Archive for 2014年12月28日

Takanori

研修で学ぶこと

研修はなんのために行うのか、といえば、何かを学ぶためである。

通常は「○○研修」というタイトルが付き、もし「○○」が「コミュニケーション」であればコミュニケーションについて学ぶことになる。

だが、実際には、その研修に参加した人すべてが同じ事を学べるとは限らない。
というよりも、そうでないことの方がほとんどであろう。

例えば、コミュニケーション研修において伝え方を学ぶ場合、伝えるためにしなければならないことをちょっとあげてみると次のようになる。

1・言葉を選ぶ。
2・文章を適切な長さにする。
3・適切な早さで話す。
4・間を空ける。
5・などなど
注:順番はてきとうである

受講生の中には、1と2はできているが3ができていないとか、3と4はできているが1ができないとか、いろいろな人がいる。
1から4までだいたいできるが、もっとうまくなりたいと思っている人もいるだろう。

このようにスタート地点がちがう人がいれば、学ぶことがちがうのはあたりまえのことだ。
特に、新入社員研修のように、学ぶ内容が多岐にわたる場合にはさらに学ぶことの違いは大きくなる。
新入社員研修などの場合、最初のうち、講師の意向をとても気にする人がいたりする。
「講師が何を学ばせたいと思っているか」という「講師の意図」を気にする人がいるのだ。

そういう質問は、前述のような理由からあまり意味がない。

もちろん、最低限学んで欲しいことはある。
それについては、繰り返すことや、メッセージを発すること、課題の設定方法などによって担保することになるが、それ以外の部分は、自ら学ぶことを考えてもらわなければならないのだ。

だから受講生から「先生が言いたいのはこういうことですか?」というような質問が来た場合には、次のように答えることにしている。

「大切なのは、私が何を教えたいか、ではなく、君たちが何を学んだのか、です。」
とらえ方によっては、講師の逃げと言われるかもしれない。
学ぶ内容を受講生任せにしているからだ。

だが、受講生に理解を強制することができない以上、何を理解し、学ぶのかは受講生に委ねるしかない。
何を理解し、何を学ぶのかは、受講生が学びたいと思ったことに依存する。
だから、これ以外の方法はない。
それでも逃げていると言われる方は、次のように考えてみて欲しい。
教えるべき内容を説明し、理解させたつもりになっている研修は、より悪いのではないか、と。
ちなみに、これまでの研修講師人生の中で、上記のような考え方でやってきて「逃げてますね」と言われたことは一度もない。

それは、学ぶべき内容を学んだ上で、さらに多くの内容を自発的に学んでくれているからだろう。
ここ2年の新入社員研修は、座学ゼロを目指してきた。
カリキュラム内容が少し変わったのに対応したのもある。

来年の新入社員研修でも、新しい挑戦をしていきたい。
そして、学んでもらうべき内容を効率よく学んでもらい、それ以外にも少しでも多くの学びの機会を用意できるようにしていきたい。

新しい挑戦のキーワードは「自発性」になるだろう。

これまでの新入社員研修では「学ぶこと」は私が用意してきた。
今年は「何を学ばなければならないか」を新入社員に考えてもらう可能性を探ってみたい。

もちろん全て任せるわけにはいかないが、何を学ばなければならないのかを考える時間は、より多くの自発性を育ててくれることだろう。

2ヶ月間、そのような育て方をした時にどれほどの変化が見られるのか楽しみである。
しかし、きっと端から見た「放置している感」はさらに強くなってしまうに違いない。
ぱっと見、仕事をしているように見えないのは、それはそれでちょっと悩みなのであるが、論理的に考えて他に方法はない。

