失敗の大きさと得られるもの

過去にはさまざまな失敗をたくさんしてきた。
仕事、プライベートを問わず、失敗には事欠かない。
大きな失敗もある。

もちろん、今でも失敗の数は多い。
小さなところでは、研修資料を準備したはいいが、プリンタの上に置きっぱなし、なんてのはちょくちょくやる。

今回は私の原点となっている大きな失敗について書いてみたい。

私はもともとコンピュータの技術者で、回路図を書いたり、プログラムを書いたりしていた。
コンピュータの技術者で、少しは話が出来たので、たまに初心者にコンピュータを教える教室に呼ばれたり、日本で初めてVBA(Excelなどのマクロを作成するためのプログラミング言語)を教えたりとかの機会はあった。
だが、そのころの私にとっては、単なる「教えるという仕事」であったので、今の講師とは全然ちがう取り組みをしていた。

あるとき「大手メーカーのIT系グループ会社の一ヶ月半の新入社員研修をできないか」という案件が舞い込んできた。

技術者として、そこそこの実績と自信もあったので、自分の中にイメージしていた一般的な研修ならできるだろう、と考えて請けることにした。
金額もプログラムの開発よりもよかったし、教える仕事に対するあこがれみたいなものもあった。

事前に打ち合わせをして、私の頭の中にあった「座学をして、演習問題をやらせて、最後はグループでものでも作らせておけば」という研修を思い浮かべて、テキストを作成した。
打ち合わせの中で、新入社員の方のスキルレベルはどれぐらいかを尋ねたときには「みんな初心者です」とのことだったので、真に受けて、基本的なところから懇切丁寧に説明をすることを想定していた。
当然、到達レベルはそれほど高いところには想定しなかった。

そして、開始して自己紹介をしてもらったときにショックを受けた。
ぜんぜん初心者ではないのだ。

大学で4年間情報の勉強をしてきた人、大学院で研究をしてきた人、高専でみっちり学んできている人。

一ヶ月半の研修のはずなのに、用意してきた初心者用のテキストをやったら、2週間で終わってしまう、と思った。
真っ青になった。
このまま進めたら間違いなく大失敗である。
不幸な42人の新入社員と、後悔してる人事担当者と、不幸な一人の技術者(私)を作る仕事になってしまう。

その日一日、早口でテキストの説明をし、逃げるように宿に帰り、頭を抱えた。
どうすればよいのだろう、と。

その頃、ラグビースクールでの活動を初めて、コーチ講習会に出席していた。
コーチングの基礎を知り、ワークショップの存在などを知っていたが、それを実際に理解できているわけでも使えているわけでもなかったが、他に頼るものがない。

すがるような気持ちで、新人研修の中におそるおそるグループワークを導入した。
課題を考えて提示し、グループで取り組むように指示をした。
技術研修以外にも「どうしたらグループワークを進められるのか」を考えるという要素も導入した。
内部統制の仕事をした時に学んだ「予定」と「実施」を管理する、という管理方法も取り入れた。

それからは、毎日振り返りをし、翌日の課題を考えて資料を作り、シミュレーションをして、また現場に戻る、という生活を始めた。
遅いときには研修の資料作りに朝5時までかかっていたこともあるし、だいたい2時か3時ぐらいまで起きて作業をしていた。

だが、それを始めたら、大失敗だった研修会場の雰囲気がだんだん変わってきた。

活気が出て、自分達で調べて試し、必死になってグループで成果を上げようとする。
そうなってきたら、学習が進まないわけはない。
私が思っていたよりも速く、より多くのことを、技術だけではなく学んでいってくれた。

そんな新入社員の方の成長が見えたときに理解できた。
「これがコーチングの考え方なんだ。」
私という一人の「研修講師」が生まれた瞬間である。
もちろん、荒削りも荒削り、今から考えると恥ずかしいことや申し訳ないことも山盛りではあるのだが・・・・。

今の講師の原点は、間違いなくこの大失敗になりかけた研修である。
いや、実際には大失敗だったのだろう。
毎日遅くまで考えて準備をしてなんとか取り繕っただけで、新入社員の方に助けられたのだ。

だが、その失敗から逃げずに向き合うことができたことが、今の私につながっている。
失敗が大きければそれを乗り越えたときに得られるものもまた大きい。
その時から私はそう思うようになった。

もちろん、失敗をしないですめばそれはそれでいいのだが、実際はそうはいかないだろう。
大切なのは失敗から逃げないことと、それに対処できるようにいろんな準備をしておくこと、そして、最後まで足掻くことなんじゃないかと思う。

この研修の一ヶ月半は、24時間、研修のためだけに生活をしていたので、さすがに終わった時には、1週間は気が抜けたようになっていた記憶がある。

その後、研修に取り組む中で勉強し経験を重ねることで、私自身の理解も深まり、できることも増えてきたが、最初の研修を適当にやって逃げていたら、今の私は間違いなく存在しない。

そういう意味では、この大失敗の経験は私の宝物なのだろう、と今は思っている。

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