二度と同じ研修はできません

これまで何度も同じタイトルの研修をしてきた。
「組込技術新人研修」「講師講習」「コーチング研修」「コミュニケーション研修」などなど。

だが、同じタイトルであっても、一度として全く同じ内容の研修を行ったことがない。
もちろん、日程が違ったりしてカリキュラムが違えばそうなるのだが、日程や人数が同じであっても、やはり違う内容になる。

仕事としてそれはどうか? と言われるかもしれない。
何度も同じ事ができてこそプロだろう、と。

確かに、何度やっても同じように進む研修はある。
しかし、それは受講生のためになるのだろうか。

私はよく「講師の自己満足」という言葉を使う。
一生懸命説明して、受講生に分かった気にさせて研修を進めるのは講師の自己満足である、というように使うのだが、人が違っても同じように進める研修は、研修を行う側の「やったよ」という自己満足に過ぎないのではないだろうか。

受講生は一人一人みな違う。
知っていることも知らないこともみな違い、同じような人でも理解の速度が全く同じ事はあり得ない。
講師に対しての好き嫌い、体調なども含めて、人がそれぞれ違う要素は沢山ある。
その中で、全員が同じように理解して進むことができる、などというのは幻想にすぎない。

となれば、本当に理解を促して学んでもらうためには、そこにいてくれる受講生一人一人に合わせた研修でなければならない。
受講生が自分の進み方で進める、と言い換えてもいいかもしれないが、いずれにしても毎回同じカリキュラムで、同じ説明で、というわけにはいかないのは分かってもらえるのではないだろうか。

仮に、全く同じ受講生で全く同じ時間で、違う時に研修を行ったら、同じ内容になるのだろうか。
恐らくならないだろう。
それは講師も変わっていくからである。

少しでもよい研修を行うために、さまざまな本を読み、理論を学び、実践を繰り返す中で講師も変化していく。
よりよい説明方法にたどり着いたり、新たなアクティビティを開発したりすれば、それが研修の内容を変化させていく。

以前、こんな仕事のオファーを受けたことがある。
「大手の技術系の会社で、新入社員が100人単位でいるので、数クラスに分けて研修を実施する中で、それぞれの教室で進み方も説明の内容も全部あわせてもらいたい。」
何もかもが違う中で、それは無理だろうと思ったし、仮に実現したとしても、密度がとても低くなるか、受講生が置いてきぼりになるか、であろう。

研修にはどうしても不確定な要素があり、まったく同じ条件などそろえられない。

それが、私が同じ研修を二度できない理由なのだ。

ちなみに、私の自己満足でよければ、全く同じ研修は可能である。
実は、それが一番簡単だ。
観察も判断も工夫もいらない。

だが、成果が望めない研修を実施するよりは、毎回受講生の成長を願って変化する研修を実施していきたい。
それこそが、学ぶ場に立つプロだと、私は考えている。

コメントを残す