座学なんていらない

今年に入ってから、新人研修を含む何件かの技術研修を担当させていただいた。

その中で、これまで考えていたことを実践してきた。
それは「技術研修でも座学は不要」ということである。

すでにヒューマンスキル系の研修においては座学をほとんど行っていない。
振り返りのグループワークの後にコメントをするぐらいである。

だが、これまで実施してきた数多くの技術研修では「技術研修には座学は欠かせない」という常識に縛られ、疑問を持ちながらも座学に時間を割いてきた。

技術研修において持っていた座学に対する疑問、というのは次のようなものである。

・座学になると眠くなる人がいる。
特に、聞いていて欲しい人ほどその傾向が強い。
意味があるのだろうか?

・全ての人が同じ速度で理解できるのか?
座学ではどうしても1つのペースしか実現できない。
時間の無駄ではないだろうか?

今までの受講生の中には「眠かったので、シャープペンシルで太ももを刺しながら起きていました。」などという人もいた。

もちろん、わけの分からないことを延々と話し続けるような座学では眠くなっても仕方がないのだが、どんなに抑揚を付けて、質問を投げかけながら、短い説明を心がけても、程度は違うが、眠たそうにしている人は出てくる。
極端な話、講師だけが起きて話をしていて、受講生全員が寝ているような状態があってもおかしくないのが、今の多くの研修における座学の状態である。

これでは何をしているのかわからない。

また、いろんな言い換えをしながら説明をしても、理解できるタイミングは人それぞれ異なる。
同じタイミングですべての受講生が理解をする、などということはあり得ない。

どんなに微に入り細に入り説明をしても、ベースが違い、人が違う以上、これはやむを得ないことである。
そして、全ての人が理解するまで説明をすることは、最後に理解する人以外を眠らせてしまう、だらだらした説明につながるだろう。

そんなことをずっと考えてきたので、これまでは座学のことを「必要悪である」という表現をしてきた。

だが、コーチングの理論に立ち返って考え、研修の現場で見たことを分析して考えてく中で、本当に「必要悪」なのだろうか、という考えに至った。
「必要悪」ではなく、ただの「悪」なのではないか、と。
「悪」ならばやってはいけないのではないか。

そこで、今年に入って短期の技術研修を何度か実施させていただく機会を得たので、その中で「座学を使わない技術研修」の形を模索してきた。

もちろん、学習のモチベーションを保つためにさまざまなことを行った。
資料は用意し、調べ方は伝える。
グループワークを基本とする。
理解につながる課題を用意する。
適切なインストラクションとコメントを行う。
可能な限りの演習を行う。
などなどなどなど

模索の中で、手ごたえをつかむことができたので、その集大成というわけではないが長期の新人研修でも「座学を極力なくす」を実践した。

結果は「成功」であったと思う。

新人研修では期間も短くカリキュラムで設定されていた内容も多かったのだが、恐らくこれまでの座学を中心とした研修では望めなかったであろう成果が得られたと感じている。
また、意識を変える、という点についてもこれまでは悩むことが多かったが、あるヒントが得られたとも考えている。

研修期間中の受講生達は、期間中、非常な集中力で学び続けてくれた。

もちろん、完璧ではないし、まだまだ工夫、配慮する余地があるのは間違いない。
例年と同様に多くの反省点もある。

だが、講師の自己満足のための座学はなくても技術研修は成立する、というのは確信することができた。
これからは、そのための手法をより洗練させきちんとした体系にしていかなければならない。

座学をまったくなくしてしまうことは難しいだろうし、逆に効率を下げてしまうことになるだろう。
だが、不要な座学はいらない。
何が必要で、何が不要なのか、これからも常識に囚われず「くもりなきまなこ」で確かめ続けていき、よりよい学びの場を作り続けていきたい。

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