Archive for 2013年10月21日

Takanori

「学び合い」

ネットサーフィン(すでに死語だろうか?)をしていたときに、ふと「学び合い」という言葉につき当たった。

調べていくと、上越教育大学の西川純先生の提唱している、学校教育における教育の手法であり、具体的な手法としては私が研修で実施している方法とほぼ同じであることがわかった。
http://jun24kawa.web.fc2.com/manabiai/index3.htm

「学び合い」における基本的な発想は、全ての「わからない」に教師一人で対応するのは難しい。子供はそれぞれが教え方を工夫してお互いに教え、また、教える事でより深く学んでいく、という感じである。

私が研修で実施しているのは、スポーツのコーチングから発展させたものであるが、まったく違う方向からのものが、ほぼ同じ形にたどり着いた、というのがとてもおもしろいと感じた。

「学び合い」では、意識付けをするために話をすることを「語り」という用語で表しているが、私の研修では、最初のオリエンテーションや毎日のコミュニケーションシートのフィードバックなどで同じ事をしている。
「学び合い」では、教える側には、答えを教えないように、と伝える。できるだけヒントを与えるように、と指導するのも同じである。
「学び合い」では、学習のために課題を提示するが、それも同じ。
「学び合い」では、自由に席を立ち、相談することを推奨するが、それも変わらない。

このように、違う方向から来た2つの学ぶ場が、同じ手法を使っている、というのは、とてもおもしろいことであると同時に、効率的に学ぶことの本質がそこにあるのだろう、と感じることもできる。

だが、いくつか違いもある。

まず「学び合い」では指導要綱という「学ばせること」がすでに存在するところがちがう。
企業研修やスポーツの指導では、そもそも何を学ばせるか、というところから考えなければならないことも多い。
そのためには、学ばせたいものを抽出することが必要であるが、学校教育の枠内ではそれはあまり必要ないのだろう。

私の研修では、チームと競争の概念を意識的に取り込んでいるところもちがうように思う。
「学び合い」では、クラスや学校全体を一つのチームとして考えて、そのチームの中に「できない子を残さない」ことが基本的な概念として存在する。
そのため、チームを作っての競争、というような要素はあまり感じられない。
私の研修では、モチベーションを高める方法の一つとして、また、コミュニケーションを学ぶことをある程度強制することもあって、複数チームによるチーム毎の活動が多くなり、そこには競争の要素が含まれる。
もっともチーム同士が敵対したりすることはなく、あくまでも高め合う仲間としてお互いを認識することが重要であることは「学び合い」と同じである。

さらに、「学び合い」では、全ての子供に仲間を与えること、というのをとても大きな柱にしている。
だが、コーチングに基づく私の研修では、自立すること、も大切な要素として取り扱う。
もっとも学び合いの中で「自立」や「自律」も大きな要素となっていることは間違いないが、私の場合は、さまざまな状況に対応できるように、場合によっては孤立の中でパフォーマンスを発揮する必要があると考える。
そのため、インディビジュアル(個人)スキルを磨こうとし、カリキュラムの中でも配慮をする。
実は、このあたりが一番大きな違いなのかもしれない。

このように、いくつかの違いがあるが、それをきちんと認識し、良いところを取り入れ、より本質的で効果的な学びについて考えていきたい。

だが、一番大きな影響を受けたのは「学び合い」の基礎に徹底した調査があるということだった。
私はこれまでの研修の中でさまざまな工夫をして実践もしてきたつもりであったが、それはかなりの部分「直感」と呼ぶべきものに基づいており、科学的な根拠、と言われるとコーチングの分野に戻ったりしなければならないことがよくあった。
私自身も、できるだけ調査の上の分析を心がけ、よりよいものにしていけるような努力を怠ってはならないのだろう。

企業研修ではこのような調査も難しい場合が多いが、追跡調査も含め、ぜひ意味のある調査、分析をしていきたいと、「学び合い」を知る中であらためて考えた次第である。

Takanori

二度と同じ研修はできません

これまで何度も同じタイトルの研修をしてきた。
「組込技術新人研修」「講師講習」「コーチング研修」「コミュニケーション研修」などなど。

だが、同じタイトルであっても、一度として全く同じ内容の研修を行ったことがない。
もちろん、日程が違ったりしてカリキュラムが違えばそうなるのだが、日程や人数が同じであっても、やはり違う内容になる。

仕事としてそれはどうか? と言われるかもしれない。
何度も同じ事ができてこそプロだろう、と。

確かに、何度やっても同じように進む研修はある。
しかし、それは受講生のためになるのだろうか。

私はよく「講師の自己満足」という言葉を使う。
一生懸命説明して、受講生に分かった気にさせて研修を進めるのは講師の自己満足である、というように使うのだが、人が違っても同じように進める研修は、研修を行う側の「やったよ」という自己満足に過ぎないのではないだろうか。

