Takanori

「努力は夢中に勝てない」

ある方の Facebook のタイムラインに、表題の言葉が書かれた額の画像が流れていた。

「努力は夢中に勝てない」
元陸上選手の為末さんの言葉だそうだ。

この言葉はすごい。

人を育てる我々のような人間が創りださなければならない環境を、ひと言で表してしまっている。
私はよく「講師にできるのは環境を創ることだけ」という言い方をしている。

受講者の代わりには学べないし、丁寧に説明すれば必ず理解してもらえるわけでもない。
学んでもらうため、理解してもらうためには、受講者自身が考えて理解しなければならずそれ以外の方法はない。
より多くを理解してもらうために必要なのは「学びたくなる環境」であり、それが「夢中になれる環境」であれば、さらによい。
ひたすら課題をこなすことを求めているような学びの場では、課題をこなすことが目的となっていく。
努力を強いても、人は成長するだろう。
みんなが努力もしないでそっぽを向いているよりはよっぽどましだ。
だが、強いられた努力が楽しくなければ、研修が終わることで安心し、研修が終わってからの継続は望めないし、研修中の自主的な学びにもつながりにくい。
夢中になれる環境かどうかを見分けるのは簡単である。
受講者が「課題をやりたい」と思うか「課題をやらなければならない」と思うか聞いてみればいい。
「やりたい」と言えば楽しいのだろうし、「やらなければならならない」と言うのなら、努力を強いているのだろう。
夢中になれる研修では、研修を終わりたくない、もっと続けたい、という声が出てくる。
努力を強いられる研修では、やっと終わった、という感想になる。
「やりたい」と思うためには、その課題に対して、取り組むモチベーションがなければならない。
課題に取り組むことが「自分の役に立つ」というのももちろんモチベーションになるが、「いやだけど役に立つから」というのでは「夢中」にはならない。
役に立つ、ではなくて、楽しい、嬉しい、などの感情が元になったモチベーションが「夢中」につながる。
「夢中」であれば学びが自主的になり、幅も広がり、深さも深くなる。
そのような学びは、研修が終わっても続き、結果的に定着する可能性も高くなる。
研修において「定着」は大きなテーマである、というよりも、定着しない研修には意味がない、ぐらいに大切である。
定着のためには「夢中」になれる学びの場が一つの答なのだろう。
いつまでも学び続けたい、という気持ちで終われる研修のためには、夢中になれるモチベーションが大切だ。
夢中になれるモチベーションのためには、楽しい、嬉しい、という気持ちが欠かせない。
人は遊びの時には夢中になる。
趣味に没頭してるときはみんな夢中だろう。

だから、学びが遊びになればいい。

私はそう考える。

「努力は夢中に勝てない」のだから。

Takanori

コミュニティのありかた

三郷ミニラグビー交流会での自律分散について一つ前の記事に書いた。

今回はまた三郷ミニラグビー交流会に関連しての「コミュニティ」の話である。

何年か前までは、三郷ミニラグビー交流会というのは、私の所属するラグビースクールが運営し、各スクールがお客さんとしてきてもらう、という雰囲気だった。

もちろん、来ていただくスクールさんに気持ちよく参加してもらうための工夫は考えているのだが、なんとなく、ホストとゲスト、という関係性を感じられた。

いわば、私が属するラグビースクールというコミュニティが、ゲストを迎えている感じであった。

だが、ここ数年、変化が感じられる。

参加してくれる各スクールの方から、できることがあれば手伝いたい、というオファーをいただくことが増えてきているのだ。
実際にいろいろとお手伝いをしていただいていることも出てきている。

もちろんホストとして至らないことがあるからではあろうが、そのような場合、今までは「クレーム」とか「要望」という形で上がってきていたが、最近はそれが減っている。

そうなってくるとどうなるかというと、三郷ミニラグビー交流会自体が一つのコミュニティになってくる感じがする。
参加する多くの方が運営する意識を持ってくれることで、全体が一つのコミュニティになるのだ。

コミュニティができると、それぞれが「三郷ミニラグビー交流会の成功」という目的を持ってくれるために、多少の不便があってもそれを受け入れてくれ、改善のための工夫をしてくれたりする。

必要な事は、みんなで一つの目的を、なのだ。

それが伝わって共有されれば、全体がコミュニティになれる。

三郷ミニラグビー交流会というラグビースクールのイベントだが、組織運営、組織作りのさまざまなヒントがある。
そこからどれだけ多くのことを学べるか。

どのようにコミュニティを充実させていくのかは、これから先の課題である。
今のところ、現実的にどのように進めていくかの基本的な方針は分かるが、より具体的で効果的なアプローチはまだまだである。

