Archive for 2013年3月31日

Takanori

繰り返し

ブログを書いていると、前にもこんなことを書いたような気がするなぁ、という時がたまにある。

コーチングの基本的な考え方などは何度も書いている気がするし、プロジェクターの使い方なんてのも何回か書いた気がする。

毎日いくつも書いていればネタも尽きるので、ある程度は仕方ないだろうと思って書いている。
たまには日記風に書けば多少はネタも増えるだろうが、晩飯のおかずをこのブログに書くのも、何となく違うような気がする。

そんなこんなで「繰り返し」をすることになるのだが、講師をしているとこの「繰り返し」を強く意識することになる。

研修というのは繰り返すことが多い。

例えば新入社員研修であれば毎年あるし、講師講習でも相手に合わせて変更するとはいえ、同じようなことを繰り返すことになる。
場合によってはある期間、毎日同じ事を繰り返すこともある。

プログラムを書く仕事をしているときには、このような繰り返しは基本的にない。
もちろん、小さな部分の繰り返しはいくらでもあるのだが、システム全体を繰り返すことはあり得ない。

なので、講師をして「同じ事を繰り返す」というのが何となく不思議な感じがしたものである。
最初は、繰り返すこと、というのが少々退屈な気がしたのも確かである。

だが、ラグビースクールでのコーチングに取り組む中で、繰り返すことの大切さと意味が分かってきた。

まずは、コーチングを受ける人は毎回違うのであるから、微調整はあったとしても、基本的には同じ事を繰り返すことになるのは当たり前なのだ。
また、同じ人が相手であっても、習熟するためには基本的に同じ事を繰り返すことが必要になることもある。

つまり、コーチングをベースにした研修で、相手に対してカスタマイズするのが前提だとしても、繰り返しをきちんと行うことは必然なのだ。

そして、毎回きちんと成果が出せるように、同じ事をきちんと繰り返せることが講師のスキルの一つであるのだ。

だが、ただ繰り返すだけではいけないのも、また確かなのだ。

研修やコーチングをしたときに100%だ、と思えることはない。
であれば、100%を目指すために努力をすることになる。
その努力は、メニューの修正や、実施方法の変更としてあらわれることになる。

つまり、より良いものを提供できるようになろうとすれば、全く同じ事を繰り返すことはない。
きちんと改善を行い、少しずつであっても、変化が織り込まれていることになる。

繰り返しと変化を積み重ねていくことが、コーチとして、講師としてのあるべき姿だと、今は考えている。

クライアントの要望に応えられる研修を考えて作り出し、それを繰り返す中で工夫を重ねてより良いものにする努力を続ける事。

繰り返しは退屈なものではない。
繰り返しこそが、より良いものを目指すための手段であり、講師のプロとなるのに必要なことなのだ。

そして、これがこれからも私が目指す生き方でなければならない。

だが、ブログは出来るだけかぶらないネタで書けるよう、頑張ろう。
毎日同じ事しか書けないのならば、それはbotと変わらないのだから。

Takanori

セブンス ラグビー

7人制ラグビー、というものがある。
2016年のリオデジャネイロ五輪で正式種目となっているのでご存じの方もおられるであろう。

1チーム7人で戦うラグビーである。
いくつかのルールの違いはあるのだが、基本的に15人制ラグビーと同じグラウンドの広さ、同じルールで実施される。
プレイ時間は7分ハーフ(合計14分)という15人制の40分ハーフから比べるとずっと短いのだが、それだけハードな競技であるということである。

サッカーと同様のグラウンドを端から端まで走り回り、ダッシュもし、力が入るスクラムやモールもモールもあり、瞬間的に全身に力が入るタックルなどのコンタクトプレーもある。

