8章 育てる講師の姿勢
1. 自発的行動と講師の関係
研修により受講生の自発的な行動、学習を引き出すことができますが、逆に自主性を抑えてしまうことも簡単にできます。
技術研修が始まったばかりの頃です。
「先生、ここがわからないんですが。」
演習時間中にU君から質問がありました。しかし話を聞いてみると参考資料に書いてあるような内容で悩んでいるようです。
「それはどっかに書いてあったな。きちんと調べてみたかな?」
「一回見たんですけどよくわからなくて。」
「ちゃんと書いてあるからもっと読んでみて。」
「え、教えてもらえないんですか?」
「現場に出たら誰もそんなに細かいところまで教えてくれないよ。自分で解決してごらん。」
「・・・・・・・」
腑に落ちない様子ですが、渋々調べ始めたようです。
しばらくしてからU君のところに行ってみます。
「さっきのところはできた?」
「はい、何度も見たら書いてありました。やっぱり探し方がたりなかったんですね。」
「ちゃんと探せば見つかるんだから、そんなに簡単に聞いたらもったいないよ。見つけたとき嬉しかったろ?」
「はい。思わず小さな声で、やった!って言っちゃいました。」
受講生の質問にすべて答えてしまうことは講師としての優しさではありません。過保護で、何も自分ではできない子供を育ててしまう親と同じです。
本当の講師の優しさは、研修の後に役に立つスキルとモチベーションを与えることであるはずです。自分の力で生きていける子供を育てる親でなければいけません。
そのためには、考える機会を奪っても、見つける喜びを奪ってもいけません。
考えること、調べることを通して、自分でできたという楽しさ、嬉しさをたくさん経験すればするほど、モチベーションが高まり自分で調べたいという気持ちが大きくなります。
自分で解決できたという経験をたくさんすれば、それは自信に変わっていきます。
自信がつけば、問題にも積極的に取り組めるようになっていくでしょう。
自主性を持たせたければ、自主性が育つまで待たなければいけません。
「分からないから教えてやろう。」という姿勢では、いつまでたっても自主性は育ちませんし、自発的な行動を育てることはできないのです。
「分からないから考えさせてやろう。」でなければならなりません。
自発的な行動を引き出すには、先回りして答えを与えることも、見つける前に答えを渡してしまうことも望ましい行動ではありません。
なかなか理解できない人に答えを渡して説明したくなる気持ちもよくわかりますが、それでは本当の理解もモチベーションも自発的な行動も育てられません。
自発的な行動を引き出せるのは、指導者の我慢だけです。
2. できすぎる新入社員
「先生、viを使ってもいいですか?」
質問をしてきたY君は大学院で情報工学を学んできた人です。
viというのはテキストを入力するための道具ですが、プロでもあまり使っていない玄人向けのものです。
この質問だけでY君がどれだけできるかわかります。
初心者もターゲットとしたこの新入社員研修の内容は、諳んじているぐらいのレベルである可能性が非常に高いです。
実際に後にわかったことですが、プログラミングのスキルは講師の私を上回るほどのものでした。
講師をしているとこのようなことがたまにあります。
よく講師の仲間の話に出る内容に、「できる人とできない人のどちらのレベルにあわせて講習を行うべきか?」というものがあります。
Y君のようなレベルの人がいるところで、初心者レベルの研修をすれば、Y君の研修に対するモチベーションはきっと下がってしまうことでしょう。かと言ってY君のレベルに合わせた講習では誰もついてこられません。
この例は極端な例ですが、程度の差はあれ同じような問題は常に存在します。
講師としてはすべての人に高いモチベーションを持ってもらいたいので、これは常に悩ましい問題となります。
そのため、講師仲間の会話にもよく出てくるのでしょう。
「この研修は退屈でしょう?」
Y君に対して聞いてみます。
「そうですね。初心者向きの内容が多いですから仕方ないです。でもワークショップは楽しいですよ。」
「どんなところが楽しい?」