来年に向けてさらなる思考と工夫をもって、より多くのことを学びたい。

Takanori

自律分散組織のすごみ

今年も三郷ミニラグビー交流会が終わった。

私の所属するラグビースクール主体で運営している、近隣県からの参加も含め26試合が開催される大規模なラグビーの交流会である。

昨年(2015年)のラグビー・ワールドカップの影響か、今年は人数が増えたスクールが多く、チームの数で2割5分増えており、昨年の1日で実施する124ゲームが154ゲームに増えた。

事前の申告を元に計算した参加者は子供、大人全て合わせて3000名に迫る勢いで、同時に13グラウンドでゲームが行われる、まさにラグビー漬けの一日となった。

三郷ミニラグビー交流会全景

当然ではあるが土地の面積が増えるわけではないので、人口密度は高くなり、今までの三郷ミニとはずいぶん雰囲気が変わったのを感じた。

人数も、車両台数も、ゲーム数も、今までとはだいぶ違った今回の交流会だったので、始まるまではいろいろと心配なことが多かった。

私自身が交流会運営のメイン担当ではないのだが、スクール内で古株になっていること、以前はメイン担当もやっていたことなどもあり、ある程度の提案や指示などをさせてもらっている。
しかし、結局のところ、準備段階を含め、私が実際に行ったことは、私の担当である組み合わせ作成を念入りに行い、クレームが起こりそうなことに対して少し事前対処したぐらいで、逆に細かい指示を減らしていった。

結果はどうだったかといえば、いつも以上に問題なくスムーズに進み、終わった。

もちろん、ひとつひとつを見ていけば、それぞれの部分はたいへんなことになっていたのは間違いない。
駐車場の采配、ゲーム前の集合、交流会前のグラウンド設営、水の手配などそれぞれの作業量は増えているし、細かいハプニングもいくつかあった。

だが、駐車場の采配、グラウンド設営、集合管理など他のスクールさんの協力もいただきながら、それぞれの担当部署で工夫をしながら乗り切り、全体が無事に終了した。

以前に自律分散について書いたことがある。
三郷ミニラグビー交流会は、自律分散によって運営され、組織の運用という面から見ても素晴らしい見本となっている、という内容である。
もちろん今年も自律分散は素晴らしく機能した。

今年気付いた1つの変化は、全体の進行状況が昨年より見えなくなったことだった。

トラブルがない、もしくはその報告がないことが一つの原因である。
そして、もう一つは、何かが完了したときも「ぜんぶやっといたから」でおしまいで、その内容まで踏み込まないことがもう一つの原因だろう。
もともとそのような作業に対してのチェックリストも持っていないし、どうやるかという予定を聞いていてもそれのチェックももちろんしない。

任せた人が大丈夫というのならば大丈夫なのだ。
予定と違うことがあったとしても、担当した人がそれが必要だと考えたなら、必要なことだったはずである。
そこを信頼しないで、自律分散などできようがない。

毎年いっぱいいっぱいで回していたような気がする三郷ミニ交流会が、突然3割増しになっても、自律分散は機能した。
それも、これまでのように、ではなく、これまで以上に。

繰り返す中で、それぞれの担当のスキルも向上していく。

組織を、人を育てる上で、自律分散の組織は本当に強い。
今年はあらためて、自律分散のすごみを感じさせられた三郷ミニラグビー交流会であった。

ちなみに、自律分散組織がきちんと機能する上で欠かせないものが一つある。
それは組織全体に共有される目標である。

三郷ミニラグビー交流会の目標は、たぶんこんなところだろう。

「子供たちが1日楽しめる交流会を無事に運営し、早く帰ること」

言葉にしているわけではないが、これが自然と共有されているところが、私の所属するラグビースクールのふくじゅ草のいいところなんだろう。

三郷ミニラグビー交流会に関してはもう一つ書きたいことがあるが、それは次の投稿で。

Takanori

ハードディスク障害の顛末

2日ほど、パソコンが起動しなくなって対応をしていた。
パソコンのトラブルというのは、まぁ、いろいろあるのだが、起動してくれないことにはなにもできないので、データを失うことの次ぐらいに起動しないことは大問題である。

結果的には解決したのであるが、どうせなら次に同じようなことがあった場合に対応できるように、少し記録をまとめておこうと思う。

[障害発生]

Windows10にアップデートするかどうか迷いながら、まぁ、起動ディスクのバックアップを取ってから考えようとして、システムがはいったディスクと同じサイズの安価な3TBのハードディスクを入手し、バックアップを取ることにした。
Windowsがはいったディスクのバックアップを取るのに、Windows7のバックアップは使えない。
2TBを越えるハードディスクには対応していないからだ。

そこで、これまで通り、Acronis TRUE Image というソフトを使ってシステムディスクの「クローン」を作ることにした。
いざというときにも、そのディスクと入れ替えればシステムが起動する「はず」であるからだ。

すでに Acronis TRUE Image はインストールしてあったので、購入したディスクを接続し、クローンを作る作業を始めた。
何度か再起動をしながらクローンを作ってくれるので、その間はパソコンを離れて他の作業をしていた。

