講師として。人として。

私はフリーランスの講師である。
どこかの研修会社の専属ではない。

いくつかの研修企業から、研修の仕事をいただき、なんとか暮らしている。
直接クライアント企業様から依頼をいただく場合もある。

私は職人でありたい。
講師という仕事をする職人である。

学んでいただく技術を極め、学ぶことが楽しいと思っていただけるようにしたい。
人のやる気を引き出し、人が活き活き活動できるような気づきを産み続けたい。

私は歩みを止めたくない。
同じ事を繰り返すのは楽だが、昨日と同じ事をしたくはない。

固定されたカリキュラムではなく、1回1回、進化した研修を実施したい。
カメの歩みでも、カタツムリの歩みでもよい、前に進むことを止めたくない。

私は間違いたくない。
思い込みというのも間違いである。

学び方、伝える内容、常に学び続け、自分の間違いに気付き続けたい。
技術もヒューマンスキルも少しずつ、時には大きく変わっていく。

私は敏感でありたい。
人の心を常に感じられるようにしていたい。

講師という仕事は、人の心を無視してはできない仕事である。
人の気持ちを感じ、反応できることが、よい学びの場を作るために欠かせない。

私は信じ続けたい。
学ぶ人の、人間の力を信じ続けたい。

信じ切り、待つことが人を育てる。
育てるためには任せきること、と話したことがあるが、それは私の心からの言葉。

私は寄り添い続けたい。
自分のためではなく、受講してくださる方のための講師でいたい。

常に相手のために。
心は相手の中に。

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