Archive for 2012年9月3日

Takanori

常識と戦う

私が所属しているのは、埼玉県三郷市で活動しているふくじゅ草ラグビースクールである。

その練習風景は、きっと他の種目をご存じの方から見れば、非常に「ゆるい」。
開始の挨拶があるわけでもなく、練習中の笑い声もあり、練習の締めもぐだぐだである。

実際にそれを見た保護者の方から「もっときちんとしてはどうか?」というご意見をいただくこともある。
スポーツを教えるスクールなのであるから、礼やけじめなどをしっかり教えたほうがいいのではないか、という意見である。

他の種目のスクールや、埼玉以外のラグビースクールなどでは、開始前にコーチの前に整列し「よろしくお願いします!」とやるところが多いのも知っている。

だが、コーチングの基本に立ち返れば、コーチというのはあくまでも選手と共に歩むものであり、コーチは権威ではないのである。

もちろん、子供の教育に際して「あいさつ」や「けじめ」が必要なのは間違いがない。
だが、それを権威を使って「挨拶しなさい」「きちんとしなさい」などとやるのは少し違うのではないかと思うのである。

あいさつはなんのためにするのだろうか?
あいさつはなぜするのだろうか?

なぜけじめをつけたほうがいいのだろうか?

これらの問いに答えるときに、
「それが常識だから」
「それが当たり前だから」
という答えになるのだったら、一度立ち止まって考えてみてもらいたい。

その常識は正しいのですか?
なぜ当たり前なのですか?

疑問は変化の種となる。
そして、変化があれば、常識もまた変わっていくのである。

日本のスポーツ指導は体育に影響され、その体育は昔の軍隊の養成に根があったりする。
その中で培われてきた「常識」を現在の子供の育成にそのまま当てはめてもよいのだろうか?

知れば知るほど疑問がわき、疑問について考える事で変化が現れ、さらに疑問が増える。

そのようにいろんな疑問について考え続けることで、あるときにすべての答えがつながり、全体がクリアになるという経験を私はしてきた。
もっとも、すぐに次の疑問がわいてくるのだが。

最初に自分の持っている常識に疑問を持つことができれば、多くの疑問について考えるときに自由度が増える。
そうすれば見えてくるものも増えるのではないだろうかと思う。

なぜ、こうなっているのだろうか?
なぜ、こうしているのだろうか?
なぜ・・・・・?

疑問がある方は、自分が正しいのだと思っていることについても疑問を持ち、一度常識と戦ってみてもらいたい。
きっと違う世界への窓がそこにあるだろう。

もちろん、私が持っている「これが正しい」というのも間違っているかもしれない。
だから私自身も、試し、検証し考える事を、ずっと続けていかなければならない。
自分で考えて作った常識さえも戦う対象にすることが、よりよい変化につながるはずであるし、なにより変化が起きなければそれは退化と同じことなのだから。

本稿では最初の疑問についての答えが書かれていない。
なぜ、ふくじゅ草の練習は「ゆるい」のだろうか。

ぜひ、考えてみてもらいたい。

Takanori

恵まれている仕事

先日、同じようにコーチングを利用してチームビルディングなどの業務を行っている方とお話をさせていただいた。
その方は1~3日程度の研修をされているということで、私のように2ヶ月から6ヶ月程度の長期の研修は実施されていないとのことであった。

それをうかがって、改めて、長期の研修でコーチングの威力を目の当たりにできる仕事ができていることを「恵まれているのだな」と感じることができた。

私も1日から3日程度の短期の研修を行うことがある。そのような研修では意識を変えてもらうことはできても、定着まで見届けることができないことがほとんどである。
しかし、2ヶ月もあれば、学んだことが行動として定着するところまで見届けることができる。
これは、教育事業に携わるものとしては、自分の仕事の成果を確認することができるということであり、さまざまなフィードバックをもらえることにもつながる。
このような仕事をしていられることは、とても恵まれているのだな、と感じることができるのだ。

コーチングとは待つことだ、と私は学んだ。

学んだが、仕事で研修などをしているとどうしても終了までに成果を求めたくなってしまう。
そのために、できるだけ効率のよい方法を模索することになるのだが、短期の研修では、すべてにおいて成果を上げる、というのが難しいことである。

待つことと、成果を望むことの狭間で悩むか、もしくは割り切ってしまうことになるのだろうが、長期の研修であれば、待てる時間が多くなる。
これも、理想とするコーチングを目指す中でとても有利なことであるのは間違いない。

これからも受講生の方とできるだけ長い時間絡むことができるような、待つことができ、成果を期待できるような研修を続けていきたいものである。