Archive for 2016年1月25日

Takanori

先生の先生の先生

今年も新入社員向けの講師育成が始まった。

昨年は、講師候補の方に対して私が直接担当させていただいたのだが、今年はまた違うパターンで、講師を教える講師の方に、教え方を教える、という複雑なことになっている。
言ってみれば、昨年は先生の先生で、今年は先生の先生の先生、といった感じだろうか。
直接担当させてもらったときには、30人を越える講師候補の方をほぼ1人対応していたので、一人一人に気を配りつつカリキュラムを考えて実施していくことは、とても気を使う業務であった。
また、カリキュラムについても、与えられた時間内で最大限の効果を得るために、ぎりぎりのタイミングを見計らいグループワークなどを設定し、モチベーションを引き出し学びの場の強化につながることは、すべて行うように努めていたことも、気を使うことにつながっていた。

ある意味、講師スキルをフルに発揮する必要のある、とてもやりがいのある研修であった。
今年は、直接私が研修をするのではなく、講師研修を行う講師を育てる、という間接的な関わりとなったことで、行うミッションは大きく変わった。
だが、していることは至極簡単である。
学んでもらわないとならないことを抽出、優先順位付けして整理し、それを学んでもらえる方法を考えてもらう、だけである。

学んでもらう方法はいろいろあるが、どのような方法を使えるかは、実際に現場に立つ講師の知識、経験、力量に大きく左右される。
残念ながら私が昨年使った方法を全て伝える時間はない。
なので、基本的には現在のスキルによって伝えてもらわなければならない。

ということで、講師育成の講師を育てるカリキュラムは以下の通りである。

1・伝えなければならないスキルを抽出する。
2・抽出したスキルの優先順位を決める。
3・どこまでが必須かを決める。
4・必須の項目について学んでもらう方法を、自分にできる範囲で考える。
5・スケジュール化する。

このように書くと、すべて「作業」に見えるかもしれないが、これこそが教えるための準備である。
このような「作業」を行わなければ何を伝えればよいのかさえ分からない状態になってしまうだろう。
たとえ自分のできることでも、きちんと言語化できるようにしておかなければ伝えることができないので、事前にきちんと「スキル」として認識し言語化できるようにしておくことは、伝えることの最初のステップである。

スキルの重要度を意識できれば、講師育成の現場で迷うことも、よけいなことを言うことも少なくなるだろう。

これらに加えて、できれば「質問のスキル」を身につけてもらいたいと考えている。

与えられた時間と環境の中でできることはこれぐらいであろう。

コメントスキルの訓練もしたいが、それを行う時間はなさそうである。

講師育成研修は難しい。

なぜなら育てなければならないスキルはさまざまなヒューマンスキルと実践的な技術スキルであり、教えた気になってすませることができないものだからだ。
育てるためには徹底した訓練が欠かせない。
さらに、ほとんどマイナスから始まるモチベーションをプラスにし、講師という仕事を「やりたい」と思ってもらわなければならない。

使える時間も十分ではない。

制約の中でできることを行い、可能な限りの成果を出したいと思っているが、今年の講師育成の枠組みの中ではできないことも出てくることだろう。

どこまでできるか。

今年もまた挑戦である。

Takanori

研修の要望に対する対応

研修を実施していると、終了後の振り返りによっていろいろな要望を受けることになる。

曰く「(技術研修においては)もっと技術力を付けさせて欲しい。」、曰く「研修は、6回ではなく4回で十分だったのではないか。」、曰く「もっと規律正しく見えるようにして欲しい。」。

中には「今年の研修は素晴らしかった。だから、来年はもっと良い研修をお願いします。」なんてものもある。

研修の後にこのような要望やクレームが出てくるのは仕方がないことである。
たとえ素晴らしいと言っていただいたような研修であっても、それに対して、あれを足したい、これも入れたい、というのは必ず出てくるし、何か問題が見られるようであればそれを改善してくれ、と言いたくなるのは当たり前のことなのだから。

なので、そのような要望やクレームに、講師はきちんと対応することが必要になる。

「来年はもっと良い研修を・・・」という要望に対しては、まずは「きちんと繰り返すことが大切です。」ということを伝えて納得してもらった。
実際に2年目以降はどうしても油断をしがちになる。
それを乗り越えて最初と同じだけの品質の研修ができることが、まずは必要なのだ。