何度目かの確認時に、へんなメッセージが出て停止していた。
原因が分からず、できる操作を一通りしたあとに、やむなく、電源を落としてしまった。

あとから振り返れば、この時点で起きていたことは、システムディスクのクローニングに関係のないUSBの外付けディスクがつながっていることが障害になっていたようなのだが、そこでは気付かなかった。

クローニングなどの操作を行うときには、関係のないドライブなどはつながない、というのが原則なのであるが、その原則を忘れてしまったのが原因だ。
恐らくではあるが、これまでの実績から Acronis TRUE Image そのものの障害とは思えない。

そして、電源を投入したのであるが、起動ディスクが見つからない、というようなメッセージが表示され起動しなくなってしまった。

教訓は「原則を大切にしよう」である。
[調査]

このような場合に最初に確認しなければならないのが、データが保存されているかどうかであるが、パソコンが起動できないと当然ながら確認作業もできない。
他のパソコンにつないでみる、というのも1つの方法であるが、今後の作業のことも考えて古いハードディスク(1TB)を引っ張り出してきて、それにWindows7をインストールした。
そのハードディスクから起動し(これはなんなく成功)、障害を起こしたオリジナルのハードディスクと、クローンした先のハードディスクの中身を確認し、データが残されている(だろう)ことを確かめられた。
オリジナルにも、クローンにもデータがあるので、とりあえずクローンのハードディスクをパソコンに接続して起動を試してみたが、症状は同じだった。
どちらも起動できない。

これまで起動ができなくなったときには、MBR(マスターブートレコード)を書き直す、というのが基本的なテクニックだったが、今回はその方法を使えない。

なぜならば、3TBを越えるボリュームにWindowsをインストールするためには、UEFIという仕組みを使って起動しなければならないからだ。

問題は、私がUEFIの仕組みをよく知らないことであった。

UEFIはマザーボードに載っているプログラムと、ディスクのUEFI関連の情報が関連しながら動作することになっているようで、単純にMBRを上書きすればよい、という仕組みではない(というのを、今回いろいろと調べる中で初めて知った)。

調べてみると、回復用のコンソールを使う方法がいろいろ見つかったので、Windows7のインストールディスクを引っ張り出してきたが、回復コンソールまでたどり着けないことがあり、Windows8のインストールディスクを使うことにした。

教訓は「ちゃんと理解して使おう」である。
[対応]
回復コンソール(コマンドプロンプト)が起動できたら使う可能性があるコマンドはおよそ次の通りである。

diskpart
bcdedit
bootsect
bootrec

UEFIではEFIシステムパーティションにファイルが存在し、その中の \EFI\Microsoft\Boot フォルダに BCD というファイルがあり、そのファイルがおかしくなっていると起動できないらしい。

今回はパーティションが破壊されているわけでもなく、BCDファイルのような設定ファイルが壊れているだけだったと考えられたので、これらのコマンドを使いながらBCDファイルなどの復元を試みた。
コマンドの詳細なオプションなどは検索すれば出てくるのでそれを参照して欲しいが、とりあえず効果があったと思えるコマンドは次のようなものだった。

bcdboot c:\windows /v /s s: /l ja-JP /f UEFI

このコマンドを実行するためには、diskpart コマンドも使わなければならない。

なお、これらの対応は、クローン先のハードディスクに対して行った。
復旧できる方法を見つけたらオリジナルのハードディスクに同じ方法を試すためである。

だが、いろいろ調べて、何度やっても起動できない。

一度は、他のツールを使ってうっかりMBRを書き換えるような操作をしてしまい、上記のコマンドを使って復旧する必要があった。
UEFIではMBRを使わないので、へんな操作をすると事態をより複雑にしてしまう。

コマンドをいろいろなパラメータで実行してみたが、正しいコマンドかどうか自信の持てないときのほうが多かった。
UEFIの仕組みをきちんと理解していないからだ。
試行錯誤をしたのだが、ここでの試行錯誤が問題をさらに見つけづらくしていたかもしれない。

ここでも教訓は「ちゃんと理解して使おう」である。
[復旧]
いろいろ試してみたし、何度かUEFI(BIOS)を起動して起動ドライブの設定などを試していたのだが、その中に1つ思い込みがあった。
UEFIで起動しているはず(実際にGPTフォーマットになっている)なのだから、起動モードは「UEFI」である、というものである。