より多くの成果のためには、私が遊んでいるように見えるのは、あきらめるしかなさそうだ。

Takanori

研修中は本が読めない

私の研修ではグループワークが多い。

特に新入社員研修のような長期の研修になると、慣れてくれば長い時間のグループワークができるようになるので、2、3時間から半日、また1日以上になるものまで出てくる。

長いグループワークの間、講師の私が主体的にできることはなくなる。
以前、そういう話をしたときに、ある研修会社の人に「別の仕事をしていたらどうですか?」と言われたことがある。
グループワークをしている間の講師は暇だから、別の仕事をしていても、本を読んでいてもよい、という話である。
ところが、実際にはそうはいかない。
以前の自発性の話のところでも書いたが、いつ「自発性の芽」が生まれるのかわらからないし、グループワークの進み方を把握していなければその後のコメントの質を上げることも、適切なタイミングでアドバイスをすることも難しい。
だから、観察していなければならない。

隣にいるサブ講師の人と話をするのはいい。

私の脳的には、話しながらグループワークの様子を観察するのはそれほど難しくはないからだ。
サブ講師と話をしながら、グループワークの中の話し合いにコメントをする様子を見て、サブ講師の人から「すごいですね」と言われたことがあるが、私の中では、なぜかそれはできる。
普段から、複数のグループの進行を同時に観察する訓練をしているからかもしれない。
同様に簡単なゲームをしていても観察をする障害にはならない。

だが、本を読んだり、プログラムを書いたり、次の日の予定を考えたり、という作業は難しい。
なぜならば、それに脳力(誤字ではない)を大きく使わなければならないからだ。
集中する作業をすると観察が明らかにおろそかになる。

試しにやってみたことがあるのだが、その時には、私の「場の把握に関する意識」というのが大きく損なわれた感じがした。
感じだけではなく、実際にそうなのであろう。
なので、グループワークをしている際には私は本を読めないのだ。
だから、私が一生懸命調べものをしていたり、教育に関する本を読んでいたりするときには、研修講師としての仕事を十分にはできていないはずである。

研修中の私は、サブ講師の人とおしゃべりをしたり、ぼーっと場を眺めていたりすることがよくある。
よくある、というよりも、ほとんどそんな感じだろう。

研修を見学してくれた人、受講してくれた人には、そんな私を見て「あー仕事をしているんだな」と思っていただければ幸いである。

Takanori

自発性を育てる

以前、NHKの「プロフェッショナルの流儀」とう番組の関係で、で茂木健一郎氏が「育ての極意」というのをやっていた(2009年3月31日放送)。

http://www.nhk.or.jp/professional/2009/0331/index.html

その中で言っていたのは次のようなことだ。

「自発性を引き出す」
・あえて、教えない。
・ひたすら待つ ただし、観察しながら。
・自発性の目を見つけたら、その時、本気でアクション

「挑戦する心を育てる」
・安全基地が必要

「後悔をする」
・後悔が、次の行動を変えるのに効果的。
概ね、私の実施している研修と同じことをしている。

私の研修を私の言葉で表現すると次のようになる。

「自発性を引き出す」
・教えないで教える。
・できるまで待つ。
・観察は欠かせない。
・動きたくなる環境を作る。
・いいところをきちんとほめる。
・楽しさを見つけさせる。

「挑戦する心を育てる」
・適切な課題を提示する。
・自由な挑戦を歓迎する。
・グループワークで仲間と学ぶ。
・競わせる。
・話をきちんと聴き、受け取る。

「後悔をする」
・振り返りを行い次のアクションを考える。

これらが価値を持つのは脳科学的にも裏付けがあるらしい。
私も実際に、これらの手法が効果を発揮した例をたくさん見てきた。

番組でも「自発的な行動」の大切さを繰り返して述べていたが、その通りだと思う。
研修においても、何かを無理にやらせていては学習の効果は上がりにくい。
自発的な動きを引き出す研修を心がけているが、インストラクション(指示)を失敗した場合に自発性を引き出せない場合もたまにある。
失敗したときには、どうしても動き始めの「スピード」が、自発的な動きの時と比べて遅くなる。
そんなところからも、ちがうのだ。

学習の速度も、総じて速くなる。
私のIT技術研修が、想定されているカリキュラムの半分の時間で終われるのは、受講生が自発的な学習をしてくれているからである。
自発的な行動が発生するまで待つのではなく、教えてしまった方が早いのでは?という考え方をする人もいるかもしれないが、実際には圧倒的に自発的な行動を待った方が早い。