「規律正しく見えるように・・・」については「自由に考えて行動することを促すために、わざと緩めています。」と伝える。ぐだぐだに見えるかもしれないが、そこで生み出される成果に気付いてもらえれば、とてもクリエイティブな場であることを理解してもらえる。
押しつけの形だけの規律などは、自由な考えと成長を妨げるだけである。
場が成熟すれば、規律の必要性を納得してもらうことで、一気に規律正しい場とすることもできる。

「6回ではなく4回で十分では・・・」については、研修全体の組み立てと意図についてきちんと説明をし、納得してもらう。実際には「失敗からの立て直し」と「立て直した後の自律化」に2回を使ったのだが、それを説明して納得してもらう。
「技術力を付けさせて欲しい」というのは技術研修ではよく出てくる要望である。
場合によってはクレームという感じで伝えられることも多い。
実際にはこのような要望への対処は難しい。
技術力を上げて欲しい、という要望に対しての答は、私の場合は次のようなものである。

「技術力はスキルであるから訓練の繰り返しがもっとも効果的である。」

そのために、説明を簡潔にすることにより、説明の時間を短くし、より多くの時間を演習にあてることになる。
さらに、演習中の集中力を上げるために時間などの環境的プレッシャーをかける。
そして、演習中に不安などが学習を妨げていると判断したら、それを取り除くように努める。

自ら考える習慣が付いてから後の演習では、少し聞いてくれればヒントを与えられるのに、というところでも一生懸命に自分で答を見つけようとして時間がかかりすぎる場合がある。
そのようなときに、考える時間の目安を与えることも有効である。

実際に技術力を限られた時間の中で上げさせようと思えば、これらの方法しかないだろう。
残念ながら、どんなに懇切丁寧に適切な説明をしたとしてもスキルとしては身につかないのだから。
「技術力を付けさせて欲しい」という要望には他にも落とし穴がある。
例えば、「技術力」として身につけさせたい内容が、研修の実施側とクライアント側で同じなのか、というのも考えなければならない。
研修会社に頼んむ研修では、その研修会社のカリキュラムで実施することが多いが、それが現場で必要とされる内容と違えば「技術力が足りない」という評価を受けることにつながる。

この場合には、どんなに一生懸命にカリキュラムに従って技術力を付けさせたとしても評価されないだろう。
要望に直接的に対応するためには、吊しの研修ではなくオーダーメイドの研修にするしか手はない。
もしくは単なる技術力以外の価値を研修に含めることで、そこに価値を見いだしてもらうことぐらいだろうか。
他にもこんなこともある。
ある会社で「もっと技術力を身につけさせて欲しい」という要望が上がってきたのだが、別の機会にその会社で話をうかがったときに次のような話を聞くことができた。

要望をあげた部署には、これまで学生時代からプログラムを学んで来た人が数年続けて配属されていた。
そのため、新人研修などなくても、それなりにできる人が配属されてきた。
数年経つうちに、それが新人のレベルとして定着してしまった。
その部署に、久しぶりに学生時代にプログラミング未経験の新人が配属された。
その部署で定着してしまっていた「新人のレベル」に比べて配属された新人は技術レベルが低い。
だから「もっと技術力を付けさせて欲しい」という要望が出た。

2ヶ月ほどの新入社員研修の中で、未経験者から4年間以上趣味でプログラムを書いてきた人に比肩できるレベルまで技術力を育てることはそう簡単ではあるまい。

要望やクレームというのは、一見して当たり前のことを言っているようなものほど、冷静な分析と考察が必要なのだ、というのは私の経験からの実感である。

もっともよくない対応は、言われたことに対応しようとして場当たり的な解決策を持ち出すことであると思う。
結果的には傷口を広げるだけになるだろう。

Takanori

コーチング研修のあり方

昨日、ある方と話をする中で「コーチング研修をうけたんだけど・・・」という話題になった。

話をうかがうとだいたいこんな感じである。

・コーチングの研修を1日だったか2日だったか受けた。
・だが、結果が出なかった。
・そのためコーチングの考え方ではなく、より厳しくしなければ、という方向に社内が動いている。

それはそうだろう。

1日や2日の研修を受けただけでコーチングができるようになれば誰も苦労しない。
できるわけがないことをして、ダメと判断してしまうほどもったいないことはない。

コーチングの基本的な考え方は以下の通りである。

・「自主性」「考える力」「コミュニケーションの力」を育てる。
・それを通して、人が本来持つ力を引き出す。

実現するために、以下のようなスキルを身につける必要がある。

・傾聴、観察のスキル
・伝えるスキル
・問題発見のスキル
・質問(課題)のスキル

それに加えて、待つことができるような本人の意識の変革も求められる。

これだけのことを1日、2日でできると思うほうがどうかしている。
私が行うコーチングの研修は、例えば次のようなものである。

・月に一度の集合研修を行う。
・それを半年間(六ヶ月)続ける。
・研修の間には自主的に宿題を決めてもらう。
・次回にそれの振り返りを行う。
・研修の内容では、受講者の現場で起きている問題を課題に使う。