そんなことで起動モードを「UEFI」にしていたのだが、オプションの説明を見てもそれっぽいことが書いてあったのでまったく疑わなかったのだ。

だが、あるサイトの記述を参考に「非UEFI」にして起動してみた。

そうしたら、すんなりと起動してしまった。
あまりにもあっけなく起動したので、笑ってしまったぐらいだ。

UEFI の環境では、マザーボードとディスクが協調して動くので、これらの設定が合っていないと起動ドライブとして認識さえしてくれない。

もちろん、障害が起きたときのままでは起動できなかったので、コマンドを使ってディスクの設定を変えたことは意味があったはずなのだが、途中から起動できない理由が起動モードの設定が合っていなかったことになっていたらしい。
教訓は「思い込みは敵である、正しいはずというのは正しいとは言えない」である。
かくして、元通りの環境を手に入れることができ、データのバックアップも取れ、いざとなったらオリジナルのハードディスクに手を入れないで Windows 7 を新規インストールできるようにと買った 4TB のディスクが手元に残った。
UEFIの仕組みもまぁまぁ理解できたし、復旧用のツールも使えるようになった。

そして、対策をしているうちに、Windows 10 の無料アップデートの期間が終了してしまった。
アップデートするかどうかで悩まなくてよくなったのはいいのだが・・・なんか損をした気分ではある。

最後の教訓は「余裕を持って行動しよう」である。

Takanori

2016年度の新人研修を終えて

2016年度の新人研修の報告書を書き上げ、まだ若干の資料整理や提出物などが残ってはいるが、長かった新人研修が終了した。

今年も、講師育成から新人研修に携わることになり、1月中頃から6月初めまで、という長期戦であった。

講師育成では、講師を育てる講師の育成の役割を持つことになり、「先生の先生の先生」という自分で言っていてもこんがらがりそうな仕事をすることになった。

研修を実施中は受講者への影響を及ぼさないようにするため、ブログなどへの投稿は基本的に行っていないので、久しぶりの投稿になるが、今年の新人研修について振り返ってみたい。
●講師育成について。

講師育成というのは、私が行っている研修の中でももっとも難しいものの一つである。
対象が社会人経験を積んで自分の考えをしっかり持っている方であること、伝えるべき内容が複雑で多いこと、結果を出すまでの期間が限られていること、などが難しい理由であるが、これらを乗り越えるためには最新の注意と、錬ったカリキュラムが欠かせない。

昨年、一昨年と講師育成に取り組む中で、私のスキルを棚卸しし、人に伝えられる形に整理して、学べる形にしてきたことを、なんとか、直接講師育成に携わる方に伝えようとしたのだが、結果から言うと難しかった。

一部は講師の講師に伝えられたとは思うのだが、新人研修の講師になる講師候補の方に十分なことができたか、というとやはり足りなかったと言わざるを得ない。

理由はいくつかある。

一つは、圧倒的に時間が足りなかったことである。

先に「細心の注意」というように書いたのだが、その内容が実際にはそう簡単に伝えられるようなことではなかった。
観察のスキル、心理的な反応に対する知識と経験、メッセージを伝える方法など、それぞれがとても複雑なことだが、細心の注意、というのはそれらの複雑なものが絡み合っているものだからだ。

「細心の注意」を分解して1つ1つ訓練しながら学ぶには、やはり時間が圧倒的に足りなかった。

二つめは、私が昨年までに実施したカリキュラムの意図をきちんと伝えられなかったことだ。

「錬ったカリキュラム」についての話になるが、コメントの質やインストラクションの方法など、私が実施した内容をそのまま実施することは難しいことと、講師の講師の方がやりたいこと、やれること、などがあり、私が実施したカリキュラムの流れの実施ではなく、講師候補の方に本質的な部分を伝え切れていなかったように感じる。

3分間スピーチのような簡単なカリキュラムでさえ、テーマの設定の方法、コメントについて注意すべきことなどを整理して伝え、納得してもらうことはできなかった。
結論として、講師育成に関しては、私が直接担当させてもらうならば2ヶ月から2ヶ月半ほどあれば、最低限必要なことは伝えられるだろうと思う。
最低限の必要なこととは、テキストを読み解いて意図を考えカリキュラムを組み立てる力、講師として前に立って話す力、「受講者のために」という意識、などである。

だが、講師育成の講師を2週間で育てることは難しい。
必要な事を伝えるためのスキルを整理し、それを伝える手段を考えたときに、あまりにも短いのだ。

今年の講師育成では直前でそのような指示をもらったため、とりあえずはじめてはみたものの、やはり足りない時間には勝てなかった。
●新人研修

今年は複数社が混在する会場での実施であった。
これまで、新人研修では一社の新入社員だけが集まっている環境でしか研修を行っておらず、複数社混在の環境での研修は初めての経験であった。

会社毎に新入社員に傾向があり、これまでよりは幅広い対象だったこと、会社のイベントで一部の受講者が1日抜けることがあるなど、多少勝手が違った部分はあったが、結果的に昨年までの研修と同じような雰囲気になってくれた。
複数の会社であるという要素も、それなりにうまく盛り込めたと思う。

会社の壁がどれぐらいあるものか心配していたのだが、研修の最初から意識して壁をなくすように心がけた結果、それぞれの会社の個性がよい方向に生きたまま、会社の壁を越えた交流が生まれ、受講者が仲良くなってくれ、グループワークを通してよい学びの場となった。

