Archive for 2015年11月4日

Takanori

ミニラグビー交流会のマネジメント

三郷ミニラグビー交流会が、参加してくださったスクールの皆さんの協力もあり、無事に終了しました。

まずは、参加していただいた各スクールの方々にお礼を申し上げます。

三郷ミニラグビー交流会は、毎年、20数スクール、2000人以上が参加し120ゲーム前後が行われる、実質1スクール主催のイベントとしてはかなり大規模な大会です。
9月中旬から各スクールに参加の意向をうかがい、代表者会議、レフリー講習会、備品確認、各種打ち合わせや組み合わせの作成などを行い、前日には荷物の積み込み、当日の開催と撤収、という流れを、スクールの指導者と他のスクールの方のご協力をいただいて実施していきます。

そんな三郷ミニラグビー交流会ですが、今回は、交流会と私自身の関わりについて書いてみたいと思います。

私が三郷ミニラグビー交流会の担当ととなったのは2003年でした。
それから既に10年以上やってきましたが、私にとってはとても大きなマネジメントの学習をする場となっています。

担当を引き継いで最初の数年間は、引き継いだときの資料がほとんどなかったこともあり、交流会の運用をできるだけルーチン化することを考えていました。
作業のための資料を作り、細かい段取りや手順を考え、担当を配置決めて細かい指示をし、滞りなく交流会が終わるように、と必死だった記憶があります。
その頃には、参加してくださるスクールの方々との面識もなく、お客さんをもてなさなければならない、問題があってはいけない、という気持ちが強く、なんとか交流会を無事に終わらせることができるように、と祈っていました。

数年経つと、ある程度作業の流れが決まってきて、資料もそろい、ルーチン化できるようになってきました。
そうなると、多少の余裕も出てきて、今まで見えなかったことが見えるようになります。
それは「指示していないことも行われている」ということでした。
そして、そのおかげで、交流会が無事に実行できていたのです。

それまでは「私が担当なんだからやらないと」という気持ちがとても強く、逆に言うとエネルギーをかけていた分「私が交流会をうまく回しているんだ」と思い上がっていた部分があります。

実際にはとんでもない話です。
私の見えないところで、現場にいる人たちが一生懸命に自分で考えて作業をし、そのおかげで交流会が実現できていたのですから。
それが見えない私はチームマネージャーとしては「だめな人」でしかないでしょう。

それに気づいた頃「自律分散」というキーワードを知りました。
そして、交流会の運用がまさに「自律分散」であること、そしてその威力を理解しました。

その後の私は「自律分散」について積極的に取り組みました。
少しずつ、自分でやっていた作業を減らし、担当となっている人にお任せし、問題があると思うところだけ意見を言わせていただき、担当がいないようなことがあれば私がやらせてもらう、という形にしていきました。

そうしたら、何のことはありません。
毎年いくらかの問題があったとしても、ちゃんと交流会が開催され、終わっていくのです。
いくらかの問題は、私が必死になっていた頃にもあったもので、任せたから発生した問題でもありません。

もし、何か固定的な問題があるとすれば、私自身が考えたとおりにはならないこともある、ということぐらいです。
そしてそれは、交流会の実施という目的に対しては本質的な問題ではありません。

もちろん、気になるときはあります。
あそこはどうか、ここはどうか。
ですが「任せて任せきること」という人材育成で私が実感している原則は、組織の人を動かす上でもまた同じように大切な事なのです。

最近では、参加してくださっているスクールの方々にも運営に協力していただいています。
準備や撤収の作業もそうなのですが、スクールの待機場所の調整や、レフリーの入れ替えなども、「空いているところを適当に使うから大丈夫だよ。」「こことここのレフリーを入れ替えたいので、お互いに調整しておいたからよろしく」というレベルで勝手にやってくれているのです。
何年もかけてつながってきた人間関係がベースにあるからできることなのだと、これも実感しています。

