事を心がけるに違いありません。
私は、とことん意地悪なようです。
3. 「これでいいですか?」
自由に課題の問題を進める時間、研修室を歩いて見回っているとY君に呼び止められました。
「先生、動いたみたいなんですが、これでいいですか?」
「自分で動作確認しましたか?」
「はい。でも、見て確認してもらいたいんですが。」
「どうして?動いているのならいいのでは?」
「でも、心配で。」
「なら、もう大丈夫と思えるまでしっかり確認してください。」
「・・・・・・」
納得がいかないようで、渋々と自分の席に戻っていきました。
研修の開始から間もないときには、このようなやりとりをすることがあります。
私が見て「良い」「悪い」を言うことは簡単なのですが、安易に答えてしまっているうちは、自分自身の行動に責任を持つ、という意識は現れてきません。
先生や講師に目にかけてもらいたい、という気持ちも感じられ、このままでは「上司の起源をうかがう」ことに汲々とするタイプになるかもしれません。
自信のなさが「確認して安心したい」という気持ちにつながります。自分で判断して前に進んでもいい、という経験を重ねることで、自然に自信が付き「これでいいですか?」と聞くことが減っていきます。
それまでは優しく突き放し続けます。
◆コラム◆ 自発的な行動を引き出す
自発的な行動というのは「やりたい」という気持ちがなければ生まれてきません。特に新人研修などでは、学生時代に「言われたことをこなしていればいい」という生活を送ってきた人が多く、その行動パターンをそのまま引きずっていることも多いため、なかなか自発的に動けない人がいます。
講師が「自分で考えたように動いていいんだよ。」というメッセージを送り続けることで、次第に自分たちで役割を見つけ、目的を見つけ、動き出すようになっていきます。
自分で動いたことによって何らかの成果が出てくれば、自発的な動きは加速していきます。
人間はもともと「いろいろやってみたい」という気持ちを持っているものです。
「それじゃだめ」と言われ続けるうちにその気持ちが小さくなっているだけなのです。枠にはめられていると言ってもよいでしょう。
「やってみたい気持ち」を引き出すには、その枠を取り払って本来の姿を見られるようにしてあげれば良いのだと、私は思っています。