例えれば、7分間、断続的に800m走をしながら、50m走をおりまぜ、ところどころで相撲をしている、というような感じであろうか。

7分ハーフであっても、その運動強度はむちゃくちゃなものがある。

それに加えて、ずっと考えながら、声を出してコミュニケーションをし、スペースを探してスペースの使い方を考え続け、精度の求められるパスを投げ、キャッチを行う。

この種目で活躍する選手は、ほんとうにすごい。

そのセブンスの大会が東京で開催されている。
それを見ながら、いろいろ考えてみた。

さまざまな要素があるのだが、特に日本のゲームを見ていて考えたことを少し書いてみたいと思う。

● 個のディフェンス力
7人制では15人制とちがって、人口密度が低い。
そのため、抜かれた際にフォローディフェンスに別の選手が入れる確率が低くなる。
つまり、自分の責任できちんとディフェンスを行う必要性が、15人制にくらべてずっと高い。
ディフェンスにおいて、ボールを押さえてパスを防ぎ、ボールを奪うために相手を倒す。
このディフェンスの精度をどれだけ高く、また強くできるか、というのは勝敗に大きく影響するが、そこが日本はまだ弱いと感じた。
体格の問題もあるが、なんとかしていかないと強いチームに勝つのは難しいだろう。

● ハンドリング
タックルを受けた際に、どれだけきちんとボールを放すことができるか、というのは継続に影響する。
相手のディフェンスもぎりぎりなので、効果的な継続ができることで、有利になる。
タックルを受けた瞬間もそうであるし、受ける前もそうであるし、パスを投げる場所、その精度なども含めて、ハンドリングスキルを身につけることが有利になるだろう。
片手でボールをハンドリングするスキル、両手でハンドリングするスキル、共に必要である。

● フィットネス
とにかく運動強度がむちゃくちゃな競技なので、とにかくフィットネスは重要である。
筋力、筋持久力、持久力が全て求められる。
それもぎりぎりで間に合うようなものではなく、余裕がなければ、判断にもプレイの選択肢にも影響するだろう。
このフィットネスがないと、後半の最後にぼろぼろになったりする。

すべて15人制のラグビーでも求められる要素であるが、7人制ではそれぞれに求められるレベルが高くなる。

ラグビーの練習において7人制をターゲットにして練習することで、きっと15人制でも強くなることだろう。

中学生のラグビーは現在12人制であるが、15人制に戻そうという動きがあるそうである。

2019年のワールドカップに向けての動きなのかもしれないが、本当に強くしたいのであれば、15人制にするよりは人数を少なくして戦える選手を育てる方がずっと効果的だと思うのであるが、いかがのものだろうか。
個々の強さがチームの強さにつながっていくのだから。

もっとも、それ以前に、きちんとした指導者を育てることの方が大切かもしれないが・・・

Takanori

すき、きらい

研修において、講師が好き嫌いで受講生への対応に差をつけることは許されない。

これは、当たり前である。

だが、講師とて人間であり、素直にいうことを聞いてくれる人をかわいく感じたり、言葉の使い方が合わないと感じたりする。

そのような感情を持ちながら、すべての人に同じように接するのはかなり大変である。

仕事で、相性の悪い上司やクライアントがいた場合と同じようなものだろう。

とはいえ、最近ではあまり悩まないようになってきた。
理由は簡単で、みんなを好きになるからだ。

そんなことはあり得ない、と言われるかもしれないが、コツがある。

一人一人の良いところを一生懸命に探すのだ。
見つかったとたん、相手を好きになること、もしくは、嫌いな加減が和らぐこと、請け合いである。

もしも見つからなかったらどうするか。

簡単なことだ。
見つかるまで探し続ければいい。

Takanori

研修最初の20分

新人研修などの長期研修の初日、特に始まってから20分はとても大切である。

私自身も緊張するが、受講生も緊張して話を聴く態勢ができているのだから、それを有効に使うと、最初から研修に使える。

せっかくの緊張を、つまらない話を聞かせることでだらけさせてしまってはもったいない。

私は、最初にグランドルールを説明する。
グランドルールを説明することで、研修に取り組む姿勢や目的を明確にできる。

グランドルールというのは、トイレの使い方や、避難経路の説明ではない。

社会人最初の研修で、講師の最初の言葉がトイレの使い方だったら、どうしたって気が抜けてしまうだろう。
そんなものは、きちんと意識ができたあとにゆっくりと伝えればよい。