一社ではないので、企業の担当者と頻繁に情報交換を行い方針を決める、ということはできなかったが、伝えたいことは受講者の方々に受け取ってもらえたようである。

全体としては、ほぼ想定していた負荷をかけながら伝えたい内容を盛り込むことができたのではないかと思う。

もちろん、課題もいくつかあり、振り返ると「もう少しこうしていたら」という反省がいくつか思い浮かぶ。
中には、私の判断ミスや、手が回らなかったことが理由であるものもあり、それらは素直に反省しなければならない。

特に、進み方の遅い人に対するアプローチの方法や、最初に乗り遅れた感じのある人へのアプローチには、反省点が多い。
進み方が遅いことには、いろんな理由があり、講師を含む周りへの質問ができるかどうか、するかどうかという個性も関係してくる。
原因や個性、考え方を見極めて適切な声をかけつつ、受講者自らの行動を妨げない、というのはなかなかむずかしい。

これらの対応の精度をあげることは、これからも課題になっていくだろう。

とはいえ、半年弱の新人研修関係のプロジェクトを終了し、とりあえずは一安心である。
少し休みを取りつつ、次の動きを考えていきたい。

Takanori

私にしかできない?

講師育成研修でよく言うセリフの1つに「私の真似をしないでください。」というのがある。
私が実施しているグループワークを体験すると、自分でも試したくなるようで、グループワークをハンドリングする練習をせずに研修の現場で実施する方が出てくる。
それは危険だよ、と戒めるためである。

私ができることを見て「長谷川さんは長い間やっていたからできるんだ」と言われることもある。

講師仲間から「別格だ」と言っていただけることもある。
こう言うと、私は長い時間をかけてとんでもないことができるようになっていると思われるかもしれないが、実は研修の仕事を始めた最初からこのようなことをしている。
もちろん、最初よりは今の方が上手にはなっているが、決して研修の仕事を長年行わなければできないことをしているわけではない。

私が最初からある程度認められるようなことができた原因は確かにある。

ラグビースクールにおけるコーチングに関する知識があったこと。
技術的なレベルがそれなりのものであったこと。
話すスキルがある程度はあったこと。

これらがその原因である。

だが、技術レベルは普通に開発の仕事をしている人が持っているレベルと大差はない。
話すスキルも、クライアントと会話しつつ要件定義などができるようであれば問題がないレベルである。
コーチングに関する知識も、決して理解していると言えるレベルではなく、あくまでも「知っている」程度であった。

それらを元に、毎日必死で考えて準備をし、実施して観察をし、結果に対して自分でのフィードバックを続けたことでできるようになったのだ。
そしてその中で、コーチングやグループワークに対する理解も進んだ。
こう考えていくと、きちんと学びさえすれば誰でもできるようになるはずのことである。
私ができるようになった理由が実はもう一つある。

それは「逃げるチャンスがなかった」ことである。
ろくに扱えないコーチングとグループワークにしか頼れなかったぐらい追い詰められており、それから逃げる方法がなかったのだ。
言い換えればやり続けることを強制されていたのだ。

実際の原因は「逃げられなかった」だが、これは「チャレンジし続けた」とも言える。
だから、私と同じことができるようになるためには、コーチングやグループワークを学び、伝えるべき知識を持ち、話すスキルを高めた上で、真摯なチャレンジを続ければよい、ということになる。

決して私にしかできないことではないし、長い時間をかけなければできないことでもない。
コーチングとグループワークの力を理解した後は、それをより磨くために時間を使ってきた。
理論を学び直し、実践的な訓練をし、よりよくできるように工夫をし続けてきた。
その中で、自分の経験や知識を体系化し、人に伝えられるようになってきた。
私のしていることを理解できない人は「長谷川だから」で片付けようとする。

それは可能性を捨てることで、とてももったいないことだな、と思いながら聞いている。
理解しようとしない人に伝えることは難しい。

私がしているのと同じようなことをするのは、たいへんかもしれないが、難しいことではない。
私が行っていることを表現するための方法論はすでにある。

それを他の多くの人に伝えていき、訓練の場を作っていきたい。
それができていないから、タイトルのような言葉を聞くことになってしまう。
「長谷川さんだからできる」

この言葉は、私の力不足を認識させる言葉でしかない。

Takanori

やりたいこと

私は教育に携わっている。
主として研修講師として活動し、ブログや書籍などによる情報発信、さまざまな機会を通じて人材育成に努め、また、そのための人材の育成に取り組んでいる。

そんな私の「やりたいこと」は、最終的に「人を育てる文化を日本の企業や学校や家庭に根付かせること」である。
そのためには、ただ生きるために言われたとおりの形で講師をするのではなく、自分の信じる形での研修を行い、成果を出すと共にその良さを知ってもらうことが重要である。