受講生は一人一人みな違う。
知っていることも知らないこともみな違い、同じような人でも理解の速度が全く同じ事はあり得ない。
講師に対しての好き嫌い、体調なども含めて、人がそれぞれ違う要素は沢山ある。
その中で、全員が同じように理解して進むことができる、などというのは幻想にすぎない。

となれば、本当に理解を促して学んでもらうためには、そこにいてくれる受講生一人一人に合わせた研修でなければならない。
受講生が自分の進み方で進める、と言い換えてもいいかもしれないが、いずれにしても毎回同じカリキュラムで、同じ説明で、というわけにはいかないのは分かってもらえるのではないだろうか。

仮に、全く同じ受講生で全く同じ時間で、違う時に研修を行ったら、同じ内容になるのだろうか。
恐らくならないだろう。
それは講師も変わっていくからである。

少しでもよい研修を行うために、さまざまな本を読み、理論を学び、実践を繰り返す中で講師も変化していく。
よりよい説明方法にたどり着いたり、新たなアクティビティを開発したりすれば、それが研修の内容を変化させていく。

以前、こんな仕事のオファーを受けたことがある。
「大手の技術系の会社で、新入社員が100人単位でいるので、数クラスに分けて研修を実施する中で、それぞれの教室で進み方も説明の内容も全部あわせてもらいたい。」
何もかもが違う中で、それは無理だろうと思ったし、仮に実現したとしても、密度がとても低くなるか、受講生が置いてきぼりになるか、であろう。

研修にはどうしても不確定な要素があり、まったく同じ条件などそろえられない。

それが、私が同じ研修を二度できない理由なのだ。

ちなみに、私の自己満足でよければ、全く同じ研修は可能である。
実は、それが一番簡単だ。
観察も判断も工夫もいらない。

だが、成果が望めない研修を実施するよりは、毎回受講生の成長を願って変化する研修を実施していきたい。
それこそが、学ぶ場に立つプロだと、私は考えている。

Takanori

生き方と行き方

新人研修などの研修を始めた当初、もっとも注力するのは「意識を変える」ことである。

学生の間は、常に答えが用意され、正しい答えを探すことが「学習」ということになっている。
だが、実社会に出れば、答えがあることの方が少なく、「答えを自分で見つける」ことが必要になることに気付くだろう。

私の研修では、このギャップを埋めるべく「答えを求める」から「自分で考える意識」を持てるようにカリキュラムを組み立て実施している。
そのために、ヒントはできる限り少なく、自分で考える時間を多く取り、答え合わせもせずに自分たちで評価する、という研修になるのだ。

実際には世の中の多くの研修が、可能な限り説明をし、演習を行った後には模範解答を配る、という形を取っている。
このような形をできるだけなくし、考える力を引き出すような研修を増やしていくのが、私のライフワークだと考えているのだが、それをうまく表現する方法を考えていて、ふと、タイトルのような言葉に行き当たった。

世の中の多くの研修では「行き方」を教えている。
私の研修で教えているのは「生き方」である。

音(おん)は同じなので電話で説明すると少しまどろっこしいだろうが、文字にすれば一目瞭然である。

これはいい、と少しにやけた後すぐに不安になった。

私が「生き方」なんか教えられるのだろうか。
そんなに偉い人間であるはずがない。

言葉に引きずられるとこんなふうになるのだろう。

迷うことはない。

私が教えられる生き方というのは「自分の力で考えて判断をして行動をする」の一点だけである。
これ以上は私にはできなくてもいいし、もとよりそれ以上のことを教えられるほど、偉いわけでも、いい生き方をしているわけでもない。

「考える力は生きる力」なのだ。

それだけをぶれずに伝えていきたいと、あらためて考えた次第である。

Takanori

基本に忠実に

私自身は昔からゲームが好きであり、中毒と言うほどではないが、8ビットパソコンの時代からゲームには慣れ親しんできており、今でも楽しんでいる。

日本で人気の出るゲームの要素として次のようなものがあると考えている。

・社会性
友人とメッセージを交換したり、パーティーを組んで共に戦ったり、対戦したりすることを指す。

・育成
やっているうちに経験値の積み重ねにより強くなる。レベルアップの要素である。

・コレクション
私には特に顕著であるのだが、集めることややりきることに価値を見いだす。コンプリートに価値がある。

・習熟
テトリスやぷよぷよなどの反射神経系のパズルゲームの人気は高い。習熟によりスキルが上がっていくのが重要である。

・ギャンブル性
しばらく前に話題になった「ガチャ」である。偶然が作用する、もしくは、しているように見えることで射幸心を煽ってくれる。

・中断可能
移動中にタブレットやスマホで楽しむゲームが増えてきて、いつでも中断できることが重要になってきた。

パズドラ(パズル & ドラゴンズ)というゲームが人気である、という話を聞いて、やってみることにした。
やってみたい、というのと、どんなものか見ておきたい、という二つの気持ちが混じって始めたのだが、始めてから思ったのは、よく考えて設計されているゲームである、という事である。