私の設定するグランドルールは、二つある。

一つは、研修期間を通して考えることをやめないこと。

もう一つは、質問は内容にかかわらず常に受け付けること。

これだけである。
これだけを、できるだけ印象に残るように伝える。

きちんと伝わると、これだけで意識が変わり、目標を設定する受講生が出てくる。

講師の自己紹介も必要最小限でよい。
受講生の誰も、私の星座や血液型を知りたいと思ってはいないだろう。

最初の20分で受講生とつながれてしまえば、進行が楽になるし、研修の効率も上がる。

私の研修は、この20分を大切にするところから始まる。

Takanori

研修時間を延長する

通常、研修において時間の延長は「御法度」なことが多い。

アンケートなどを記入してもらうのに10分程度の延長はあったりもするが、通常はそれも研修時間内に含めるべく運営を行う。
企業の研修などでは、時間外労働の問題があるし、一般参加の場合には晩ご飯の支度に、なんて場合もある。
子どもを保育園に迎えに、なんていうのも、時間を延長できない理由であったりする。

そうなると、例えば、9:00~17:00までの7時間が研修時間、などとなるのだが、内容によっては、7時間では短いなぁ、と思う時がある。

そんなときのためにとっておきの方法がある。

ただし、その方法が使えるための条件が2つある。

一つは、モチベーションが十分に高まっていること。
もう一つは、考える要素が、項目として少ないこと、である。

条件を満たしていれば使えるその方法とは、簡単に言えば、日をまたいで課題を設定することである。

考えてもらいたい内容を含む課題を、一日の最後に持ってきて、2時間必要なところを1時間半だけ実施して翌日に残りの30分もしくは少し延長して1時間を行うのだ。

そうすると、1日が終わっても、終わってない課題が気になり、どうすれば良いか、ついつい考えてしまう。
研修時間外にも課題を考える、ということになり、実質的に研修時間を延ばしたのと同じ事になる。

もちろん、全ての人が考えてくれるわけではないだろうし、研修時間内と同じ密度は期待できない。
だが、家に帰ってまでも考えている人がいる、というのは、全体に対してもとても良い刺激になるし、影響を受けて課題の成果も良いものになる可能性が高い。

このようにして時間を「実質的に」延長することは可能なのであるが、その課題に対してのモチベーションがなければ不可能であるし、複雑すぎて考えあぐねるような問題では、気力も続かないであろう。
だから、条件が必要になるのだが、条件さえそろっていれば、かなり有効な方法である。

だが、実を言えば、もう一つ、もっと簡単に研修時間を延ばす方法がある。

それは特に課題を設定する必要もなく、ただ、ただ、成長したい、と強く思ってもらうことである。

成長したい、と思っている人は、何も言わなくても、家に帰ってから課題を見つけ、自主的に学んできてくれる。
そうなれば、実質の研修時間は2倍にも3倍にもなるに違いないし、成長もその努力に見合ったものが期待できる。

多くの受講生に強いモチベーションを持ってもらえるような研修。

そんな研修を常に目指したい。

Takanori

Dチームという修行の場

私は今年の4月から、ラグビースクールでDチーム担当、ということになった。

Dチーム、というのは、未就学児のことで2歳から5、6歳までが所属するチームである。

チームとは言っても、交流会で試合が組まれることはあまりなく、ラグビーを教えるよりも、どうやって積極性などを引き出し、巧緻性などの年齢に応じた運動スキルを身につけさせるかが課題になる。

ラグビースクール関係者の間では、Cチーム(小学校低学年)のコーチはむずかしい、彼らには日本語が通じない、というのが共通の認識になっている。
Cチームのコーチが務まれば、B(中学年)、A(高学年)、中学生のコーチをすることは恐くない。