私の信じる形の研修や教育の形とは、自主性、考える力、コミュニケーションをベースとして自ら学ぶ形である。
これまで多くのシーンでその効果を見せようと努力してきた会社がある。
これまでもいろいろお世話になったし、一時期は「教えないで教える」を目標として掲げてくれていたこともあったので、なんとか私の知識や経験を役立ててもらおうと思って全力で取り組んできたつもりである。

だが、残念なことに、私のやりたいことや目的は伝わっていなかったようである。
おそらく効果は伝わっているのだが、ただ単に「長谷川だからできたこと」でしかなく、その理由やベースとなる考え方は伝わっていなかったのだろう。
私に旧来の研修の形を求めることは、私にとっても、求める方にとっても意味がない。
私にとっては、そのようなことを求められることは、足踏みにつながり、先のことを考えると時間がもったいないと考えざるを得ない。

このようなことを考えると、仕事がなくなる心配をしたくなるところであるが、実際には現時点でもいくつかオファーをいただいており、それらを断りつつ仁義を通してきた。
また、私の「やりたいこと」に直接の興味を持ってくれている会社も多い。
カリキュラムもお仕着せではなく、任せてくれると言ってくれるところもある。
講師育成という特殊な研修においても成果を上げられるスキルを持っていることもプラスに作用することだろう。

だから、幸いなことに、少なくとも新人研修の期間においては仕事を失う心配はあまりない。
旧来の「丁寧に教える教育」は近いうちに崩壊する。
参加型であり、チームによる学習であり、全て教えるのではなく教えないで考えさせる教育に必ずなる。

考えさせる教育を行うためにはそのような教育を行える人を育てなければならないが、どうしても時間はかかる。
グループワークを扱うためにも訓練が必要であるし、課題を考えるためにも訓練が必要である。
だらだら話さないようにするための訓練も必要であるし、観察する力、気付く力も身につけなければならない。
心理学についての素養も欲しいし、できればカウンセリングレベルの傾聴力も欲しいところである。
そして、教えるべき内容に関しての深いレベルの知識も当然必要となる。

時間はかかるがそれらの育成を行えば、教育の流れの転換が顕在化したときには非常な強みを発揮できるはずだ。
だが、旧来の教育の形にこだわっていたら、顕在化のタイミングでおいていかれるしかなくなる。
研修の品質を、企業の担当者が知っている研修を行ったかどうかで計っているようであっては、先の発展は見込めない。
担当者がそのような観点で満足するということは、教育に対する新しい価値を提供できていない、ということでしかない。

受講者の「成長できた」という気持ちが強い研修は良い研修である。
そしてそれは受講者の満足度で表されるものである。
企業の担当者が知っていることをなぞれたかどうかで計られるものではない。
今年は、私自身、大きな転換を図る年になるかもしれない。

自ら参加者を集め、会場の手配をし、協力者を集めて、理想の教育を形にしていくタイミングなのかもしれない。
IT系の新人研修をターゲットとすれば、現時点で想定できるリソースでは100人ほどが限界だろうが、新人研修を有効に活かすための受け入れ側の研修をセットで実施することも可能だろう。

しっかり考え、いろいろな方の力をお借りしながらこれから先を決めて行きたい。

Takanori

課題発見、解決

課題の発見、解決、という研修を行うことがある。
そもそも「課題の発見、解決」そのものが目的であることもあるし、コーチング研修の中に含めることもある。
管理職研修の中にも含まれるし、新人研修においても求められることもある。

つまり、課題発見、またその解決は、全てにおいて大切なことであり、それができずに困っている人が多いということだ。
なぜ困るのか、といえば、簡単に言えば「すぐ目に見える問題だけを取り扱おうとするから」ではないかと考えている。

実際には「すぐ目に見える問題」というのは本当の原因ではなく、本当の原因からいろいろあって表面に表れてきた「現象」であることがほとんどなのだ。
例えば、クライアントから「ちゃんと思った通りに動かない」などといったクレームが来たとする。
クレームが来たから、製品の不具合かと思って調べても完全に動作する。
よくよく聞いたら、購入時の担当者が言った言葉が間違っていて、クライアントはその言葉通りの動作をしない、というクレームをあげていた、なんてことが普通にある。
この場合、本当の問題は、担当者が製品を正確に理解していなかったことにあり、解決策は担当者への正しい教育ということになる。

これなどはまだ簡単なほうである。

こんな例もある。

「最近入ってきた新人がなかなか成長しない」という問題を抱えているIT系の会社の上司がいた。
グループワークで意見交換をしながら、質問によりさまざまなことを考え、深めていくと次のような結論が出た。

「新人のレベルに対する、受け入れ側の思い込みが本当の問題である。」

その部署では数年にわたって、学生時代に専門教育を受けてきた、または趣味によりプログラムを書いてきたことにより、技術的には経験者といってもよいレベルの新人が配属されてきた。
そのようなことが続く中で、その部署では「新人」のレベル感が醸成されていった。
ある年に、新人研修で初めてプログラミングを学んだ新人が配属された。
すでに醸成されていたレベル感から比べると、当然ではあるがその新人のレベルは低いことになる。

