100%の成果をあげる?

私の研修を見ていただいたことのある講師の方と話をしていて「長谷川さんが講師をして、伸びなかった受講生はいないでしょう」と言われた。

私のことを評価してくださるのはうれしかったのだが、そんなことはあり得ない。
そこで、

「常に100%の成果が出るなんてことはあり得ない。それができたら神様です。」

と答えてしまった。

注意しているつもりであっても、研修中に見つけるべきものを見落としたり、受講生からのサインに気付かなかったりすることはある。
たくさんある、とは言わないが、それでもやはりある。

また、問題があって解決しようと思っても、研修中に時間切れとなってしまうこともある。

前年にうまくいったと思われる研修の内容を踏襲しても、人が違えば合わないことだってある。

とにかく、私のような仕事で100%なんてない。

(そもそも何かゴールを決めなければ100%という数字も出てこないので、ゴールを定めない研修において100%ってなに?という問題もあるが、ここでは、完璧な研修、ぐらいの意味合いでとらえていただきたい)

もちろん、100%を目指さなければならないのは分かっている。
それなりの結果も出ていると思う。

だが、もう直すところが無い、と思った研修は、今まで一度もない。

実施時の自分の力からすれば、チャレンジがうまくいき、思ったより成果があった、と感じられる研修は何度かある。

だが、それとて、後から考えてみれば、もっとこうした方が、言葉はこういうのを使った方が、時間が少し長かったかも、など反省点には事欠かない。

講師講習でこういう話をさせてもらうことがある。

「医者は患者で練習します。教師は生徒で練習します。だから、講師も受講生で練習するのです。」
「だから、研修を実施したら、そこからきちんと学んでください。」
「受講生で練習して失敗し、その失敗から何も学ばないのは、受講生に対して大変失礼なことです。」

最初からうまくできるはずはない。
だから、それぞれの仕事の中で学んで成長していくことになる。
クライアントに接する中で、考え、工夫し、試して学んでいくのである。

この話は、私の実感である。
今の私は、これまで私の研修を受講してくださった受講生の方に育てていただいたから存在しているのだ。

こんな話は、受講生の方には大変心配をかけるだろうし、そんな経験のない講師には学びたくない、と言われるかもしれないが、これが現実なのだ。
特に、社会人になって初めての研修において、経験の少ない講師に学ぶというのは、心配なことも多いだろう。

だが、実際には、経験の浅い講師に当たる方が、中途半端に経験があり、正しくないスタイルが確立してしまっている講師よりはずっと多くのものを学べるはずだ。
それは、経験の浅い講師は、一生懸命に学び教え、共に考えてくれるからである。

私も中途半端に10年ほどの経験のある講師であるが、心は常に初めて研修を行う講師でありたいと思う。
常に受講生の方に学ばせていただく気持ちを持ち、80%を81%に、81%を82%にする工夫を重ね続けていきたい。

自信とうぬぼれは違う。

少しぐらい成果が出ても、できることはまだ山のようにあるはずだ。
自信を持つべき部分では持ち、それがうぬぼれにならないように注意し、常に学ばせていただく姿勢をなくさない講師でいたい。

最初の話の続きはこんな感じである。

「長谷川さんは神だと思ってます。」

99%のお世辞が入っていたにしても、過分なお褒めの言葉である。
ありがたいことである。

だが、それに慢心しないで、うぬぼれないで、次を目指す気持ちを持ち続けよう。
うまくいった過去に安住せず、常にチャレンジを続けていこう。

当たり前の話だが、私は神ではない、ただの人間なのだから。

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