なぜ、Dチームではないのか、といえば、Dチームがないスクールも多いからであり、CよりもDのほうがさらに難しいのは想像に難くない。

そんなDチームの担当である。

これまで私は中学生の担当であった。
大人の言葉を使うことができ、一番楽をできるところであったのだが、今年はそれがDチームである。

実際のところ、DチームでもCチームでも言葉は通じる。
ただし、通じる言葉を使えれば、彼らの言葉を聞くことができれば、である。

そして、コーチングの基本である、やる気にさせること、ができれば、CチームでもDチームでも楽しんで取り組んでくれ、成長していってくれる。

それは分かっている。

難しいのは、育てたいスキルを考えて、それに対して楽しんで取り組んでくれる練習メニューを考えて、彼らの理解できる言葉で話し、彼らの言葉を聞き、実施すること、である。

言葉でごまかしたりできない分、我慢してもらえない分、コーチングのスキルがもろに出る。

そんなDチームを相手に、今年1年はコーチングの修行である。

新人研修でも新しい分野の担当になり、ラグビーのコーチでも新しい挑戦が始まる。

今年は、その他の事も含めて、挑戦、挑戦、挑戦、の1年になりそうである。

Takanori

技術系新人研修におけるグループワーク

当ブログへのアクセス記録を調べていたら、「グループワーク 新人研修」などというものがあった。
そこで、今回は、私がさまざまな研修において実施したことのあるグループワークをいくつか紹介したい。

まずは技術研修系。

「コンピュータはどこにある?」
導入としてよく使うグループワークである。
誰でも知っていることから始めるので話しやすく、グループワークの入門に適している。

「コンピュータは何をしている?」
どこにある?に続く流れとして実施することが多い。
少しずつ技術的な要素を加えていくのに便利。

「手順を考える」
歯磨きの手順を日本語で記述する。
といったところから、始めて、フローチャートで複雑な手順を書けるようにする。
基本的に個人ワークであるが、検証作業をグループワークにすると、効率も上がるし、盛り上がる。

「CPUごっこ」
CPUの内部動作を人間によりシミュレートする。
3×5などの簡単な処理手順を考えることで、説明で理解してもらうよりはるかに早く本質の理解につながる。
他の技術の理解にも役立つので、一粒で何度でも美味しい。

「設計書作成」
設計書のフォーマットを見せずに、設計書を書いてみる。
その設計書に基づいてプログラムを書くことにより、不備に気づき、正しい設計書に必要な要素と表現方法を見つける。
設計書を他のグループでコーディングするなど、レベルに応じてバリエーションを持たせることができる。
チーム作業スキルを鍛えるのにも適している。

「チームでプログラムを作成する」
スキルに比べて規模の大きいプログラムを短い時間でグループで作成する。
チーム作業にすることによりプレッシャーが高くなり、集中力が高くなる。

次にヒューマンスキル系。

「学生と社会人」
コスト意識を持たせたり、研修に臨む気持ちを作るのに役立つ。

「雨が降ったらどうなる?」
ブレインストーミングの導入として実施している。

「良いリーダーとは?」
チームの中での全員の参加意識を高めるのに有効である。
グループからリーダーを抜いて実施するとより効果的である。

「コミニュケーションとは?」
負荷のかかるグループワークがこなせなくなってきた頃に実施する。
チーム作業に必要なコミニュケーションスキルに気づける。

「講師の悪いところ、良いところ」
グループ内で感情的な対立が見られるようになってきた頃に実施する。
嫌いな人とも折り合いをつけながら、仕事をする必要があることを伝えるのに利用する。

「ゴールデンウイーク前に苦しかったこと、楽しかったこと」
二つのグループワークを連続して実施し、長期休暇の影響を速やかに取り除く。

挙げたもの以外にも「文章を暗誦させる」など伝える話し方の練習をするもの、「最低の○○を考える」などブレインストーミングの威力を実感できるものなどもあり、状況を見ながら必要なグループワークを適宜、織り込んでいくことになる。

ここに紹介したのは、私が実施して明確な効果があったと判断したものばかりであるが、導入や実施時の意識などが違えば、結果もことなってくるだろう。
設定する時間によっても意味が変わってきたりもするので、実施においては適切な時間を設定してもらいたい。
受講生の力で、2時間だと思えば1時間半を設定するように、少し短めにしておくことがこつである。