だから、自発的な行動をどれだけ早く引き出せるか、というのがより効率のよい学びのために重要なのだ。

2時間の研修で、自発的な行動を引き出すのに2時間かかっていては意味がない。
最初の15分が勝負である。

1日の研修でも、開始30分で引き出せれば1日を有意義に使えるだろう。
自発性を素早く引き出し、学びの効率を上げる。
これが講師の仕事だと思う。
自発性を引き出すには待たなければいけないが、待つ時間をできる限り短くするのだ。

以下の研修では、このようなノウハウをたっぷりお伝えしたいと思う。
http://www.street-academy.com/myclass/3225

Takanori

グループワークの課題

研修におけるグループワークの課題、テーマというものは、目的に応じて作ったり選んだりするものである、ということを前回書いた。

だが、毎回全てがちがう研修ということもまたないので、共通に使えるような課題もいろいろある。

今回はいくつかそんな課題を紹介しようと思う。

「他己紹介」
自分以外の人の紹介をする、自己紹介のアレンジです。
最近は「他己紹介」というのはポピュラーになってきたようですが、私が思いついて10年前に実施したときにはほとんど聞くことがなかったものです。
ただ紹介するだけではなく、紹介の中に入れてもらう内容を指定すれば、知りたい情報を聞くためのよい手段となるし、アイスブレークとしての役割を果たすこともできます。
使えるときには積極的に使いたい、とても便利な課題です。

「ペン回し連想ゲーム」
テーマを提示してそのテーマから連想できる言葉を言います。
ペンをバトン代わりにして、言ったら次に回し、グループ対抗でどれだけたくさん言えたかを競います。
テーマの設定は、その日全体の内容に関することにすれば、研修に取り組む意識が自然と出てくるという効果的なチェックイン(ワークショップに参加する、という意識を作るためのもの)となります。
また、身体を動かし笑いも起きたりするので、アイスブレークの役割も果たせるという便利なものです。
自分の言った言葉をメモすることで、その後に役立つ言葉のリストとすることもできます。
ゲームでありながらブレインストーミングの役割を果たしますので、小さな発散が欲しいところであれば、できるだけ使いたい課題です。

「にょっき」
子供の遊びの「たけのこにょっきっき」です。
その場の雰囲気に合わせて動作を付けるかどうかを考え、番号を言うだけでもよいでしょう。
ノンバーバール(非言語)コミュニケーションを行いながら、1~人数までの数字を順番に言っていくゲームです。
動作も入ることと「まさかそんな遊びをさせられるとは」と意表を突くことで、場の雰囲気を和ませることができます。
言った番号に応じてグループ分けをするなどすれば、研修の中に自然に取り込めます。

「価値観の合意」
「愛情」「お金」など7つ程度の「概念」を提示し、まずは個人で重要な順番に番号を付けます。
その後、グループ内で話し合いにより順番の合意をとっていきます。
その際に、話し合い以外の多数決などの手段をとることは禁止します。
話し合いの時間はグループの人数によっても変わりますが、6人ほどのグループでは40分たっても合意がとれないところの方が圧倒的に多くなります。
自分の考え方と人の考え方は違うということを深く納得できるワークになります。
※振り返り必須

「文章を暗記させる」
二人一組のペアにより、実施します。
まずは70文字程度(文章の長さは目的によって変えます)の文章を作り、その文章を相手に話して暗誦させます。
暗誦できたら交代します。
この課題では、自分の話し方を強く意識することになり、その結果がすぐにフィードバックされるので、話し方のよい訓練になります。
言い直しを許すか、質問を許すか、などによってさまざまなバリエーションができます。
※振り返り必須

「読み聞かせ」
静かな物語を、相手に読み聞かせます。
間の開け方、話す速度、などが強く意識され、言葉を大切にしながら話す訓練にもなります。
「文章を暗記させる」に続けて実施すると効果的です。
※振り返り必須