このような流れの研修で、理解をし、腑に落ちて、具体的な行動の変化に表れるところまではたどり着ける。
ただ、スキルとして使いこなすことができるようになるまでは、研修後に繰り返し練習することが必要なので、その「継続した練習」の意識を持たせるために、しつこいぐらいの意識付けを行う。
頻度や期間はクライアントの担当者と相談しながら、可能な範囲で最大限の効果を得られるような研修を考えるので、この流れはあくまでも一例である。

このような研修でも、全員がコーチングのエキスパートになれるわけではないが、全体としてそれなりの成果が出てくるのではないかと考えている。
コーチングは魔法の杖ではない。
きちんとした心理学をベースとした理論の上にできている方法論である。
だから、しかるべき手順で学べば学べる。
箱根駅伝で圧勝の青山学院、大学ラグビー全国大会で7連覇の帝京大学、ラグビーワールドカップで素晴らしい成績をあげた日本代表。

これらはすべて、育成についてコーチングの考え方がベースにあり、その成果が出ているものだ。
コーチングの考え方は、人を育てるために普遍的なものであり、普遍的であるからこそ非常に強力である。

それを、学び方が悪いために捨ててしまうことがどれほどもったいないことか。
コーチングの考え方を通して組織を強くしたいと思うのならば、きちんと学べる研修を選ぶ必要がある。

まちがっても「コーチング研修1日」などというのは「知るだけのもの」でしかないので、選んではいけない。
期間が長ければよいというものではないが、最低限必要な日数というのはあるだろう。

また、知識ではなく気付き、暗記ではなく訓練を重視する研修を選ぶことをお勧めする。
昨日、コーチングのまずい学び方により、コーチングを学ぶ機会を失った人達がいた(実はこれが驚くほど多い)話を聞き、悲しくなってしまった。

教える側として、教えることを目的にしていてはいけない。
学んでもらい、学んでもらった結果としてクライアントの人生が良くなること、以外に、教える側の目的があるはずはないのだ。

研修を行い、コーチングを誤解して見切りをつけさせ、よくない方向に進ませてしまうことは、本来の目的から考えればあり得ないことである。
そのような研修は、教える側にいる人間として、してはならないことではないかと考える。

Takanori

勉強会の手応え

昨年12月で勉強会の開催が3回を数えた。
今のところの仕切りは私がおこなっているが、あえて自由度を高くしていることもあり、とても面白い「勉強の場」になっている。

学べる内容はよりシンプルになるし、答えにたどり着く精度も上がる。
さらに過程を端折らないため、自分たちで出した結果への納得度が高い。

私にとっても面白い場である。

これまで何年も「考える」を伝えるときに使ってきた私の中の整理を超える答えが、サクッと出てきてしまったりするのだから、悔しくなりそうな勢いである。他にもどのあたりで迷いやすいのか、どんな言葉がきっかけになるのか、など、多くの気づきをもらえる。

出てくる結果は、シンプルである。
3日間で出てきた結果だけを、言葉で簡潔に語れば3分で話せるだろう。
だが、誰も3分で教えて欲しいとは言わない。

結果だけ見れば簡単なのだが、その結果につながる理由や流れまで一緒にまとめて理解してしまっているからだろう。
全体が見えていく快感はいいものである。

十分な時間をかけて行うグループワークには、適切なファシリテーションも欠かせない。
私が時々口を出したりしているが、放っておけばグループワークの中で独自のファシリテーションの基本も見られる。

グループワークの進め方も、だんだん、ロジカルシンキングのように洗練されていくだろう。

できるようになった後で理論を学ぶことは、驚くほど効率が良い。言葉にはできていなくても知っていることなのだから、パズルのピースがはまるように、気持ちがいいように収まっていく。
できるようになる過程で、さまざまな試行錯誤を繰り返しているから、理解そのものにも厚みがある。

あるところまでいったら、学びは、驚くような加速を見せることだろう。
すべてがハマっていく時の快感をどのように表現してくれるか楽しみである。

そんな妄想をしたくなるのが、今の勉強会の手応えである。