「大学のときに塾の講師をやっていたので、教え方というのに興味があるんですが、ワークショップだったり、教えないで教えるという考え方だったりにはすごくショックを受けました。こんなやり方があるんだなぁ、って。」
「Y君はこれだけできるから、現場に入っても早い段階で部下を持つ可能性が高いだろうな。」
「そうかもしれません。」
「育て方を知っていることは、そのときに役に立つかもな。」
「そうですね、そう思います。」
「もし、私の教え方について知りたいことがあればなんでも質問していいよ。知ってることは教えるから。」
研修で学べることは一つではありません。
大事なことは一人一人が自分自身の課題を持ち、それに挑戦することです。
技術の問題であれば、簡単な問題から難しい問題までを用意し、それぞれのレベルに合わせた問題に取り組めば、難しすぎる、簡単すぎる、というレベルの問題はなくなります。
また、興味を持つところが、育て方だったり、コミュニケーションだったり、リーダーシップだったりしてもよいのです。
Y君の場合には、この後のグループワークでリーダーのあり方や教え方についてさんざん悩むことになりました。
人の気持を考えて対応することは、プログラムを書くことよりもだいぶ難しかったようです。
ですが、その経験はこれからの人生できっと役に立つことでしょう。
3. 雑談の使い方
休憩時間は受講生には休憩時間であっても、講師の休憩時間ではありません。
休憩場所での会話です。
「どう?グループワークはうまくできてる?」
「だめですねぇ。脱線しちゃうことが多いし、ちゃんとやってるつもりでも気がつくと方向がおかしくなっちゃってます。」
「うちの班はなかなか意見が出ないんですよね。なんか自分ばっかり話してる気がします。」
休憩時間ということもあり、口も軽くなっています。
班の他のメンバーに対する批判ぽい意見もちらちら出てきます。
休憩時間は情報収集のためのとても良いチャンスなのです。
「なんで脱線しちゃう?」
こちらもくだけた口調で応じます。
「そうですねぇ。面白い意見が出てくるとみんなで乗っちゃうからかなぁ。」
「ははは、見てるとそんな感じだな。」
「どうしたらいいんですかねぇ?」
「どうしたらいいと思う?」
何時の間にか休憩時間が考える時間になってしまっていますが、誰も不思議に思いません。今まで、休憩時間だからやめましょう、なんていう受講生は見たことがありません。問題を解決したいというモチベーションがあれば自然にそうなります。
また、身構えて聞いていない分、楽に言葉が使えるのも良い点です。全体に向かって話す必要もないですから、話している相手に最適な言葉を選ぶこともできます。
休憩時間の雑談は非公式にさまざまな情報を伝えることに役立ちます。
私自身の経験や考え方、ちょっとしたヒント、アドバイスや問題点の指摘などさまざま情報です。
不思議なもので、そうやって伝えた情報は自然と全体に広まっていきます。
もらったヒントでうまくいけば「先生がこんなことを言っていたからやってみたらできたよ。」という情報として共有されますし、「うまくいかない時に先生にこんな指摘をされた。」という話を聞けば「うちの班もそうかもな。」と考えるきっかけにもなります。
可能な限り機会をとらえて、研修の時間を有効に使っていきたいものです。
◆コラム◆ 講師の仕事は休みなし
休憩時間は講師の休憩時間ではないと書きましたが、一日の研修が終わっても講師の仕事は終わりではありません。
戻ってからその日の内容を一人一人の顔を思い浮かべながら分析し、翌日のカリキュラムを考えて資料を用意し、インストラクションの練習をし、コミュニケーションシートの対応を考えるという仕事が残っています。
そんなにやっていやにならない?と聞かれそうですが、実際いくら時間があっても足りませんが、やること自体をいやだと思ったことはありません。
少しでも良い研修をしようと思えば日々の準備は欠かせません。
「準備に失敗することは、失敗を準備することだ」という言葉があるそうです。
失敗を準備するほど馬鹿な話はありません。
そうならないように、できるだけの準備をすることを心がけていきたいものです。
準備をきちんとすることで、受講生の大きな成長を引き出せるかもしれないのです。