このような経緯で、配属された新人がなかなか使えるようにならない、という問題意識になってしまったのだ。

実際に話を聞けば、配属された新人は、自ら努力をし、なんの問題もない新入社員である。
それどころか、自発的な動きもできる優秀な人材であった。

だが、思い込みによりそれが問題になってしまったのだ。
他にも「部下から報告がない」という問題を分析していったら、報告を受け取れていなかった自分が問題だった、というようなことは、もう当たり前と言えるほど普通にあることである。
問題分析の際に「自分に問題があるかも」と思うと、意識的、無意識的にそれらの問題から目を背けてしまうため、いつまでたっても真の問題にたどり着けない。
同じようなことはどこにでもある。
クレームをもらったら、思い込みや自己保身を排除した上で、何が原因なのか徹底的に考え分析をしなければ、本当の問題にはたどり着けない。
本当の問題にたどり着けないまま対処をしようとしたら、それは「臭いものには蓋」的な対処になってしまい、本当の問題をより見えにくくしてしまうだけである。

一度見えなくなってしまった問題はなくなることはなく、他の形で現象となって出てくる。
課題発見、解決といえばロジカルシンキングなどがあげられることが多いが、実際には、思い込みや自己保身の排除、問題を発見しようとする意識付けのほうが効果を上げられることが多いように感じている。
ロジカルシンキング分野の分析方法はそれらがなければ、ただの形にしかならない。
問題解決は問題が適切に見つかれば考えられる。

だから「課題発見」を以下に効果的に学んでもらえるかというのは、これからの私のテーマの1つである。

Takanori

先生の先生の先生

今年も新入社員向けの講師育成が始まった。

昨年は、講師候補の方に対して私が直接担当させていただいたのだが、今年はまた違うパターンで、講師を教える講師の方に、教え方を教える、という複雑なことになっている。
言ってみれば、昨年は先生の先生で、今年は先生の先生の先生、といった感じだろうか。
直接担当させてもらったときには、30人を越える講師候補の方をほぼ1人対応していたので、一人一人に気を配りつつカリキュラムを考えて実施していくことは、とても気を使う業務であった。
また、カリキュラムについても、与えられた時間内で最大限の効果を得るために、ぎりぎりのタイミングを見計らいグループワークなどを設定し、モチベーションを引き出し学びの場の強化につながることは、すべて行うように努めていたことも、気を使うことにつながっていた。

ある意味、講師スキルをフルに発揮する必要のある、とてもやりがいのある研修であった。
今年は、直接私が研修をするのではなく、講師研修を行う講師を育てる、という間接的な関わりとなったことで、行うミッションは大きく変わった。
だが、していることは至極簡単である。
学んでもらわないとならないことを抽出、優先順位付けして整理し、それを学んでもらえる方法を考えてもらう、だけである。

学んでもらう方法はいろいろあるが、どのような方法を使えるかは、実際に現場に立つ講師の知識、経験、力量に大きく左右される。
残念ながら私が昨年使った方法を全て伝える時間はない。
なので、基本的には現在のスキルによって伝えてもらわなければならない。

ということで、講師育成の講師を育てるカリキュラムは以下の通りである。

1・伝えなければならないスキルを抽出する。
2・抽出したスキルの優先順位を決める。
3・どこまでが必須かを決める。
4・必須の項目について学んでもらう方法を、自分にできる範囲で考える。
5・スケジュール化する。

このように書くと、すべて「作業」に見えるかもしれないが、これこそが教えるための準備である。
このような「作業」を行わなければ何を伝えればよいのかさえ分からない状態になってしまうだろう。
たとえ自分のできることでも、きちんと言語化できるようにしておかなければ伝えることができないので、事前にきちんと「スキル」として認識し言語化できるようにしておくことは、伝えることの最初のステップである。

スキルの重要度を意識できれば、講師育成の現場で迷うことも、よけいなことを言うことも少なくなるだろう。

これらに加えて、できれば「質問のスキル」を身につけてもらいたいと考えている。

与えられた時間と環境の中でできることはこれぐらいであろう。

コメントスキルの訓練もしたいが、それを行う時間はなさそうである。

講師育成研修は難しい。

なぜなら育てなければならないスキルはさまざまなヒューマンスキルと実践的な技術スキルであり、教えた気になってすませることができないものだからだ。
育てるためには徹底した訓練が欠かせない。
さらに、ほとんどマイナスから始まるモチベーションをプラスにし、講師という仕事を「やりたい」と思ってもらわなければならない。

