Archive for 2013年4月30日

Takanori

課外授業

私の研修では課外授業があることが多い。

もっとも、課外授業とは言っても、一般的な「補講」などとは違う。
私の研修では「残って勉強していってもいいよ」ということはあっても「残って勉強していきなさい」ということはほぼない。
もちろん、受講生が残るときには私も残っている。

新人研修が始まって九日たった。

初日から一部の受講生と昼食を共にしているのだが、ここ3日ほどは夕食も一緒に食べている。
研修会場の状況にもよるが、新人研修ではこのように食事を共にすることも多い。

食事の場ではさまざまな話をする。

朝のコミュニケーションシートのフィードバックの時間にも30~40分ほどいろいろな話をするのだが、食事の場での話はそれとはまた別である。

これまでの私の経験、考え方、研修の意味などさまざまなことを伝えることに使えるし、研修時間中には伝えきれない一人一人へのメッセージも伝えられる。
また、悩みを持っていたり、ヒントを欲しかったりする受講生が一緒に食事に行くこともある。
この傾向は、新入社員研修では特に強い。

学生から社会人へ、という大きな環境の変化に伴い、考え方、価値観などさまざまな変革を迫られる新入社員研修では、一人一人が悩むことが多く、その悩みも一様ではない。
多くのことを考えて、ヒントが欲しくて講師とできるだけ多くの時間を一緒にいたい、と思うのだろう。

同じ事は休憩時間にも言える。

喫煙室、休憩中の雑談などを通しても伝えられるものは沢山あるし、講師の側から見ても突破口となることもある。

このような研修時間外の話だったり、質問への回答が私の課外授業である。

課外授業を意識すると、休憩時間も食事の時間も私は講師でいることになる。
研修が終わってから、翌日の準備をして寝ることになる。

かくして、特に長期の研修においては、寝ている時間以外は講師でいることになるのだ。

Takanori

感動

GWの前半、アカペラ甲子園のハモネプのビデオを見て泣いた。

少し古いビデオなのだが、審査員の研ナオコが聞いて涙したセンメの「海 その愛」である。

以前にも書いたが、私はかなり涙もろい。

本を読んでも、映画を見ても、歌を聴いても、アニメを見ても、演劇を見ても、ラグビーの必死の子供たちを見ても泣いてしまう。

感動したり、自分の経験と重ねて胸が詰まったり、いろんな理由で泣けるものだ。

ハモネプのビデオを見てて、実際には最後のセンメの前にもうるうるしていた。
それまでの練習の大変さを想像し、極度の緊張の中で必死の姿を感じ、涙腺が緩んでしまう。

演奏そのものもすばらしい。
そのすばらしさが、また大変な努力を感じさせてくれる。

だが、センメの「海 その愛」はちがった。
歌そのものに力があった。
歌いたいという気持ちがあった。

ひとしきりハーモニーを楽しんだ後、感動、というものについて考えてみた。

そして、私の場合、感動の源にはいくつかの種類があるらしいことに気が付いた。

1つは、自分の経験と重ねてそれを思い出して重ねてしまう場合。
2つめは、努力とか途中の過程を想像し、勝手に共感してしまう場合。
そしてもう3つめは、作品そのもののもつ力にやられる場合。

センメの歌には3つめの「歌という作品に込められた歌いたい想い」という作品そのものの力にやられてしまったようである。

Takanori

任せること

ほぼ座学なしの研修に切り替えてから5日ほどたった。

受講生の様子といえば、こちらが驚くぐらいの勢いで学んでくれている。
おそらく細かく見れば、伝えなければ、と私が考えることの幾つかは抜けているだろう。
だが、眠気を我慢する座学ではもっと多くのものが抜け落ちてしまっていることだろう。

その抜けているものについては、学習の様子を観察し、抜けているものがあれば、少しだけアドバイスをすれば良いのだ。

私が全体の時間配分を間違えてしまっている部分があり、期待ほどの成果は出ていないがこれからの時間でリカバリーはできるだろう。
学習を任せているスタイルに私の方が慣れていないのだが、演習よりもテキストなどによる学問に集中している傾向があるので、それの是正が課題である。

