Archive for 2014年9月30日

Takanori

Wikipedia と「コーチング」

久しぶりにWikipediaで「コーチング」の項を見てみました。
そしたらびっくり。
ほとんどの記述が削除され、コーチングに関するごく一部の記述のみが残っています。

スキルコーチングの記述もなくなり、スポーツに関する内容も削られています。

スキルコーチングについては「コーチングとしてコンセンサスがない」からで、スポーツについては「スポーツとの前後関係は不明であるため削除。」らしいです。

スキルを伝えるコーチングも間違いなくありますし、スポーツでのコーチングも間違いなくあります。

だが、Wikipediaは誰でも編集できます。
編集する人が「それは知らないから」「ちがうから」と思えば削除されてしまうし、宣伝を行うために自分に都合のいいように書き換えられてしまいます。
「コーチング」の項については、2006年に最初の版が出てから現在までに150回以上修正が重ねられています。

そして、挙げ句の果てに、ほとんど何も残らない記述になっています。
知らないことを削除するのは知識に対する冒涜ではないだろうか、とさえ思うほどです。
出典があれば望ましい、というルールは理解できるものではありますが、ないのと見つけられないのは違うはずなのです。

私はスキルコーチングも、ビジネスでよく使われるメンタルコーチングも、スポーツのコーチングも全く同じ共通の原理を使ったバリエーションであることを知っています。
実際に実践していますし、それで成果も出ています。

しかし、それを書いても出典がないという理由でなくなってしまうのであれば、ホームページにでも書いて、それを出典にすればよいのでしょうか。
よくWikipediaを引用して「正しいこと」の根拠にしている人がいますが、Wikipediaを使う場合には注意した方がいいと思います。
多くの場合、正しいと思いますが、例えば「コーチング」のように適用の幅が広いものについては、また、さまざまな利害が絡むものについては、正しくないことも多いでしょう。

「コーチング」に関しては、近いうちに、基本的な原理から説き起こしてバリエーションを説明するようなものを書いてみようかと思います。

Takanori

営業アウトソーシング始めます

私の最大の問題点は営業力である。

自分で言うのもなんだが、それには自信がある。

言い訳にするわけではないが、自分の技術を磨き、その技術を人の役に立てられるようにすることは、得意であると思っている。
だが、どうにも営業的なことは苦手である。

もう一つ、私の欠点がある。
(実際にはもっともっといっぱいあるのだけど)
それは、人を頼るのが苦手、ということだ。
今までフリーランスになってから、多くのことを自分一人でやってきた。
そのせいなのか、それとも苦手だからフリーランスなのかはわからないが、いずれにしても人を頼るのは苦手である。

だが、これまでいろんな人と会う中で、さまざまな才能を見てきた。
人と人をつなぐ力、人の気持ちをほぐす力、行動する力などなどである。
どれも私には、少ないか、ないものである。

これまではそういう力も努力して身につけよう、がんばろう、と思ってやってきた。
それはそれで意味があったと思う。
でも、でも、やっぱり苦手なものは苦手である。
齢(よわい)48にして、やっとそれを受け入れることができるようになった。
いろいろ書いてきたが、つまりは、私は研修の講師としての活動に専念し、営業的なお客さんを探すことをアウトソーシングすることに決めたのだ。

・いただいた研修費用の1/3を紹介してくれた方にお支払いし、カリキュラムの打ち合わせから実施まで私が担当する。

・紹介してくれたクライアントさんで実施する研修については、最初に紹介していただいたときから1年以内であれば、すべて1/3の支払いの対象とする。

・1年以内、というカウントはクライアントさんごとに行うので、違うクライアントさんを紹介してくれれば、そこからまた新しい1年が始まる。

というのが骨子である。
例えば、1日15万円で3日間の研修を実施していただけるお客さんをご紹介いただくと、15万円×3日間=45万円、45万円÷3=15万円、で15万円を紹介料としてお支払いさせていただけることになる。
同じお客さんが、1年以内にさらに6日間の研修をしてくれれば、追加で30万円をお支払いできる。
これが少ないのか多いのかはわからないが、金額的には当社の体力の限界に近いところである。

だが、お客さんにご迷惑をおかけするような値上げはせず、今と同レベルの金額でリピートをいただける研修を実施し、2年目以降、時間をかけて回収させていただければよいと考えている。
現在、この「営業アウトソーシング」に関する資料を作成している。
近日中に実際にアウトソーシングのご案内を出させていただく予定である。
アウトソーシング契約を結ばずとも、紹介していただいたクライアントさんからご連絡をいただき、紹介しくれた方を教えてもられば、こちらから連絡しお支払いの対象とする。