「メモ禁止のワークショップ」
適当な課題(例えば、コミュニケーションとは?)について話し合いをするときに、手元のメモ、グループ共通のメモを禁止します。
より注意深く相手の話を聞かなければならなくなり、適切なタイミングでの確認が不可欠になります。
これにより、話し合いの場合の意識が大きく変わります。
※振り返り必須

「旅行代理店」
二人が旅行代理店と客に分かれて、旅行プランを作ってもらいます。
旅行代理店の人には、質問を使い分けつつ客の満足する旅行プランを作ってもらいます。
客の人は、旅行代理店の人の質問に答えてもらいます。
この課題の前に、質問の種類や仕方について学んだ後に実施すると、質問することに強い意識が働きます。
※振り返り必須

これら以外にもさまざまなグループワークを実施しているが、実施後の振り返りと、振り返り後の発表へのコメントが大きな影響を持つ。
コメントをしないという選択肢を選ぶことも含めて、振り返りをどのように受け止めるか、というのはとても大切なことだ。

ここでは一般的なコミュニケーション研修などで共通に使えそうな課題を書いてみた。
ネット上で見つけて、カスタマイズしながら使わせていただいているものも含まれる。
ここであげたものは、私の研修では何度も実施し、効果の確認できている課題である。
もし使えそうならば、ぜひ使ってみて欲しい。

Takanori

言葉のストック

ブログを書いていると、いろんなことを考え、それを表現する言葉を考える。

研修をしていると、いろんなことを考え、それを表現する言葉を考える。

ときどきではあるが、自分でも「あ、こういうことだったんだ」というのを自分の言葉から気付くことがある。
考えていく中で言葉ができ、その言葉により自分の理解が確かになる感覚である。

自分の理解を進めてくれた言葉は、人に話す際にも使える言葉となる。
なんとなくできている、というのもスキルである。

だが、それが「なんとなくできている」であるうちは人に伝えることが難しい。

スキルを人に伝えられるようになるには言葉で表す「言語化」が欠かせない。

「なんとなく」が明確な「言語」で表現されることで、さらに理解が進むことも多い。

言語化が成されたときの「スッキリした」という感覚を味わったことがある人も多いだろう。
言語化するために必要なことは2つある。

一つは、言語化できるところまでスキル化、もしくは論理的に組み立てられていること。
もう一つは、言語化しようとすることである。

言語化できる内容を持つことと、言語化する作業をすること、となるだろうか。
そのようにして言語化された言葉をたくさんストックしておけば、人に伝える時に使える言葉が増えていく。
そうすれば、伝えられることが増えていく。
多くのことを考え、実証してスキルとし、理論としてまとめ、言語化してたくさんためておくこと。
これが人に伝えていくために必要なことなのだろう。

言語化した言葉により縛られてしまうという危険性があることには注意が必要である。
だが、それはきちんと認識していればよいことだ。
本質を忘れなければすむ。

これからも、より多くのスキルをまとめ、言語化して自由に使えるようにしていきたい。

このブログもその作業の一環である。

Takanori

グループワークの作り方

私のブログを見ていると「グループワーク」で検索されてきてくれる人が多いようである。

そこで、今回はご期待に(?)お応えしてグループワークの作り方について少し話してみたい。

少し前に「ワークを作る」というタイトルで関連する内容を書いているので、それも合わせてお読みいただけるとよいだろうと思う。
http://www.technosense.co.jp/blog/archives/802

まず、研修においてグループワークを導入する理由を考えてみたい。

いくつかある。

・楽しい
・集中できる
・自発的な行動となる
・気づきを得られる
・受講生を観察できる

「楽しい」というのは私の研修を通してのキーワードでもあるが、人間というのは楽しくなければ学べないものである。
いろんな楽しいが存在するのだが、グループワークではいろんな楽しいを実現しやすい。

楽しければ「集中できる」。
誰もが、楽しいこと、例えば趣味などに「没頭」した経験をお持ちだろう。
研修に没頭することができる、というのはとてもいいことに違いない。

