Archive for 2013年11月30日

Takanori

自分の言葉

研修講師という仕事をしていると、人の前で話すことが多い、というか、それが仕事そのものになる。

私の場合、長い時間話し続けるようなセミナー講師ではないので、そんなに長い時間話すことはないのだが、長い時間話す代わりに、より適切な短い言葉を選ぶように心がけている。

概念などは適切に言語化されることで、霧が晴れたようにくっきりと見え、意識できるようになる。
また、言葉にすることでシンボリックになり余分なものがそぎ落とされるようにも思う。

そのように考えて言葉を選んでいるのだが、よく使う言葉の1つに次のようなものがある。

「考える力は生きる力」

コーチングではいかに「考えてもらうか」というのを考える。
考える方向を課題という形で示し、気付いてもらうのを待つ。

この考え方はコーチングに基づく技術研修でも、スポーツのコーチングでも変わらない。

ネットで検索すると「考える力は生きる力」という表現をされている人を見かけるが、私は自分の伝えたいことを適切に言語化しようとして、この言葉に行き着いたので、オリジナルであると言ってもよいだろう。
大切な事は、自分で考えて自分の言葉として伝えられることであり、そういう意味ではこの言葉は私の考え方を伝える重要な言葉の1つになっている。

なぜこんなことを書こうかと思ったかというと、下のようなブログに出会ったからである。

12個のこと

1.夢の内容はすぐに忘れること
2.一週間のうちに同じ服を二度は着ないこと
3.おいしいものを食べる時は誰かを誘うこと
4.爪を短く切りそろえておくこと
5.はじめにタイトルを決めないこと
6.寒い時に聞こえる遠くの音に耳を傾けないこと
7.匂いに名前をつけること
8.絵をかくときは髪を留めること
9.あまり自分を嫌いになりすぎないこと
10.あまり自分を好きになりすぎないこと
11.人に期待する前に自分が動くこと
12.昔の約束に縛られないこと

連絡帳
http://sahirororo.hatenadiary.jp/entry/2013/10/25/180016

この短いブログから、書かれた方の姿が浮き上がってくる。
素晴らしい、と思った。
このセンスを、うらやましい、と思った。

私もこんな素晴らしい言葉が使えるようになりたい。
いつかは私も「12個」で全てを表現できるようになりたい。
「考える力は生きる力」はその候補の1つになるのかもしれない。

そう感じて書いたのがこの記事である。

Takanori

リスク管理の一般論

世の中にはさまざまなリスクがある。

例えば道を歩いているだけでも、段差に躓いて転んだり、自転車にはねられたりするリスクがある。
ひょっとしたらどこかのアニメのように、上から植木鉢が振ってくるかもしれない。

ビジネスの現場でもリスクに対する対応は重要なことであり、およそ全てのことにリスクというのはついて回る。

リスクには何らかの対処が必要であるが、それには次の4種類の対応方法があるとされている。

回避、低減、移転、受容の4つである。

回避というのはリスクそのものを避けることである。
道を歩いている例であれば、道を歩かない、という選択をすることになるだろう。
その場合、歩いていた目的である買い物ができなくなったりはするが、道を歩くことによるリスクは回避できる。

低減というのはリスクの発生する可能性や影響を低くすることである。
身体を鍛えて転んだりするリスクを回避したり、安全確認を慎重に行う手順を守ったり、ヘルメットをかぶったり、などということになる。

移転というのはリスクを外部に任せてしまう方法である。
例えば、買い物に行く代わりに通販ですませてしまえば、運送業者は道を通行するこのによるリスクを負うが、自分にはそのリスクはなくなる。
その代わり、運送費という形でリスクを肩代わりしてもらうことになる。

受容というのはそのまま受け入れる、ということである。
転んだらしかたがない、そうそう転ぶことはないだろうし、怪我をしてもすりむくぐらいだろう。
植木鉢が降ってくることは滅多にないから、おきてしまったらあきらめよう、である。

今の時代、ある程度の組織であれば、このようなリスクに対する対応というのはきちんと考えているのが当たり前であり、リスクが大きければ大きいほど、影響度などを考えて適切な対応をする必要があるというのが、常識である。

そして、リスクの対応には、そのリスクの評価が欠かせない。
リスクの影響自体がなければ対応の必要がないし、影響が大きければそれだけしっかりリスクの対処が必要になるからだ。

このような話は、以前に内部統制にかかわった際に徹底されていたのだが、なぜこんな話を改めてしているかというと、原発の事故に際してこのようなリスクのマネジメントが有効に行われていないと感じられたからである。

震災時の福島第1原発の事故でも証明されたように、原発の事故のリスクは甚大な影響を与える可能性がある。

何万人もの生活を破壊し、広大な面積の土地に人が住めなくなり、巨大な企業がつぶれ、経済にも何兆円もの損失を与え、将来にどのような影響が出るかもはっきりしないなどということが、甚大な影響でないわけはない。

