二流で二流で二流で一流

私自身はどれかの分野での一流ではない、と自分で思っている。

プログラムを書かせればそこそこであり、フリープログラマの時代には仕事が途切れることはなく、常に2つ3つの仕事を掛け持ちしていたが、ハッカーと呼ばれる伝説的なプログラマにはぜんぜん及ばない。

コミュニケーションスキルも、講師をしているぐらいだから悪くはないと思うが、誰でも私を見たら親しげに話してくれる、というわけでもない。

車、バイクの運転も嫌いではないし、昔はレーシングカートで遊んで、1100ccの大型バイクにも乗っていたぐらいなので、おそらくそれほど下手でもない。

陶芸で茶碗を目をつむってろくろでひくぐらいはできるし、粘土、陶芸窯の作り方から釉薬の配合までだいたい理解しているつもりだが、やっぱり上手(うわて)はいる。

料理も、冷蔵庫のあまりもので一食作るぐらいは簡単だが、プロのコックになるほど安定した味が出せるわけではない。

宇宙の話も星の誕生から死ぬまでを話すこともできるし、実際に星を見るのも好きだが、自宅の屋上に天文台を作るほどではない。

コンピュータのハードウェアもとりあえず作れるが、講習は回路はからっきしだし、アナログ回路もかなり怪しいところがある。

文章も書けないことはないが、見たら全ての人が涙を流して・・・などという文章が書けるわけでもないし、わかりやすいとはほめてもらえるが、感動させるような文章が書けるわけでもない。

機械の仕組みも材質も分かるが、それを自分で設計して、と言われても、複雑なものはお手上げだろう。

もちろん、コーチングもそれなりにできると思っているが、それでも私よりできる人は必ずいる。

カウンセリング、心理学の知識などもあるが、専門でカウンセリングを商売にするほどではない。

当たり前だが、映画も見るし本も読む。

そのほかにも「とりあえず人並み(以上?)にはできるけど・・・」というものはかなり多い。
だから、これまで「趣味は何ですか?」と聞かれて答えに困ったことも一度や二度ではない。

要するに全てが二流なのだ。
決して一流ではない。

だが、二流をこれだけ集めている、というところが自分の強みだと思っている。

知識や経験は、1つのことしか知らなければ独立した知識や経験でしかない。
だが、あるところからそれぞれの知識と経験がオーバーラップし始め、つながっていくのだ。

つながり始めた知識と経験は強い。

料理をしながら陶芸の知識を活かし、ソフトのデバッグをしながらハードウェアの回路図を見る。
コミュニケーションでも話題に困ることはほとんどないし、コーチングをしていても、カウンセリング、心理学の知識など、さまざまな要素が自然に役に立つ。

講師をしているときはそのことを強く感じる。
さまざまな知識と経験がつながっていると、物事の全体の中での位置がわかり、本質がどこにあるかが見えるようになるのだ。
結果、判断もぶれなくなるし、応用も利く。

だから、二流であるものの量では、一流でいたいと思う。
そして、願わくば、全ての面において、限りなく一流に近い二流でいられるようにしたい。

最近では「趣味は何ですか?」と聞かれたら次のように答えるようにしている。

「いろんなことをしてみることです。」

以上、器用貧乏の言い訳である。

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