勝って泣く、負けて泣く、終わって泣く

昔のラグビードラマであるスクール・ウォーズを見ている。

プロジェクトXでも「ツッパリ生徒と泣き虫先生」というタイトルで紹介された、伏見工業高校ラグビー部がモデルのドラマである。

泣けるシーンが多い。

私は、もともと涙腺は弱い方で、本を見ても映画を見ても泣けるので、見ている間じゅう、ずっとうるうるしている感じである。
だが、私のことはどうでもいい。

スポーツなどでも勝ったときに泣く、負けたときに泣くシーンを見ることがある。

スポーツではないのだが、研修でも、終わったときに大泣きしたり、涙ぐんで目を赤くしてくれる受講生がいる。特に新人研修で多いのだが、毎年卒業式をしているような気分である。

決して、泣かせる話をしているわけではない。
そんなことをしたら私が泣いてしまう。

だから、できるだけ笑いながら、笑わせながら、さらっと最後の挨拶をするように努力しているのだが、なかなかうまくいかないもので、泣いてくれるのだ。

研修を始めてからそういう経験が多く、なぜ泣けるのだろう?と考えたことがある。

結論は、一生懸命に努力したから、だった。

終わったときに、悔しい、寂しい、安心した、それまでの過程が脳裏に浮かぶ、そんな感情が自然に出るぐらい一生懸命に努力したから、泣けるのだと思う。

逆に言えば、泣く、というのは、一生懸命努力した者の特権なのだと思う。
中途半端にやっていたら泣けない。

スポーツでも、何年も一生懸命に努力したから泣けるのだろう。
やはり特権なのだ。

受講生を泣かせようと思って講習をするわけではない。
感動させることが目的でもない。
でも、受講生が、一生懸命努力した結果泣いてくれるのならば、講師として良い仕事ができた1つの証なのかもしれない。

最近はそんなふうに思うようにしている。

冒頭のスクール・ウォーズの先生も、きっと一生懸命に生徒に向かっていったのだろう。

私も泣く特権を持ってもいいように、これからも、人と向き合っていきたい。

講師という仕事をする者としては、少しどうかな、と思わないでもないが、ただ話す講師よりは、少しでも人の人生を良い方向に向けることができる指導者でありたい、というのが正直な気持ちである。
そのためには一生懸命にやるしかない。

余談だが、以前、新人研修の講師を始めて間もない頃、研修の終了後のパーティーに呼んでいただいたことがある。
社長をはじめとするお偉いさんが参加される中でスピーチをさせていただいたのだが、その途中で受講生の一人が声を上げて泣き始め、私もそれにつられて大泣きしてしまったことがある。
その時は、54人を私一人でみるという、今でも私の経験上最多人数の講習だったので、それまでずっと気を張って研修を行っていた。その緊張の糸が切れたのもあったのだろうが、一生懸命やってきたつもりだったので、その時は泣く特権があったのだと思いたい。
その時は恥ずかしかったが、もう、よい思い出にしてもいいだろう。

たぶん、時効である。

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