ただやらせればいい、というものではないことを理解していただいた上で、ご活用いただければ幸いである。

Takanori

教えたがり病

講師というのは、たいていが、教えたがり病と、自慢したい病に罹患していると思っている。

先生と呼ばれる状況や、教えなければ、というプレッシャー、受講生とのスキル格差などがあるので、比較的簡単に罹患し、発症する。

技術研修で、質問があるとニンマリし、受講生のプログラムに手をいれ「ほら、こうすれば動くよ。」と自慢げにやる。
重症である。

発症すると、とても気持ちよくなってしまうために、発症に気づかないこともよくあるし、そもそも、その存在自体があまり知られていない。

そして、発症を簡単にふせぐ特効薬はない。

だが、教えないで教える、を実現しようとすれば、これらの病は邪魔ものでしかない。

これらの病には、特効薬はないが、対症療法はある。

例えば、プログラムの書き方を教える研修では、受講生の書いているプログラムを見ないことで発症を防げる。
プログラムを見ずに、質問で疑問を聞き出していくのだ。
受講生が質問に答える中で、自然に考え、問題を発見してくれたりする。
そこで引き下がれば、教えすぎることはなく、病の発症を防ぐことができる。

質問は、技術研修以外にも有効な手段である。
オープンクエスチョンとクローズクエスチョンの特徴を理解し、答えをきちんと受け入れることができれば、多くの問題を質問により解決できる。

このように、直接答えを渡せないように、自分を縛るのが、対症療法として有効である。

では、治療法はないのか?

特効薬はないが、治療法はある。

一にも二にも、正しいコーチングが出来るように訓練し、受講生を信じることができるような経験を重ねることである。

運動し身体を鍛えれば風邪にかかりづらくなるように、講師として鍛えることで、発症しにくくなるだろう。

感染は避けられないこれらの病。
私も間違いなく感染している。

もうすぐ始まる新人研修において、発症させないように気を抜かずに取り組んでこよう、と思っている。

Takanori

教えないで教える、は哲学か?

私は、教えないで教える、という考え方を、ラグビーのコーチングから学び、ラグビーのコーチングはもちろん、私が実施している各種の研修にもその考え方を適用している。

先日、講師仲間に「教えないで教える、というのは哲学的」と言われたので、そうではない、というのを少し書いてみたい。
哲学が科学か、という問題についてはいろいろな意見があるだろうが、もし「教えないで教える」というのが禅問答のようなものだと考えるのであれば、それは違う。
「教えないで教える」というのは、きちんと裏付けのある科学だ。

まず、教えないで教える、というのは2つの言葉が矛盾しているように見えるので、哲学的、という評価をもらってしまうのは仕方がないと思う。
なので、まずは2つを分けて考えてみたい。

一つは「教えない」である。

これは「1から10まで全て手取り足取り教える事はしない」というように考えれば良い。
もっと簡単に、答えを教える事はしない、と言ってもよい。

技術でもなんでも「こうやるんだよ」とやり方を教えてしまうと、それ以上の発展をしにくくなる。
また、それにより「答えを待つ」姿勢を生み出すことにもつながってしまう。

