新人教育物語(3章学びの形)

3章                  学びの形

1.  技術を学ぶ

 

新人研修も開始してから4日ほどたち、技術研修の要素も多くなってきました。

 

技術研修では受講者の技術レベルには大きな差があることが普通です。これは個人の能力というより、それまでの経験の違いが大きく影響します。

 

今日は私が渡した、たくさんの練習問題が載っている課題を好きなだけ進める時間です。

問題は簡単なものから難しいものまで順番に並んでいます。

 

最初は進め方についての指示を出します。

 

「自分ができないところから始めてください。問題を見て答えがすぐに頭に浮かぶようならその問題は飛ばしてもかまいません。

わからない問題があれば、その前の問題に戻ってみてください。」

 

技術レベルが違いますから、当然進み方は人によって大きく違います。

ですが、簡単な問題は飛ばしてもよい、難しければ戻りなさい、という指示のため、各自が自然に自分に合った問題に取り組むことになります。

感覚としては、小学校の低学年の問題から、中学3年生までの問題が順番に並べてある感じです。今回はまだ出しませんが、その上に高校卒業レベルまでの問題を用意し、とてもできる人にも対応できるように準備はしています。

 

順番に全部やりなさい、今日はこの問題をやりなさい、では、個人のレベルと問題のレベルのかい離が起きて、モチベーションの低下につながるので、それを避けるための工夫です。

 

ここまでにモチベーションを上げてあるので、みんな一生懸命に課題に取り組んでいます。

 

「やった、動いた!」

 

たまにこのような声が上がります。

おもしろいもので、課題ができた時に無意識にこのような声を上げる人が結構います。

 

たまに出る質問に対応しながら見回っていた私も、声につられて見に行きます。

 

「どれどれ、動かしてみて。」

「はい。ほら。」

 

言葉づかいなんて気にしてはいけません。

画面上には課題の問題と同じ表示が出ています。

 

「やったね。どのぐらいかかった?」

「半日かな?」

「頑張ったね。次はどの問題?」

「これです。」

「じゃ、次はそれだな。」

「はい!」

 

隣で同じ問題に取り組んでいて先を越された人の、悔しそうな顔は見て見ぬ振りをして、私はまた見回りに戻ります。

 

声を上げた人が取り組んでいた問題は、早い人なら10分もあれば終わる問題かもしれません。ですが大切なのは早さではなく、時間はかかっても自分の力でできた、という経験です。

自分が頑張ればできるんだ、という自信は、間違いなく次の問題に取り組む強いモチベーションになります。

 

逆に、時間切れで解答を配られた場合に、最初は「次は頑張ろう。」と思えるかもしれませんが、それが繰り返されるうちに「やっぱり私はダメなんだ。」に変わっていくことは必然でしょう。そうなると「落ちこぼれ」と呼ばれるようになります。

解答を配らなければできなかった落ちこぼれが、解答を配ることによりできてしまうことになります。

 

あらかじめ設定した達成ラインにたどり着けなければ同じである、という言い方もできるかもしれませんが、高いモチベーションを持って自発的に勉強している時には、最大の学習効率を発揮していることが多いので、それでたどり着けない場合には、達成ラインが不適切であるか、研修開始時のレベルの問題か、問題やアドバイスが不適切かのいずれかです。

いずれにしても研修の実施サイドの問題です。

 

技術を学ぶことは、すなわちスキルを身につけることです。

スキルを身につけるためには「試行錯誤」と「考えること」が不可欠です。

そのための十分なモチベーションと学ぶ機会を与えることが、本当の技術の習得につながります。

 

2.  教え合う関係

 

個人のレベルにあった課題を進める時間です。

 

「どうして動かないんだろう・・・???」

「どれどれ・・・」

 

「どれどれ」と言っているのは私ではなく、近くにいる同じ新入社員です。

 

問題に取り組んでいるとこのような会話が聞かれるようになります。

 

このような動きが出てきたことが確認できたので、次のような話をします。

 

「ちょっと手を休めて聞いてもらえますか。」

 

伝えるのにもっとも適したタイミングがあります。必要ならば作業の中断もやむを得ません。

 

「分からない問題があったら、とことん考えてください。とことん考えて、いろいろと試して、それでも分からなかったら聞いてください。

聞く相手は私(講師)でも近くにいる人でもかまいません。もし誰かに聞かれたら教えてあげてください。人に教えるためにはきちんと理解していることが必要です。教える事で自分の分かっていない点も明らかになります。教えることはとても良い学びになります。教える事により、教える人の方が多くを学べるはずです。

 

ただし、教えるときには解答を教えてはいけません。それは聞いてくれた人の、答えを見つける楽しみを奪ってしまうことになります。教えられたとおりに打ち込んで動いても、誰も楽しくありません。人の楽しみを奪ってはいけません。