31日の日程で、38日のコース以上のことをやろうとしているのだから、私ももっと気をつけて運営をしなければならない。

本質的に必要なことを見極め、内容に軽重をつけ、自主性を重んじ、できるだけ話をせずに、最大の効果を目指す。
これが今年の私の研修である。

鍵は、私がきちんと判断することと、受講生のことを信じ切ることであろう。

観察をし、たまにアドバイスをしながら、成果を引き出していきたい。

Takanori

技術研修に座学は必要ない

研修シーズンということもあり、新人研修も含め、ここのところ何件かの技術研修を担当させていただいている。

さまざまな方に受講生になっていただいているのだが、中には、社会人経験の長い方もおられ、新人研修(ちゃんと受けなければ、という教育がなされている)とは緊張感が違う研修も担当させていただいている。

新人研修では、所属会社から「ちゃんと受講するように」というプレッシャーが掛けられているので、少々まずい研修であったとしても、一生懸命に受講生がフォローしてくれたりするので、長期間である、ということを除けば、比較的楽なことが多い。

だが、社会人経験の長い方のおられる研修ではとてもシビアである。

良い研修、悪い研修の反応が、とても直接的に返ってくるのだ。

そのようなシビアな研修で評判が悪いのが「座学」である。

もちろん、私が受講生であっても座学は好きではない、というか苦手である。
座学のみの研修では、たいてい眠くなるか、自分でテキストを読んで調べているものだ。

中には「もっと教えてもらいたい」という反応を返してくれる人もいるのだが、実際のところ、それでは成長してもらえない。

今年の新人研修でも、座学と自主学習の両方を行ってみた。
そして、どちらがいいか聞いてみた。

答えは「自主学習」であった。

こう書いてくると、私の技術に対する説明が拙いから、と考える方もおられるだろうが、実際のところはそれほど下手な説明ではないはずである。
少なくとも経験のある講師仲間からうなっていただけるような説明をすることが可能であるし、たぶん、へたくそ、と言われるほど悪くはないはずである。

だが「座学」はおもしろくない、と言われる。

分かっていたのだ。

座学がおもしろくなく、学べることも限定的であることは分かっていたのだ。

だから、座学を少なくし、自分で学ぶ時間をできる限り多くしてきた。
座学で理解することは期待しない、と言いつつ、演習の時間を多くしてきた。

だが、これまでは座学をなくせなかった。

理由は簡単である。

私自身が「技術系の研修には座学が欠かせない」という常識を持っているためであり、座学をしないことが恐かったためである。

私自身の思い込みと心理的な弱さのために、受講生に身にならない「座学」を押しつけてしまっていたにすぎない。

今年の新人研修では、私の考え方を理解していただける人事の担当者の方と巡り会うことができた。
「試したいことがあったら、うちの社員で試してください。ただし、失敗したらリカバリーはお願いしますよ。」とまで言ってくださった。

ここまで環境が整ったら、挑戦するしかない。

何をするか分かり、それを変えるチャンスをいただいたのだ。
これを活かさなければ罰があたるだろう。

すでに、新人研修以外の研修では、座学をなくし、先日の初心者向けのプログラミング言語研修では、発表に対するコメント以外の技術的な説明を排している。
結果は、好評であり、結果も出ており、座学とはなんだったんだろう、という気持ちにさえなっている。

研修で受講生が大きく化ける時がある。

今年は私が化けてみたい。

Takanori

メールマガジン 2013年4月22日

──────────────────────────────────────
■新着記事
──────────────────────────────────────
●新人研修が始まる。

今年も新人研修が始まりました。

今年の担当会場は比較的日程が厳しくて、どこまで時間を節約し独自のカリキュラムを
ねじこめるのか、なかなか難しいものはありますが、受講生と私の体力が許すだけ、
ハードな研修にしたいと考えています。

もちろん、あらかじめ設定されているカリキュラムを削るわけにはいきませんし、削らない
ことは、自分でカリキュラムを一から作らない場合の私の基本的な方針なので外せません。

本質を意識した簡潔な説明、関連する事柄をまとめて説明、学び合う環境の構築、高い
モチベーションの維持、などを工夫しつつ、独自の要素を実施できるようにしていきたいと
思います。

それともう一つ、今年は挑戦があります。

「技術研修には座学が欠かせない」

この常識とも言える考え方をどこまで破れるか、に挑戦したいと思います。

すでに、敵は私自身の恐怖心だと分かっていて、手法も成果も見えています。
今の自分の限界を超えることで、よりよい研修を実施できるようになる。

これが私の挑戦です。

──────────────────────────────────────
■コラム:新人研修を活かすには
──────────────────────────────────────
IT技術系の新人研修では、一般的に現場でそのまま通用するほどにはなりません。
やはりどうしても現場でもまれ、たくさん考えてたくさん苦労しないとできないことがあります。