使える時間も十分ではない。

制約の中でできることを行い、可能な限りの成果を出したいと思っているが、今年の講師育成の枠組みの中ではできないことも出てくることだろう。

どこまでできるか。

今年もまた挑戦である。

Takanori

研修の要望に対する対応

研修を実施していると、終了後の振り返りによっていろいろな要望を受けることになる。

曰く「(技術研修においては)もっと技術力を付けさせて欲しい。」、曰く「研修は、6回ではなく4回で十分だったのではないか。」、曰く「もっと規律正しく見えるようにして欲しい。」。

中には「今年の研修は素晴らしかった。だから、来年はもっと良い研修をお願いします。」なんてものもある。

研修の後にこのような要望やクレームが出てくるのは仕方がないことである。
たとえ素晴らしいと言っていただいたような研修であっても、それに対して、あれを足したい、これも入れたい、というのは必ず出てくるし、何か問題が見られるようであればそれを改善してくれ、と言いたくなるのは当たり前のことなのだから。

なので、そのような要望やクレームに、講師はきちんと対応することが必要になる。

「来年はもっと良い研修を・・・」という要望に対しては、まずは「きちんと繰り返すことが大切です。」ということを伝えて納得してもらった。
実際に2年目以降はどうしても油断をしがちになる。
それを乗り越えて最初と同じだけの品質の研修ができることが、まずは必要なのだ。

「規律正しく見えるように・・・」については「自由に考えて行動することを促すために、わざと緩めています。」と伝える。ぐだぐだに見えるかもしれないが、そこで生み出される成果に気付いてもらえれば、とてもクリエイティブな場であることを理解してもらえる。
押しつけの形だけの規律などは、自由な考えと成長を妨げるだけである。
場が成熟すれば、規律の必要性を納得してもらうことで、一気に規律正しい場とすることもできる。

「6回ではなく4回で十分では・・・」については、研修全体の組み立てと意図についてきちんと説明をし、納得してもらう。実際には「失敗からの立て直し」と「立て直した後の自律化」に2回を使ったのだが、それを説明して納得してもらう。
「技術力を付けさせて欲しい」というのは技術研修ではよく出てくる要望である。
場合によってはクレームという感じで伝えられることも多い。
実際にはこのような要望への対処は難しい。
技術力を上げて欲しい、という要望に対しての答は、私の場合は次のようなものである。

「技術力はスキルであるから訓練の繰り返しがもっとも効果的である。」

そのために、説明を簡潔にすることにより、説明の時間を短くし、より多くの時間を演習にあてることになる。
さらに、演習中の集中力を上げるために時間などの環境的プレッシャーをかける。
そして、演習中に不安などが学習を妨げていると判断したら、それを取り除くように努める。

自ら考える習慣が付いてから後の演習では、少し聞いてくれればヒントを与えられるのに、というところでも一生懸命に自分で答を見つけようとして時間がかかりすぎる場合がある。
そのようなときに、考える時間の目安を与えることも有効である。

実際に技術力を限られた時間の中で上げさせようと思えば、これらの方法しかないだろう。
残念ながら、どんなに懇切丁寧に適切な説明をしたとしてもスキルとしては身につかないのだから。
「技術力を付けさせて欲しい」という要望には他にも落とし穴がある。
例えば、「技術力」として身につけさせたい内容が、研修の実施側とクライアント側で同じなのか、というのも考えなければならない。
研修会社に頼んむ研修では、その研修会社のカリキュラムで実施することが多いが、それが現場で必要とされる内容と違えば「技術力が足りない」という評価を受けることにつながる。

この場合には、どんなに一生懸命にカリキュラムに従って技術力を付けさせたとしても評価されないだろう。
要望に直接的に対応するためには、吊しの研修ではなくオーダーメイドの研修にするしか手はない。
もしくは単なる技術力以外の価値を研修に含めることで、そこに価値を見いだしてもらうことぐらいだろうか。
他にもこんなこともある。
ある会社で「もっと技術力を身につけさせて欲しい」という要望が上がってきたのだが、別の機会にその会社で話をうかがったときに次のような話を聞くことができた。

要望をあげた部署には、これまで学生時代からプログラムを学んで来た人が数年続けて配属されていた。
そのため、新人研修などなくても、それなりにできる人が配属されてきた。
数年経つうちに、それが新人のレベルとして定着してしまった。
その部署に、久しぶりに学生時代にプログラミング未経験の新人が配属された。
その部署で定着してしまっていた「新人のレベル」に比べて配属された新人は技術レベルが低い。
だから「もっと技術力を付けさせて欲しい」という要望が出た。

2ヶ月ほどの新入社員研修の中で、未経験者から4年間以上趣味でプログラムを書いてきた人に比肩できるレベルまで技術力を育てることはそう簡単ではあるまい。

要望やクレームというのは、一見して当たり前のことを言っているようなものほど、冷静な分析と考察が必要なのだ、というのは私の経験からの実感である。

もっともよくない対応は、言われたことに対応しようとして場当たり的な解決策を持ち出すことであると思う。
結果的には傷口を広げるだけになるだろう。