Archive for 2013年3月11日

Takanori

ブランドになりたい

前回、一流のバイオリニストが駅で素性を明かさず演奏した実験について書いた。

その記事を書きながら、ブランドとはなんだろう、と考えてみた。

ブランドの価値というのはいくつかあるだろう。
ここでは2つの価値について考えてみたい。

一つは、他人が認めている、ということである。

全てとは言わないが「他人が認めているから」というのが価値であって、「このブランドの商品はいいから」というのは後回し、というのはよくあることではないだろうか。
もちろん「このブランドの製品は質がいいから」という理由で選んでいる人も知っている。
だから、すべてが「他人が認めているから」「みんながいいと言うから」である、とは言えないだろうが、そういう傾向が強いことは、先の実験でも実証されているのではなかろうか。

そして、その「他人の評価」に高い値段がつく。

次に、他人が認めている、という安心感がある。

先の実験の演奏家の1枚1万円もするチケットが飛ぶように売れるのは、この安心感があるからだろう。
数十万円のバッグなども、安心感がなければ買えないだろう。

研修の仕事にもブランドがある。

大手の研修会社の費用と私の研修の費用を比べれば、私の研修の費用は安い。
質、という面でも、大手と比べて遜色はないと思っているし、実際に「今までで一番よかった」と言ってもらえることも珍しくはないので、完全なうぬぼれでもないだろう。

だが、営業的にはなかなか厳しい。

たとえ質がよかったとしても、私にはブランド力がないのだ。
比べるのはおこがましいが、駅で演奏する奏者と同じである。
よいものを提供することができても、誰も目に留めてくれない。

正直、ブランド力があれば、もっと仕事ができるかも、と思うし、ブランドになれればうれしい。

大手の研修が選ばれるのには「大手だから」という安心感も大きな理由だろう。

研修という商品では、実施前に見せられるものが少ない。
事前に実際の「商品」を見せることもむずかしい。
大手では、固定されたカリキュラムとその実績があることが、安心感につながっていくのだろう。

私が「研修に対する安心感」を提供することも難しい。
もしできるとしたら、さまざまな受講者の感想をご覧いただくか、実際に体験していただくしかない。

特に私のように受講者に最適なものを、と考えてオーダーメード制で研修をしていたら、大手の研修会社と同様の、固定のカリキュラムとその実績というのは作りようがない。

もしできるとしたら、私の作るカリキュラムとその実施は、常に楽しく、効果がある、という経験をしていただくしかない。
そして、それを感想としていただき続けるしかないのだろう。

私も私の研修も、今はブランドではない。
私がいくら「いい研修をしますよ」と言っても、実施前には、それを誰も担保できない。

これから先も、私と私の研修がブランドになれるかどうか分からない。
研修に対する安心感を提供し続け、多くの人から認められなければ、ブランドにはなれないのだ。

今は、可能な限り質の高い研修を実施し続け、実績を積み、安心感を提供できるブランドになるように努力と継続をするしかないのだろう。

そしていつの日か、テクノセンスの研修、長谷川講師の研修、というブランドができあがることを祈りつつ、今できることを精一杯続けていこう。

Takanori

価値は誰のもの?

先日、FaceBookでシェアさせていただいたのだが、一流のバイオリニストが駅で素性を明かさず演奏したらどうなるのか、という実験があったそうである。

結果として、3歳の子どもがもっとも興味を示し、それ以外のラッシュ時の客はほとんど立ち止まりもしなかったようである。

その演奏は、音楽としては間違いなく価値があるだろう。
同じ奏者のコンサートのチケットは、一枚1万円もするが、すぐに売り切れるのだから。

この実験は、恐いほど「多くの人が価値を自分で判断していない」という事実を突きつけているように思える。

私も考えてみたら同じようなことをしていることに気付いた。

パソコンを選ぶときなどにも、ものを実際に見ることもするが、ブランドの影響力も大きい。
最初からメーカーによって選別していることもある。

また、有名なレビュアーのレビューも参考にする。
それもまた自分の評価ではない。

このように、私も、ものの価値を判断するときに人の判断や基準を、頼りにしている。
これは音楽や文学、その他の形のないものについて同じである。

他人の価値観をそのまま受け入れるだけでは、いつまでたっても、自分の価値観を確立できないのではないか、と思うが、どこからどこまでが他人の価値観で、どこからが自分の価値観なのか、判断が難しい場合もあるだろう。

全てを自分の価値観で判断することは、なかなか難しいことなのだろう。
例えば、先の実験で、「一流の」と書いたが、これも「一流だからよい演奏のはずだ」というように思ってしまった。
しかし、本当にそうであるかどうかは分からない。
実際に演奏を聴いたわけではないのだから。

だから、「よい演奏のはずだ」と思ってしまった時点で、他人の価値観をそのまま受け入れてしまっていることになる。
実際の演奏を聴いてもいないのに、だ。

自分の価値観で判断できるようにするためには、自分で判断することを繰り返していかなければならないのだろう。
だが、自分の知らない価値に気付くためには、他の人の意見を謙虚に受け入れることも有効である。

やはり、なかなか難しい事らしい。

できることは、問いかけ続けることだけなのかもしれない。

「私は、どう感じたのか?」
「私は、どう判断したのか?」

自問し続けることが、自分の価値観を確立していくことにつながるのだろう。