もちろん、できるだけプレッシャーをかけて現場で少しでも通用するように鍛えるのですが、
どうしても時間が足りないものです。

ですが、ヒューマンスキルについては、現状では、かなり鍛えられることが多いな、と感じます。
グループワークを繰り返し、良いコミュニケーション、必要なコミニュケーションというのを考え
続けることで、聴く姿勢は確実に身につきますが、それだけでも、チームの作業スキルは確実に
向上します。

このようなチーム作業のための訓練をしたことがない場合、なかなか聴くことの重要性を身体で
感じることはできず、わかっていてもできない、ということになりがちです。

問題なのは、新人研修でこれらのスキルを身につけさせても、配属される現場でそれが発揮できない
ことが多いことです。
これは、既存の現場にコミニュケーションのスキルや、育てる意識が足りていないことが原因です。
そうなると、せっかく身につけたスキルを磨くどころか、どんどん退化していってしまうでしょう。

新人研修においてヒューマンスキルを身につけさせる場合に、受け入れ側が同様のスキルを持って
いることで、研修の効果が何倍にもなるというのは、そういうことなのです。

新人研修にヒューマンスキルの要素を取り入れるところが増えてきていると思いますが、効果を
あげるためには、受け入れ側の教育も欠かせないものとなっていくことでしょう。

Takanori

信頼と責任と挑戦と。

今年も新人研修が始まった。

今年のクライアントの人事担当の方からは「好きなようにやってください」と言われている。

たまたま講師講習の際に同席させていただいた講師の方が、クライアントの会社の所属で私の情報を伝えていただいたことや、このブログなどをご覧いただいて信用していただけたので、そのように言っていただけたのだと思っている。

そのおかげで、あらかじめ決められているカリキュラムについても私の判断で実施しないことの承諾もいただき、運用や言葉づかいなどについても任せていただけることになっている。

だが、これはうきうきしていられるようなことではない。

任せていただいている、ということは、当然ながらうまくいかなかった場合の責任は私にあるということである。
カリキュラムのせいにも、研修会社のサポートのせいにもできない。
問題が発生した場合には、当然のように、私が責められるだろう。

任せていただいたことで、大きな責任を負うことになるのだ。

だが、責任が大きくなるからやりたくない、ということではない。

責任が大きくなることが分かっていても、やはりさまざまな工夫ができること、期待に応えようと努力することが楽しくてしかたない。

そんなことを考えながら4日ほど研修を進めて、5日目に、クライアントの担当の方と改めてお話をさせていただく事ができた。

その中で「技術研修に座学が必要なのか」という点に関して、「こんなことをしてみたいんですけど」と話してみたところ、「当社の社員で自由に試してみてください」と言っていただけた。

心が震える思いである。

その後には「うまくいかなかったら、ちゃんとリカバーしてくださいね」と笑いながら言われたが、当たりまえのことである。

そこまで含み、受講生によりよい成果を出してもらえるように、工夫を重ねていきたい。

当然責任は私にある。
恐くないと言えば嘘になるが、挑戦には不安がつきものである。

私の判断は「GO」である。
そうでなければ始めない。

おそらく「NO」と言っているのは、私の中の「常識」なのだろう。
それと戦い、少し殻をやぶって進歩することができるように、あと1ヶ月と少し、戦い続けることとしよう。

Takanori

技術と知識の可能性

先のブログで、コミュニケーションシートを取得するための仕組みを作った、という話を書いた。

その仕組みを作るのに、PHP、SQL、VBAなどという技術(というかプログラミング言語など)を利用した。

もし、私がこれらに対する知識を持っていなければ、不安を抱えたまま、それを軽くすることもできずに、言われたままの作業をすることになったのだろう。
だが、知識があれば自分で動くことができる。

これが知識、技術の力だろうと思う。

知識、技術は間違いなく自分の可能性を広げてくれる。
知識、技術の量が多ければ、それに応じて自分の可能性も大きくなっていく。

広く深くが理想であるが、なかなか1つのことを深く学ぶのも難しい事で、どうしても時間がかかる。

だから、自分に使える時間をいっぱい使って、知識と技術を身につけていきたい。
この知識と技術はIT技術に限ったことではない。
幅広く、より多くのことを知り、マスターすることで、自分の可能性が広がっていくはずなのだ。