没頭するというのは「自発的な行動」である。
自発的な行動は多くの「気づき」の源となる。
考えたり、理解しようとしたりする行動無しには「気づき」は生まれないからだ。

グループワーク中の講師は、基本的には「ひま」である。
受講生を見ていることしかできない。
だが、見ていることによってそれぞれの受講生の個性や癖が見えてきて、それは後ほどの研修に大きな参考になる。
ただ「見る」のではなく「観察する意識」を持てば、多くの貴重な情報を得ることができる。
これらがグループワークを導入すべき理由の「一部」である。
他にもまだまだあるが、それはここでは省略する。
次に「何をするか?」である。

ネットで検索してもさまざまなグループワークの課題があることが分かる。
ついつい「どれにしようかな・・・天の神様の・・・」などとやりたくなるだろうが、それでは意味がない。
「これはおもしろそうだな」という観点もちょっと違う。

グループワークを実施するためには、必ず目的を持たなければならない。

例えば、お互いを知り仲良くなる、他の人の価値観があることを理解する、自分の癖に気が付く、など、さまざまな目的を考えることができるが、グループワークの課題を選ぶときには、まずその「目的」を明確にしなければならない。
アイスブレークなのか、何らかの気づきを生みたいのか、習熟するための訓練としたいのか、など、とにかく目的ありき、なのだ。

目的というのは、研修の流れで決まったり、問題点を発見したときの対応として出てきたりする。
その目的に合わせて課題を作ったり選んだりしなければならない。
目的が決まれば、あとは課題を作ったり選んだりする「だけ」である。

作るために必要なのは「想像力」と「創造力」だ。
いろんなことを思い浮かべ、一人でブレインストーミングをしたりする。
さまざまなアイデアを考えて、実施したら何が起きるかを想像し、グループワークに参加する人の気持ちを想像して、目的を達成できるかどうか考える。

選ぶ場合にも、選んだグループワークを実施したら何が起きるかを想像し、グループワークに参加する人の気持ちを想像して、目的を達成できるかどうか考える。

グループワーク集には「何々のために使うグループワークです」などという説明がある場合があるが、その説明通りになるとは限らない。

つまり、作る場合も、選ぶ場合も、それを実施したらどうなるかを「想像」することが欠かせない。

想像する力を養うためには、いろんなグループワークを実施して観察することが必要だろう。
場数を踏むことが、よりよいグループワークの実施につながっていく。
最後に「どのように実施するか?」である。

グループワークのやりかたの説明をし、「さあ始めてください」と言ったとたん、受講生がきょとんとする、などという経験をお持ちの方も多いだろう。

どのように気持ちを高めてグループワークに入らせるか、というインストラクション(指示)が大切である。

グループワークを実施するための目的を説明する場合も、説明しない場合もある。
どちらがよりモチベーションにつながるかを考えて判断する。

練習が必要なら練習の時間を設けることもある。

どのぐらいの時間でグループワークを実施するかも考える。
時間が足りないのも余るのも良くない。
だが、どちらかといえば、短めに設定し、必要ならば延期する方がモチベーションを維持しやすいが、最初の時間の見積もりは重要である。

実施方法の説明は、できるだけシンプルな言葉で漏れなく行うとよい。
長々と説明していると、説明の間だけで受講者が飽きてしまうこともある。

どのような言葉を使って、どのように説明をすればよいのかを考えてインストラクションをデザインしていくのだ。

そして、その練習をする。
しっかりと練習をすることで、余裕を持ってインストラクションができるようになるだろう。
より具体的な内容を伝える研修の実施を考えています。

