GWの前半、アカペラ甲子園のハモネプのビデオを見て泣いた。
少し古いビデオなのだが、審査員の研ナオコが聞いて涙したセンメの「海 その愛」である。
以前にも書いたが、私はかなり涙もろい。
本を読んでも、映画を見ても、歌を聴いても、アニメを見ても、演劇を見ても、ラグビーの必死の子供たちを見ても泣いてしまう。
感動したり、自分の経験と重ねて胸が詰まったり、いろんな理由で泣けるものだ。
ハモネプのビデオを見てて、実際には最後のセンメの前にもうるうるしていた。
それまでの練習の大変さを想像し、極度の緊張の中で必死の姿を感じ、涙腺が緩んでしまう。
演奏そのものもすばらしい。
そのすばらしさが、また大変な努力を感じさせてくれる。
だが、センメの「海 その愛」はちがった。
歌そのものに力があった。
歌いたいという気持ちがあった。
ひとしきりハーモニーを楽しんだ後、感動、というものについて考えてみた。
そして、私の場合、感動の源にはいくつかの種類があるらしいことに気が付いた。
1つは、自分の経験と重ねてそれを思い出して重ねてしまう場合。
2つめは、努力とか途中の過程を想像し、勝手に共感してしまう場合。
そしてもう3つめは、作品そのもののもつ力にやられる場合。
センメの歌には3つめの「歌という作品に込められた歌いたい想い」という作品そのものの力にやられてしまったようである。