時間を上手に使えるようになりたい。
そして、時間がもっと欲しい、と思う。

Takanori

コミュニケーションシートを間違いなく運用したい

私の研修ではコミュニケーションシートという日報を必ず書いてもらうようにしている。

私が主催する研修では、項目を簡略化していているが、自由記述形式の部分は必須である。

どのような目的に使っているかというと、まずは、研修自体がどのように受け取られているか、というののモニタリングである。
私が「うまくいった」と思えても、実際には苦情が出ていたりすることもあり、それを見ることが1つである。

もう一つは、受講者との、文字通りコミュニケーションのためである。
研修では講師が1人であるのに対して、受講生が複数なので、どうしても会話で1対1のコミュニケーションをするのが難しい。
そのため、コミュニケーションシートとその対応を通して、メッセージのやりとりをし、1対1のコミュニケーションを維持するのである。

特に、新入社員研修などでは、心理的な不安などへの対処も重要な要素であり、コミュニケーションシートによるコミュニケーションシートは欠かせないものである。

なので、日々の研修が終わった際に書かれるコミュニケーションシートを速やかに入手できるのはとても重要で、帰りの電車の中で読みながら翌日の対応を考えたりし、場合によっては2時ごろまで、対応するための調べ物をしたり資料を作ったりすることもある。

今年の研修ではそのあたりに不安があり、コミュニケーションシートを確実に手に入れるための仕組み作りをすることになってしまった。
だが、システム化されているところに割り込んでデータを取り出すために、どうしても不安要素が残る。
中途半端な自動化はくせ者である。

さて、あと数時間で今年の新人研修が始まる。
初日をきちんと乗り切って、来月末までの研修のペースを作ってしまいたいと思う。

Takanori

必要とされる研修を目指して

私の講師の仕事では、今のところ、出資元が助成金や補助金というものが多い。

これは悲しいことであるが、助成金があるのにわざわざ自前で費用を負担しない企業も多く、助成金がじゃぶじゃぶあるうちは、足を抜けないかもしれない。

質がいいから、ではなく、安いから、という理由で存在する研修しかできないことは、講師としては歯がゆいし悔しい。

受講する側から見ても、助成金や補助金での研修では「とりあえず参加してみる」というような感じの受講者や、企業が多いような気がする。
そして、良い研修、良い講師に当たれば「ラッキー」である。
つまり、最初から期待していないのだ。

質が伴わなくても、助成金があることで仕事をする、という状況では、助成金で守られ競争力を失っている稲作農家と変わらない。

だが、そのような研修の講師を行っていると「思っていたのと違った(良い意味で)」や「参加して良かった」という声をいただくことがある。
研修として期待されていないのは悲しいが、参加して良かったと思ってもらえる研修ができたのは良かったと思える。
本当は研修に期待して参加していただけて、「もっとこんなのはできないのか!」ぐらい言われる方がいいのであろうが、現状ではそうでない研修が多いのは、業界全体として良い研修を提供できていないからだろうと思う。

助成金などなくても受講したいと言ってもらえるように、助成金で甘やかされることなく努力を続けなければならない。

「苦しかったけど楽しかった。」

これが私の研修における、最高の褒め言葉だと思っている。
この言葉をいつまでもいただけるように頑張りたい。

Takanori

講師の役割

研修に講師は必要である。
講師がいなければ、ただの受講生による勉強会になってしまう。

講師が必要ならば、講師の役割があるはずである。
研修で果たすべき講師の役割とはなんであろうか。

おそらく、普通はこんな疑問はもたないだろう。
研修に講師がいて、講師が教えることは当たり前のことだ、と普通は思うだろうから。

でも、ほんとうに「当たり前」なのだろうか。

自ら学ぶことは自主的な行動である。
教えてもらうことは自主的な行動ではない。

どちらがより効率的な学びにつながるか、と言えば、自ら学ぶことであるに違いない。

講師が教えること、そして、受講生が受け身でそれを受け取ること、これは受講生の自主的な行動ではない。
受講生が学びたいと思い、講師からそれを引き出したり、自分で考えて作り上げていくことは、自主的な行動だろう。

私は、自主的な学びを引き出していくことが講師の仕事だと思っている。

受講生自身が疑問を持ち、発見を喜び、学びたい気持ちを持つ。

学んでもらいたいことに対して、学びたいと感じられる環境を作り上げるのが講師の最大の役割なのだ。

講師によりある程度コントロールされる活気のある自主的な勉強会、というのが今のところの私の理想である。