先にあげた、社会性、育成、コレクション、習熟、ギャンブル性、中断可能がすべて含まれた上で、課金しなくても十分楽しめる難易度でしばらく楽しめて、慣れた頃に課金したくなるような絶妙な難易度が設定されている。
また、課金も必要な条件ではなく、無理をして課金する必要もなく、時間をかければクリアもできるようである。
さらに、社会性があるとは言っても、それが何かを強制する(パーティーに参加しなければならないなど)わけではなく、ゆるくつながったまま進められるのだ。
途中で中断もできるし、周りが見えなくなるほどの集中も不要である。

世の中には、やってみなければ分からない、実感できないことが多いが、このパズドラもそうだった。

やはり何事も基本が大切なのだ。
新しいもののように見えても、今までの経験と知識を上手に組み合わせたものであることがよく分かった。

とりあえず、副作用としては、未だに辞められずにぼちぼち続けていることであるのだが、緩いコミュニケーションを楽しみながら、合間にやる分にはちょうどいいかな、と思っている。

以上、パズドラをやってる言い訳でした。

Takanori

コンテンツの生成と消費

久しぶりのブログの更新である。
この期間、研修の仕事をしながら、インターネット上のさまざまなコンテンツを楽しんできた。

例えば、話題のパズドラだったり、tumblr. だったりである。

コンテンツ、という言葉を聞いたのはインターネットに関連した仕事を始めた時である。
すでに15年ほど前になるが、その時に聞いた「コンテンツ」という言葉ははっきり覚えている。

最初の感想は「それって何?」であったが、実際のところ、中身、というだけで、非常に曖昧で便利な言葉だというのは後ほど気が付いたところである。

さて、本題であるが、ブログというのもインターネット上のコンテンツであるのは間違いなく、ブログを書くことはそのコンテンツを生成することに他ならない。

ネット上ではこのコンテンツというものを間に挟んで「生成」と「消費」が存在する。
中には「生成」だけがあって消費がないものもあるだろうが、それは日記と同じでしごく私的なものとなり、コンテンツとは言えないだろうと思う。

私はインターネットを始めてから、ずっとこの生成と消費の間を行き来しているような気がする。
一方的な生成でもなく、ただ消費するだけでもない。

仕事を獲得するためのブログなので、本来もっと「生成」に力を入れなければならないのではないかと思うが、「消費」も知らなければバランスを欠いてしまいそうな気がする。
講師として(若干)偉そうな話をするときには「生成」の話をすることが多く、個人的に話をするときにはやはり「消費」についての話が多くなる。

かくして、私は消費も楽しく行っているのだが、ブログをしばらく更新しなかった言い訳のような、パズドラを楽しんでしまってる罪悪感を打ち消すためのような気がしないでもない。

しばらく消費を楽しんだので、これからはまたしばらく生成にいそしむことにしよう。
消費している間にもまたいろんな経験をすることができ、多くのことを考えたので、話題もまた出てくることだろう。

そして、できることならば、「他の人に再利用してもらえるようなコンテンツの生成」を多くできるようになりたいものである。

ウィキペディアのコーチングのページの大元(おおもと)の文面は、以前に私が書いたものであるのだが、その中で初めてスキルコーチング、メンタルコーチングという言葉を使った。
今では「起源」の項が、ある特定の団体の流れが書いてあったりして、だいぶ書き換えられてはいるのだが、大元の部分は私の書いたままであり、スキルコーチングやメンタルコーチングという言葉もそのままになっている。
そして、そこからの波及であると思うのだが、ネット上にスキルコーチングやメンタルコーチングという言葉が見られるようになっている。

スポーツなどのコーチングとビジネスの現場などで言われるコーチングを結びつけるきっかけが、ウィキペディアの中で提供できたと考えており、このような「生成」がこれからもできるとよいなと思う。

これからも多くのことを経験し、学び、考えていく中で、人の役に立ち、自分も成長させることができる発見をし、ブログに綴っていきたい。