教えるのではなく、一生懸命考える中で気づきを得て成長してもらうことを目的とする。

だから、まず、やり方や答えを「教えない」。

もう一つは「教える」である。

物事を学ばせるのであるから「なにも教えない」というのはあり得ない。
こちらが学んでもらいたいことを意図しているのだから、それを教えなければならない。

だが、やり方や答えは「教えない」のであるから、どうすれば「教えられるか」を考えなければならない。

その方法は簡単である。

学びたくさせればよい。

学びたいと思い、そのための環境があれば、人は勝手に学んでいく。

つまり、学びたいという気持ちを育て、学べる環境を作ることが「教える」なのである。

まとめるとこんな感じだろう。

「やり方や答えを教えずに、学びたいというモチベーションを与えて気づきを待ち、そのための環境とチャンスを作ること」

これが「教えないで教える」の意訳である。

自ら学ぶことは、高いモチベーションにつながり、効率の良い学びにつながる。

このことを、脳科学者の茂木健一郎氏が「育ての極意」という形で番組にしているが、これはスキルコーチングで言われていたことを改めて言っている感じである。

「NHK 育ての極意」
http://www.nhk.or.jp/professional/2009/0331/index.html

自ら学ぶこととモチベーションの関係は、心理学でも、脳科学でも明らかにされている、とても科学的なことである。

「教えないで教える」は禅問答でもないし、哲学的な問題でもない。

科学的に手法が明らかにされている、とても実用的なスキルである。
学べば誰でもできるようになる、育てるためのスキルである。

ただ、印象的な言葉で表現しているに過ぎない。

Takanori

教育再生実行会議

教育再生実行会議、というのが内閣に設置されている。

「21世紀の日本にふさわしい教育体制を構築し、教育の再生を実行に移していくため、内閣の最重要課題の一つとして教育改革を推進する必要があります。」

というのが設置理由である。

その教育再生会議が出している提言に「いじめの問題等への対応について」というものがある。

内容的には「こうあるべき論」がたくさん書かれているものである。

曰く。
「学校は、いじめられている子に対して、組織的体制により継続的にケアを実施し、守り抜く。いじめている子に対しては、段階的・継続的に教育的な指導を行うなど、責任を果たす。教育委員会は、問題の解決が図られるよう、学校及び教職員を全面的に支援する。保護者は、子どもの様子を注意深く見て、的確に助言するとともに、問題の解決が図られるまで、責任を持って子どもを見守る。」。

曰く。
「教員や部活動指導者は、部活動において勝利至上主義に陥ることなく、子どもの生涯全体を視野に入れて、発達段階に応じた心身の成長を促すことに留意する。」

曰く。
「国及び教育委員会は、部活動指導者の養成や教員研修において、体罰の禁止とともに、コーチングや各種のメンタルトレーニングなど、体罰や不適切な指導によらない適切な指導方法を体得できるよう徹底する。」

言っていることはどれも正しい、と私も思う。

だが、大事なことが抜けている。

「How」がない。
どのように、というのがないのだ。

どのように、という実現方法を抜きにして、こうあるべき論だけでは、おそらく変わらない。

「部活動において勝利至上主義に陥ることなく、子どもの生涯全体を視野に入れて・・・」などというのは、コーチングの基本的な考え方であるが、スポーツの分野でもなかなか実現が難しい。

それを学校の先生や親などにどのように身につけてもらうのか。

コーチングの理論を知るだけではできるようにならない。
逆に、コーチングを知っている、ということから、より独善的になる可能性さえある。

どのように正しい「育ての理論」を学び「育てのスキル」を身につけるのか。
そして、それを継続的に学び続けていくのか。

「こうあるべき」だけでは社会は変わらない。
変えるためには「どのようにして」が必要なのだ。

変えていくためには、学校教育のあり方から変えていかなければならないだろう。
そして、何年も何十年もかかる変化になるはずだ。

まずは、大学の教育にコーチングの理論学習だけではなく、徹底した訓練を取り入れ、コーチングによる育て方を実現できる教師を育成する。
新規教師を育成すると共に、既存教師にもコーチングを学ぶ機会を作る。
コーチングについては、継続的に学べる体制を整える。
育てることに主眼を置いた教育に対する啓蒙を行い、教職員以外にもそれを学ぶ機会を作る。
覚える教育から、考える教育へ転換し、できる教育者であれば、学習指導要綱に頼らない教育を行えるようにする。
不適格な教員については、教育現場から外すことができるようにする。

こんなことを続ければ「こうあるべき論」が現実になるかもしれない。

「教育は国家百年の大計」である。
「こうすべき論」だけで終わるのではなく、ぜひ実現のための方策を考えてもらいたいものである。

何度も言うが、具体策のない「こうあるべき論」では意味がないのだ。