このようなリスクについては、とうてい「受容」という選択肢はないだろう。
他のことがいくらよくても、起きたら仕方がないよね、では済ませられない。

移転も不可能である。
こんな事態を移転させられるところはどこにもない。

低減の方法は多い。
安全基準を徹底して(真摯に)実行することもそうであろうし、作業員の練度を上げる訓練もよいだろう。
監視の目を多くすることも有効かもしれない。

それでも、あくまでも低減であって、事故が起きて甚大な影響を与えるリスクは残る。

少なくともこのような事故において「想定外」なんていう言葉を免罪符のように使っている組織では、どこまで低減できたか、などという話をするだけばかばかしいレベルであるので、大きく体質が変わらない限り、低減の方法ではかなり大きなリスクが残ると考えてもよいだろう。

では、回避はどうだろうか。
これは簡単である。

原発をやめるだけである。

廃炉の問題、放射性廃棄物の問題は残るが、少なくとも冷却できなくなった放射性燃料が爆発したりする事態は回避できるだろうし、甚大な影響を与えるようなこともなくなるだろう。

このように考えていくと、事故のリスクをなくすためには回避という対処しかないように、私には思える。

だが、実際には「低減」という対処方法が選ばれている。
関係する人にとっての目先の大きな利益があるからだろうが、これでは残念ながら、将来にわたって同じような事故がおきない、と誰も断言することはできないし、おそらく、また起きるであろう。

なぜこんなことになっているのだろうか。

たぶん、答は簡単である。

最初のリスクの影響評価が冗談みたいなものだからだ。
そして、原発問題を考える前提に「組織の財務状況からも動かさなければいけない」という、リスクとは関係ないものがはいっているからだ。

原発には「安全神話」という言葉があった。
安全だから緊急処置の訓練も、緊急設備の動作確認も必要ない。
逆に、安全神話を守るために、そんなことはしてはいけない、というような話にもならない状況にあった。
安全なのだから、リスクの評価自体が不要であり、低減の対策も必要ない、と。

あえてリスクから目を背けるような体質の組織のリスク管理がまともであるはずはない。

これだけのリスクがある。
それに対してこのような備えがある。

このようなリスクが考えられる。
こういう試験を行って安全であることが確認できた。

そういうことを積み上げていって、初めて低減の効果があるはずだが、報道を見る限りは「そんなリスクはない」と言っていることのほうが多い。

例えば、「活断層ではない」と主張することよりも「活断層であっても大丈夫な仕組みがある」というのが正しい姿勢であろう。
活断層とされていない断層が動くリスクだってあるし、影響の甚大さを考えたら「活断層ではないから」などはなんの根拠にもならないだろう。

「重要な構造物は地震では壊れない」と主張するなら、実証実験をするなりして確認しなければならない。
設計時に想定されていない揺れが何度も観測されている中で、壊れない証明や検証は不可欠ではないだろうか。

「だいじょうぶ、だいじょうぶ」と根拠もなく繰り返しているだけでは、相変わらずリスクの評価もできていないし、対処もできてないと考えざるを得ない。

運が悪ければ日本の居住可能な領域が半分になる、もしくはなくなるかもしれない、というような甚大なリスクに対する評価と対処がこのレベルであることに、私は半分あきらめにも似た気持ちを持っている。

政治家と官僚と経済界で原発の再開の動きが強くあるが、目先の利益ではなくちゃんとしたリスク管理の観点から考えてみてはどうかと、切に思う。

Takanori

のに、を忘れる

私は意思が弱く、何かをしたい、と思ってもなかなかできるようにはならない。

ダイエットしかり、規則正しい生活しかり、である。

そんな私であるが、最近、少しできるようになったかな、と思えることがある。

それは、「のに、を忘れる」ということである。

のに、というのは、言葉である。
例えばこう使う。

「私がこんなに可愛がってあげたのに。」
「私はこんなにがんばったのに。」

そして、こんな形で続いていく。

「あいつはぜんぜんいうことを聞かない。」
「だれも認めてくれない。」

つまり、自分のしたこと付けると、とたんに不満を言っているようになってしまう魔法の言葉である。

もちろん、こんなことは口に出しては言わないのだが、ついつい思って、考えてしまう。

「あれもこれもやったのに・・・・」
「私のやってることは素晴らしいことなのに・・・・」

これでは、どんなに何かをがんばっても、なんらかの報酬を求めていたり、特に、勝手に期待した報酬が得られなくて不満を持ってたりするように思えてしまう。

そしてこんな言葉になってしまう。

「私がこんなに可愛がってあげたのに、あいつはぜんぜんいうことを聞かない。だからあいつは嫌いだ。」
「私はこんなにがんばったのに、誰も認めてくれない。だからこの会社はだめなんだ。」