だから、普段、接する方で、実際に効果のある研修を探している方がおられれば、ぜひ紹介していただきたい。
資料ができる前ではあるが、今からでも、前記の条件で営業アウトソーシングは有効である。

研修の内容は、コミュニケーション、コーチング、ファシリテーション、リーダーシップ、チームビルディング、ITスキル、講師スキルなどである。
SEだった経験を活かしての、プロジェクトマネージャ研修なども可能である。

楽しく、効果の上がる研修を提供させていただけると思う。

ただし、ご自分の所属する会社を紹介していただくのは、いろいろ難しいことが発生する可能性があるので、一度ご相談をいただいてから、ということにさせていただきたい。

アウトソーシングの案内は、来週中には完成させる予定である。

Takanori

林檎の行方

日本の文化の一つの大切な要素は「雅(みやび)」である、と私は思っている。
同じことをするのにも、ただ「する」だけではなくそこに上品さ、優雅さを求める。
茶道もそうだし、華道もそうだろう。

iPhoneというか、Appleの製品には、その「雅」な感じがたくさんある。
どうせ道具なのだから、したいことができさえすればいいじゃないか、ではないのだ。

できればいいじゃないか、で作られてきたのが、WindowsでありAndroidだと思っている。

日本ではできるかどうかだけではなくて、上品に、優雅にできることに意味を見いだす人が多いのだろう。
昔からAppleの製品のシェアが高いのは、そんなところに原因があるのではないかと思う。

今度出た iPhone6 plus はそのあたりの「雅」を捨て始めたような気がする。電話をするのに片手で苦労はしたくない。
両手でなければ扱えない端末は電話ではない。タブレットだ。

上品で、スマートで、雅であること。
そのためには、多くのブログラマが苦労するのも厭わないし、安易に流行に乗ることもしない。

Appleの魅力は、網羅ではなく、意志を持った集中だと、私は思っている。

今の状況は、以前ジョブズが抜けた後、節操なく機種を増やして落ちていった頃に重なるように思える。

ジョブズがいなくなった後、これからのAppleはどこに向かうのだろう。

Takanori

受講生を信じること

研修講師、少年スポーツのコーチをしていると、教育関係の仕事をされている方や、スポーツの指導者の方と話をする機会がある。

以前は、話している時に、たまに不思議な感じを受けることがあった。

基本的な考え方は同じように感じられるのに、なぜか結論が異なるのだ。

途中まで同じなのだが、研修をどのように実施するか、練習のメニューをどう作り、実施するか、が全然違ってくる。
コーチングを学び始めた最初の頃はそれが不思議で仕方がなかった。
だが、何度もそういうシーンに遭遇し考え続ける事で原因が見えてきた。
何が違うか。

分かってしまえば簡単だった。

違いを生む原因は、

「信じているかどうか」

だったのだ。
受講生や子供達を信じることができるか、信じ切って任せることができるか。

これはとても大切な事である。
研修などをしていても、期待通りの成果が出ないことはある。

その原因は、受講生にはない。

期待そのものに無理があったり、モチベーションを高めることができなかったり、課題やメニューが不適切だったりすることが、期待通りの成果が出ない原因なのだ。

期待が適切であり、きちんとモチベーションを高め、適切な課題を設定してあれば、受講生は必ず期待に応えてくれる。

大切な事は、講師としてすべきことをきちんとし、受講生を信じて、必要な時間待つことである。
なぜ信じることが必要なのか。

理由は2つある。

まず、一つはそれがモチベーションに影響するからだ。

考えてみて欲しい。
信用してくれない講師やコーチの元で一生懸命になれるだろうか?
よっぽどモチベーションが高ければ大丈夫だろうが、たいていの場合、モチベーションはだんだん下がっていくだろう。
もう一つは、信じていなければ待てないからだ。
信じているから、安心して待てる。

待てなければ、理解やスキルを身につけるのに必要な時間を与えることができない。
自分でできた経験がなければ、やはりモチベーションは低下するだろう。
信じていなければ、できない人を叱責したくもなるだろうし、講師としての自分を省みることもなくなるだろう。
どんなに効果的な理論を知っていても、どんなに経験があっても、信じていなければ、その理論や経験を本当に活かすことはできないだろう。
教える人は信じる人でなければならない。

少なくともコーチングを基礎にした学びを行うときには、これは必須なことである。