 

もし、ヒントを与える教え方が難しければ、疑問文を使って教えてあげてください。『どうしてこうしたの?』『ここは他のやり方はないのかな?』こんな感じです。これならば直接的な答えを言わずにすみます。

 

それでは作業に戻ってください。」

 

このように話して「人に教える行為」を積極的に勧めることで、お互いに教え合おうという動きが出てきます。教える側はちゃんと教えようとして必死に学びますし、教える側も同じ立場の人から教えられることで、理解しなければという意識がさらに高まります。

 

繰り返して問題に取り組む中で、あるときは教え、あるときは教えられる、ということを繰り返すことで、お互いの「絆」も強くなっていきます。

たまには「教えていた側」と「教えられていた側」が二人で悩んでしまい、一緒に考えて答えを見つける、ということも出てきます。それも「教えられていた側」が解決したりして「教えていた側」が「なるほどなぁ」と感心していたりします。

このような逆転現象も珍しいことではありません。

 

このような経験を重ねることで「自分で解決できる」から「自分たちで解決できる」という意識が高まっていきます。これはチームで協力して作業をする際の感情的な裏付けになっていきます。

 

3.  教えて怒られた??

 

あちこちで、少しずつ教えたがりが出てきているようです。

教える、というのは人間にとっては快感ですからやむを得ません。

 

「ここはこうすれば動くよ。」

 

質問された人が、質問した人のパソコンの前に座って操作して動かしています。

すかさず注意しに回ります。

 

「代わりにやってあげてはいけません。やってあげても、教えたことにはなりません。やってあげることは自己満足です。相手のことを考えて、きちんとヒントを与えて、質問して導いてあげてください。」

 

教えている人は当然「よかれ」と思ってやっていたわけですが、私の研修会場では教え方が間違っていれば即座に指摘されてしまいます。講師も含めて誰も学ぶ楽しみを奪う権利はないからです。

 

また、この研修は新入社員研修ではありますが、現場に配属されて一年後には部下を持つ可能性もあります。

その際にすべてやってあげてしまっては部下が育たないでしょう。人を育てる方法を知っていることも、これからの社会人人生では重要なことです。

 

実は「教えてしかられる」のは新入社員ばかりではありません。

 

ある程度の人数の研修では、サブ講師が付く場合もあります。

今回の研修でもサブ講師が一人います。

 

技術講習が始まったころに、サブ講師の人が、ある受講生につきっきりで「こうするといいよ」「ああするといいよ」と言っていました。しばらくは様子を見ていたのですが、これはまずいなと思ったので「ちょっと、こっちに来てください。」と呼び出しです。

 

さすがに指導方法について受講生の前でサブ講師をしかるわけにはいかないので、部屋の外まで連れて行って話をしました。

 

「教えすぎです。全部やってあげたら、新人さんが何も学べません。ヒントを与えて、答えを見つけさせてあげてください。

新人さんのパソコンをさわらない、画面も見ない状態で、質問により導くことを心がけてください。

やり方が分からなければ、しばらく私を見ていてください。」

 

サブ講師にも育て方を学んでもらわなければなりません。

 

現在の技術研修では、教え方を知っているよりも技術を知っていることが講師の選択基準であることが多くなります。ですが技術に詳しければ教えられるか、といえばそんなことはありません。そのため、サブ講師に「教え方」を伝えることも私の仕事になることがあります。

 

最初こそは「教えて怒られた」とへこむことになり、手も足も出せなくなりますが、教え方、導き方についての理解が進むにつれて、少しずつヒントを出せるようになっていきます。

 

もっとも、技術研修で自分で答えを見つける楽しみを知ってしまうと、受講生からは質問がほとんどでなくなります。よっぽど困った場合でも仲間同士で考え、私が近寄って「答えを教えようか?」と聞いても「いや、まだいいです。」と断られるようになっていきます。

そして、よっぽど困ってから悔しそうな顔で質問に来るようになるのです。

 

◆コラム◆ 学ぶ場の醸成

 

研修会場というのは、受講者が学ぶことはもちろんのこと、参加している講師、サブ講師、すべての人間が学ぶ場であってほしいと思っています。

教え、教わり、考え、試行錯誤し、答えを見つけ感動することを、全員が繰り返していけば、自然と学ぶ場は作られていきます。

 

全ての人が学ぶ気持ちを持っている場、というのは不思議な力を持っていて、自然と人のやる気を引き出していくものです。

「教えてもらう教室」ではなくて、「みんなで学ぶ勉強会の会場」という雰囲気の中で、進むべき道筋を示すことができれば、参加している人はみんな勝手に学んでいってくれます。

 

講師が答を教えることを繰り返しているうちは学ぶ場はできません。

 

講師の最大の仕事は、学ぶ場を作り、維持することだと思っています。

 

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