「研修で利用するグループワークの企画と実施を学ぶ」
http://www.street-academy.com/myclass/3231

「社内研修講師の方にプロ講師のノウハウの核心をお伝えします。」
http://www.street-academy.com/myclass/3225

まだ開催日などは決めていませんが、受けたいと言ってくださる方が多ければ開催日を決めて実施したいと思います。

興味のある方はぜひ「受けたい登録」をしてください。

Takanori

技術者が足りない

最近、あちこちに営業をさせてもらっているが、行く先々で「技術者が足りない」という話を聞く。

実際に足りないことは間違いないので、新しい人を入れたり、教育したり、という話がたくさんある。
だが、技術者が足りない、という話を聞いて私が強く思うことが一つある。
それは、技術者が足りないのではなくて、業界が、会社が技術者を潰してしまっているのではないか、ということである。
新入社員研修を実施したクライアントと、実施後数年経ってお話をさせていただくことがたまにある。

そこで聞く話の中に「○○さんが体調を崩して会社を辞めた」とか「○○くんが体調を崩して休職中だ」というような話が出てくる。
○○さん、○○くんというのは、新入社員研修の中でも「優秀だ」と思っていた人であることがとても多い。
こういう流れである。

・もともと優秀でモチベーションも高い新人が入ってきた。

・即戦力として現場に投入しよう。

・現場でも仕事を早く覚えるのでできることが増えていく。

・できることが増えていけば、任せられる仕事も増えていく。

・優秀で責任感も高いので、がんばって対応しようとする。

・そして知らないうちに限界を超えている。

・体調を崩す。
これがどれだけもったいないことか。

採用にいくらのコストをかけたのか。
研修にいくらのコストをかけたのか。
配属されてからお金を稼げるようになるまでいくらのコストがかかったのか。

そして、これから会社のために利益を上げられるようになる、というタイミングで、会社を辞めたり休職したりしてしまう。

新入社員を潰してしまうこと、それも優秀な社員から潰してしまうことが、どれだけ会社の損になっているのかを考えてみてもらいたい。

コストを考えると一千万円単位の損失になるに違いない。
将来、会社にもたらしてくれるはずだった利益を考えたら、それは簡単に億単位の金額なるだろう。
そして、体調を崩した社員も、コストをかけて辞められた会社も、そのスキルを失うクライアントも、誰も得をしないという、Lose-Lose-Loseの関係なのだ。

私は、新入社員を潰してしまう部署は、会社に対する背任行為を行っている、と言ってもよいと思っている。

新入社員をつぶしてしまう部署は、毎年何千万もの損失を出している部署なのだ。
新入社員研修で、どんなにコミュニケーションスキルや技術力を身につけさせて現場に出しても、現場で使い潰されてしまうのでは意味がない。
解決策は一つしかない。

各部署で人を育てる力を持つことだ。
サーバントリーダーシップを発揮できる人をリーダーにすることだ。
できる技術者ができるリーダーではない。
技術者のスキルとリーダーのスキルは別物なのだ。
技術者がリーダーになる場合には、リーダーのスキルを身につけなければならない。
技術者がプロジェクトマネージャになるためには、プロジェクトマネージャのスキルを身につけなければならないのと同じことである。
だが、今の多くの会社ではそうなっていない。

だから、無理がきく技術者がリーダーとなり、自分と同じように無理がきくだろうと考えて、技術者を使い潰していく。
技術者が足りない、という前に、せっかくの優秀な技術者候補を減らさない工夫をし、技術者に育てなければならないのではないだろうか。

Takanori

センター試験廃止

NHKで1979年からの共通一次、1990年からのセンター試験と長い間続いてきた、大学入試のための学力評価試験が廃止されることになる、というニュースが流れていた。

共通の試験がなくなる、わけではなく、実施内容や方法が変わるそうである。

大きなテーマは「知識の活用」だそうだ。
知識を暗記することが主要な要素であったセンター試験の見直しである。

例えば、国語と英語をあわせた言語という分野の問題が出るなど、複数教科にまたがる問題を出すとか、記述式問題を含めるとか、英語では「聞く・話す・読む・書く」などの評価をするために外部試験を活用するなどである。

