ネットサーフィン(すでに死語だろうか?)をしていたときに、ふと「学び合い」という言葉につき当たった。
調べていくと、上越教育大学の西川純先生の提唱している、学校教育における教育の手法であり、具体的な手法としては私が研修で実施している方法とほぼ同じであることがわかった。
http://jun24kawa.web.fc2.com/manabiai/index3.htm
「学び合い」における基本的な発想は、全ての「わからない」に教師一人で対応するのは難しい。子供はそれぞれが教え方を工夫してお互いに教え、また、教える事でより深く学んでいく、という感じである。
私が研修で実施しているのは、スポーツのコーチングから発展させたものであるが、まったく違う方向からのものが、ほぼ同じ形にたどり着いた、というのがとてもおもしろいと感じた。
「学び合い」では、意識付けをするために話をすることを「語り」という用語で表しているが、私の研修では、最初のオリエンテーションや毎日のコミュニケーションシートのフィードバックなどで同じ事をしている。
「学び合い」では、教える側には、答えを教えないように、と伝える。できるだけヒントを与えるように、と指導するのも同じである。
「学び合い」では、学習のために課題を提示するが、それも同じ。
「学び合い」では、自由に席を立ち、相談することを推奨するが、それも変わらない。
このように、違う方向から来た2つの学ぶ場が、同じ手法を使っている、というのは、とてもおもしろいことであると同時に、効率的に学ぶことの本質がそこにあるのだろう、と感じることもできる。
だが、いくつか違いもある。
まず「学び合い」では指導要綱という「学ばせること」がすでに存在するところがちがう。
企業研修やスポーツの指導では、そもそも何を学ばせるか、というところから考えなければならないことも多い。
そのためには、学ばせたいものを抽出することが必要であるが、学校教育の枠内ではそれはあまり必要ないのだろう。
私の研修では、チームと競争の概念を意識的に取り込んでいるところもちがうように思う。
「学び合い」では、クラスや学校全体を一つのチームとして考えて、そのチームの中に「できない子を残さない」ことが基本的な概念として存在する。
そのため、チームを作っての競争、というような要素はあまり感じられない。
私の研修では、モチベーションを高める方法の一つとして、また、コミュニケーションを学ぶことをある程度強制することもあって、複数チームによるチーム毎の活動が多くなり、そこには競争の要素が含まれる。
もっともチーム同士が敵対したりすることはなく、あくまでも高め合う仲間としてお互いを認識することが重要であることは「学び合い」と同じである。
さらに、「学び合い」では、全ての子供に仲間を与えること、というのをとても大きな柱にしている。
だが、コーチングに基づく私の研修では、自立すること、も大切な要素として取り扱う。
もっとも学び合いの中で「自立」や「自律」も大きな要素となっていることは間違いないが、私の場合は、さまざまな状況に対応できるように、場合によっては孤立の中でパフォーマンスを発揮する必要があると考える。
そのため、インディビジュアル(個人)スキルを磨こうとし、カリキュラムの中でも配慮をする。
実は、このあたりが一番大きな違いなのかもしれない。
このように、いくつかの違いがあるが、それをきちんと認識し、良いところを取り入れ、より本質的で効果的な学びについて考えていきたい。
だが、一番大きな影響を受けたのは「学び合い」の基礎に徹底した調査があるということだった。
私はこれまでの研修の中でさまざまな工夫をして実践もしてきたつもりであったが、それはかなりの部分「直感」と呼ぶべきものに基づいており、科学的な根拠、と言われるとコーチングの分野に戻ったりしなければならないことがよくあった。
私自身も、できるだけ調査の上の分析を心がけ、よりよいものにしていけるような努力を怠ってはならないのだろう。
企業研修ではこのような調査も難しい場合が多いが、追跡調査も含め、ぜひ意味のある調査、分析をしていきたいと、「学び合い」を知る中であらためて考えた次第である。