本当にそうなのかもしれないが、多くの場合、単なる自己中心的な考えであろう。

そんなふうに考えた時に、「のに」を使わなければよいのではないかと考えた。
それが「のに、を忘れる」である。

自分が「のに」を使っていることに気付けるようになって、使わずに考えられるようになるまでにはそれなりの時間がかかった。
だが、それができるようになってくると、不満を自分の中に作らずにすむためか、心なしか心が軽くなったような気さえするから不思議なものである。

これからもずっと「のに」を忘れ続けていきたい。

年齢を重ねて様々なことを忘れやすくなっているのだが、この「のに」は歳をとっても油断をするとすぐに思い出してしまいそうである。
これからも続けて、忘れることを忘れないようにがんばりたい。

Takanori

ミニラグビー交流会と組織論

今年も、私が所属しているラグビースクールにおける、最大のイベントが無事に終了した。
近県より24のラグビースクールが集まり開催される、千人規模(事前集計では2000人超)のかなり大きな大会である。

9:00から開会式が行われ、終了が15:30から16:00、グラウンド数は11面で、時間内はほぼフルに小学生の子供達のラグビーのゲームが行われ、今年は117試合+女子だけのゲーム3~4試合という具合である。

準備は、当日だけでも朝の5:30から開始され、撤収が終わったのは18:00ごろ。
実際の準備は9月からすでに始まっている。

一昨年までは、10年近く、スクール内の交流会担当という係をやらせてもらっていた。
昨年からは、対外的な交渉係という役割だけ残し、他の運用は他の方が担当されている。

私は、ラグビースクールで非常に多くの事を学ばせていただいているのだが、この交流会の運営でもまた、多くのことを学ばせてもらっている。

段取りの大切さ、自律している組織の威力、マニュアルのもろさ、リーダーの役割、情報共有の必要性、チームビルディング、リスク管理などなど、あげていくときりがない。
これらは、私が研修で伝えている内容でもあるのだが、それらの多くは、ラグビースクールで実践している内容だったりするのだ。

これらの中から「自律している組織の威力」というものについて少し書いてみたい。

今回の研修が終わって、担当の人がこんな感想を述べていた。

「普通だったら、最初に集まって、段取りを説明して役割を振って作業を始めるのだろうけど、みんな勝手に始めちゃってる」

その通りで、当日の朝の準備では、荷物を運ぶ段取りはするのだが、荷物を運んでしまえば、気が付けばそれぞれテントを張り、ラインを引き、ポールを立て、と勝手に動いていく。
そこには、最初の集合も、役割の割り振りもなにもない。

にもかかわらず、開会式までには全ての準備が整っている。

働いている人は、コーチだったり、保護者だったりし、事前の準備会議には顔を出していなかった人も多い。
にもかかわらず、それぞれが自分で役割を見つけ、自発的に行動し、それぞれの作業グループの中でリーダー的な役割を果たす人が出現し、という具合に勝手に動いていくのだ。

当然それぞれの作業の中で問題は発生する。
テントを張ろうとしたら部品が不足しているとか、グラウンドの線を引こうとしたらグラウンドのコンディションが良くないところがあったりとか、ポールを立てようとしたら工具がないなどとか、細かい問題はあげていったらきりがない。
だが、それらは、作業している人達の工夫と、お互いの情報交換などで、ほとんどが解決していく。

全ての人が機能することで、結果的に目的が達成されていくのだ。

私が担当をさせてもらっていたときにやっていたことは、漏れがないか全体を見ながらチェックし、問い合わせがあれば答え、その場で判断が必要ならばそれをする、ことぐらいで、細かい指示はほとんどしなかった。

自律的に動く組織の中では、細かい指示もマニュアルも必要ない。

それぞれが情報交換をし、考えながら動くことで、テントの部品が足りなければ取りに行ってくれる人が現れ、あらかじめ決められていたグラウンド配置通りではないグラウンドができてもそれが結果的にベストだったりし、工具が足りなければ持っている人を探すか、代替品を探し作業が継続する。

ないからできない、コンディションの悪いままグラウンドを作る、などということはおきないのだ。

このような組織があれば、リーダーはその役割に徹することができる。
組織を強くするためには、きっちりした目的があれば、あとは任せることが重要で、余分な口出しをしたりしなければいい。

私も最初は、しっかりとしたマニュアルを作ろうとした。
細かいところまで決めた資料があって、それを実現してもらおうとした。
でも、それでは、突発的な問題には対処することはできず、結局うまく回らない。

そんな経験を多くすることで、自立的な組織の強さというのを心から実感している。

問題があって、最初の予定からちがうことが起きれば「こんなふうにしておいたから」という報告が上がってくる。
それでいいのだ。
それで問題が起きるところがあれば、そこにまた伝えればいい。
目的がきちんとしていれば、それに対応してくれる。

予定と違うことがあって、それに工夫して対応してくれたら、こう言えばいい。
「ありがとうございました。」

リーダーの思い通りに動くのが良い組織ではない。
組織としての目的を達成できるのが良い組織なのだ。

そういう意味で、私の所属しているラグビースクールは、素晴らしい組織なのだ、と心から思っている。