他にも、年に複数回の試験を実施する、点数ではなく段階的な評価とする、なども変更点である。

また、小論文・面接など多様な形での評価を求める、というのも制度の違いとしてあげられていた。
これらの変化は良いものであると思う。
だが、いろいろと物議を醸したゆとり教育も、ちゃんと機能すれば「良いもの」であったはずだ。
ゆとりにより生まれた時間を、きちんと考える教育の時間にすることができれば、ゆとり教育の目指したものを実現できたはずである。

だが、できなかった。

原因は、現場がそれに対応できなかったことだろう。
今回の試験制度の変更を、ニュースの中で学習塾の担当者が「教育が変わらなければならない」と言いつつも「理想論」と表現していた。

私なんかは、まだまだ本来目指すものとはちがうと思うので、このレベルで理想論と言ってしまう教育業界にも問題があるとは思うが、今まで求められていた「暗記をいかに効率よく行うか」に「考えなければならない要素」が入ることは、パラダイムシフトとも言える出来事なのだろう。
ゆとり教育の時代とちがうのは、学力評価試験があるために必然的に何らかの対応が求められてしまうことだろう。
分からないから放っておけ、という対応ができなくなるのだ。

時間が経てば「受験テクニック」に落ちていってしまうのかもしれないが、できれば本当に考える教育に舵を切るきっかけになって欲しいと思う。

ゆとり教育における「現場が対応できなかった失敗」を繰り返さないためにぜひとも、新しい試験制度に対応する「現場の対応する力」を育ててもらいたいと思う。

そのための方法論は既にあるのだから。

Takanori

えにし(縁)

人にはいろいろな役割がある。

私の役割は職人としてできることを増やし、その技術を持って人の役立つことである、と自分では考えている。

世の中には私のできないことが沢山ある。

その中の一つが、人と人をつなぐ役割を果たすこと、だと思っている。
人と人とをつなぐハブになれないのだ。

一生懸命に頑張ればなれないわけではないのだろうが、それよりも自分自身のスキルなどを磨いたり知識を増やす方が性に合っていて効率がいいように感じてしまうのだ。
先日、ある方とお目にかかることができた。

その方は、私のできない「人と人をつなぐ」ができる人である。

その方が、独立して屋号を「えにし(縁)」としたいと考えている、と聞かせてくださった。

素晴らしい名前であると思った。
名は体を表す、というが、まさにそれだろう。
その方と会えた「えにし」を大切にし、その方につながる人の役に立てるようにがんばっていきたいと思う。

Takanori

料理を覚えるとき

「我が輩は貧乏である。お金はまだない。」

なんて冗談を言っている場合ではないほど今はピンチである。

私の人生は、まぁ、順風満帆とは言いがたいもので、山あり谷ありでここまで来ている。

経済的にも貧しい時代、そこそこお金を稼げている時代、貧しい時代、のような感じでやっぱり山あり谷ありである。

で、その貧しい時代、必然的に外食が減り、家で食事を取ることが増える。

私の場合、そこで、どのような材料を買って無駄を出さずにおいしく料理するか、というところをついつい考えてしまう。
材料も、例えば白菜は半分よりも一個で買ってくる方が安く買えることが多かったり、安いものをまとめて買うことが多かったりするので、一つの材料をどう料理するかのバリエーションも求められる。
そのため、あたらしいレシピを調べて試したりすることにもなる。
ということで、貧しい時代に料理がうまくなっている気がする。
お金がないからカップラーメンで、という発想もありかとは思う。

でも、それではもったいないのではないだろうか。
不遇な時期というのは必ずある。

でも、無駄な時期というのはないんだろうな、と最近思う。

不遇な時期も、その時期の過ごし方によって、無駄ではない時間になる。
厳しい時期をどのように生きるか、によって、その後の人生によい影響をもたらすことができるのだ。
日々、時間を無駄にしない生き方を心がけていたい。
常に働け、という意味ではなく、趣味も生活も仕事も、常に意識を持って取り組もう、という感じである。
前にも書いたが「夜明け前が一番暗い」という私の好きな言葉がある。
一番暗く厳しい夜明け前に、夜が明けた時に走り始められるような準備をしておけるようになりたいと思う。