私のような研修の進め方は、まだ少数派なのだろうと思う。
私のような、とは、グループワークを主体にして、講師からの説明を最小限に抑えた研修のことである。
私自身が研修に参加することが少ないために直接判断することはできないが、受講してくれた方々の感想をうかがっていると、自分でも、あまり一般的ではないのだろうな、と感じられる。
ある講師仲間の方からは、私のようにコーチングだけで研修を組み立てる講師を初めて見た、とも言われた。
私にとっては、コーチングで研修を組み立てることは、すでに当たり前のことになってしまっているのだが、実際にはめずらしいのであろう。
そんな私が、先日、ある研修に出席させていただいたのだが、内容は私が研修で伝えていることの抜粋のようなものと、知っていることばかりだったので、研修内容の間違い探しと、自分だったら、こんなアクティビティを使うかな、と考えることで過ごした。
つまり、自分がこの研修をするならどうするか、という視点でずっと見ていたのである。
いつの頃からか、そういう習性が身についてしまっている。
目を離すこともできず、無視して内職に没頭することもできないのだから、それはそれで不便であるが、これも職業病なのかもしれない。
どう考えても良い受講生ではないが、おかげで敏感にはなっているようだ。
他の講師のされる研修はもちろんのこと、日常のさまざまなことから、研修に使えるヒントが見つかるのである。
不思議なもので、人間は自分の意識していないものは見えないようにできている。
だが、逆に見たいと思っていれば、いろんなものが見えてくる。
集中して見れば、さらに見えてくるのだろう。
常に見る目を持ち、新しいものに対する感度をあげつつ、自分にないものを受け入れる柔軟性をずっと持ち続けたい。