10数人のコアチームがあり、最終的には2000人を越えるチームが交流会の成功という目的に対して意識を持って動いてくれる。

それが今の三郷ミニラグビー交流会というプロジェクトなのです。
交流会を10回以上経験し、ある程度は細かいところまで意識できるようになってきた今であれば、管理型のマネージメントもやればできるだろうと思います。
ですが、その時の限界は、私個人の限界に直結します。創造的な発展も、チームとしてもつ力を全て発揮することもできないでしょう。
自律分散型のチームの限界は、私個人のそれよりもはるかに高いのです。
今年は、日本ラグビー協会副会長も見学に来られ「これはいい」と言われていたと後から話をききました。

Cチーム内のグラウンド内コーチをなくすという試みもよい成果を残したと思います。

フェアプレイ賞をゲーム後に決めるという習慣も、他府県に広がっているという話もうかがいました。

「まだまだこれからできることがある。」

10年以上三郷ミニラグビー交流会の担当をさせてもらってきて、やっとそう思えるようになってきました。

ただ実施することだけが目的ではなく、価値を生み出すことができるイベントを。

私自身が発想するわけではありませんが、それを目指しているスクールの団長や他の方々の「やりたいこと」を支援できるようなチーム運営ができたらよいな、と思います。

Takanori

少年ラグビーのコーチ

ラグビーワールドカップにおいて、日本代表が南アフリカに勝ったことによって、一気にラグビーへの関心が高まった。

南アフリカ戦の戦いを見て心が震えた人も多いだろう。
私も涙なくしては見られないゲームだった。

あのゲームを見、エディ/ジョーンズヘッドコーチのさまざまな発言を聞く中で、あらためて、ラグビースクールでのコーチングについて考えた。

小学生、中学生が対象のラグビースクールにおいては、そこで勝つことがゴールではない、ということを分かっていないコーチが多い。
もしくは分かっていても、そのゲームにコーチとして勝ちたい自分を抑えられない場合もある。
そういう人は、例えばトーナメント戦で負けると腹が立つ。
勝てばいい指導をしたからだ、と思う。

逆である。

負けたらそれは子どもの力を引き出しきれない指導者の問題をまず考えるべきである。腹を立てて怒るなどは、子供立ちに責任を転嫁しようとしてるだけである。
勝ったら、それは子供立ちが頑張ったからである。

また、ある年代、特に小学生、中学生に対して、どのような能力を育てるべきなのか、ということも考えずに、自分の知っている(決してベストではない)ラグビーの形を、そのまま子どもにやらせて満足し、できなければ怒るコーチもまた多い。

育てるべき能力が分からなければ、それを育てるための方法も分からない。
だから、自分がやらされてきた練習メニューを子供たちにもやらせる。

子供たちにとってはいい迷惑である。
少年ラグビースクールのコーチの役割は、それほど難しいことではない。
担当する少年少女の人生が少しでも良いものになるように、運動能力、考える力、コミュニケーション能力などの基本的な力を育てることである。
そしてその延長として、例えば世界で戦えるスポーツ選手などの人材となれる基礎と可能性を作ることである。

それ以外の役割も目的もない。

コーチの役割は、決して、そのコーチの持つ中途半端なラグビーの知識で知ったかぶりをしてラグビーの形を教えることではない。
それでは基礎を作るどころか、子どもが持つ可能性を潰すだけだ。
子どもの成長に関わるコーチは、その子どもの人生に責任を持つことになる。

コーチはその責任を自覚し、育て方を学び、実践できるように訓練しなければならない。
これは、人を育てる、という作業をするものにとっての義務だと考えなければならない。

ちょっとラグビーを知っているから、昔プレイヤーだったから、ということだけでコーチをしていてはいけない。
過去にどれほど素晴らしい選手であったとしても、子どもの将来に対して責任を持つために、育て方を学ぶ事は義務なのだ。

具体的な方法論を折に触れて示していこうと思うが、読んで知るだけでは変わることは難しい。
考え、気づくことでしか人は変われない。

ぜひきちんとした知識を学び、現場で実践し、振り返りを行ってほしい。

最後に繰り返しておきたい。

コーチの役割は、今、自分がしたいことをすることではない。
子どもの将来のためになることをすることだ。
そのためには育て方を学ばなければならない。

これだけは忘れてはいけない。