Archive for 2011年11月26日

Takanori

忘れることと慣れること

子供がやっているプレステ3のゲームをやってみた。

少し前の「デモンズソウル」というゲームで、久しぶりにやったのだが結構楽しめた。
このゲームは「アクションロールプレイングゲーム」と呼ばれるジャンルのもので、けっこうアクション要素が多く含まれている。
私は、以前はかなりゲームをやっており、腕のいいゲーマーではないが、アクションゲームもそれなりにやりこんだものがいくつかある。
なので、久しぶりのアクションゲームも何とかなるかと思っていたが、アクション要素に対する反応が、以前とは比べものにならないほど落ちているのに気付かされた。
回避するための要素があるので、ゲームの進行はできるのだが、衰えを感じさせられた。

で、ふと思い立って、さらに昔のグランツーリスモ4というプレステ2のゲームを引っ張り出してやってみた。

ドライブシミュレータに分類されるゲームであり、実車に近い操作感を持ち、このゲームでうまくなれば、実車の運転もうまくなる、というゲームである。
これは、当時はかなりやりこみ、鈴鹿サーキットなどはコースを細かく覚えていたはずなのであるが、久しぶりにやってみると、コースは忘れている、操作の細かな感覚も忘れている、など、思い出すのに少々時間がかかった。

あれだけやっていれば忘れていないだろう、と思っていたのだが、そうではないというのがよく分かった。

もちろん、しばらく触れていればいろんな記憶がよみがえってくるのだが、人間は続けていなければ忘れるものなのだ。

もう一つ、昔のゲームをやってみて気がついたことがある。

画面がとても荒いのだ。

以前は「きれいだなぁ」と思って見ていたゲーム画面であるが、プレステ3のハイビジョンの美しい画面を見慣れた後だと、だめである。
ハイビジョンの画面に慣れてしまったのだ。

ハイビジョンを見てしまうと、DVDも荒く見える。
プレステ3のゲームに慣れてしまうと、プレステ2のゲームは荒く見える。

よいものを使ってしまうと、見てしまうと、それに慣れ、戻れなくなる。
そんなことを考えてしまった。

人は、新しいことに慣れ、いろんな事を忘れる。

当たり前の事だが、あらためて、それを意識した。

忘れてはいけないことも、忘れない方がいいことも、たくさんある。
忘れてもいいことも、慣れなければいけないことも、たくさんある。
そして、忘れたくないけど忘れてしまうことも、たくさんある。

久しぶりにゲームをやってみてそんなことを思った。

Takanori

気付くことと変わること

ここのところ、異業種交流会に何件か出席さていただき、多くの人と知り合うチャンスをいただいている。

さまざまな人と会い、話を伺い、気付かされることが多い。

その中で身に染みて感じさせられるのは「知っていてもできないことが多すぎる!」である。

例えば「話を聴く」であるが、まず聴くことがコミュニケーションの出発点である、と口が酸っぱくなるほど研修では言っているのにもかかわらず、人と会うときにはついつい話しすぎてしまう。
ある方から「余裕がないからではないか?」との指摘をいただいたが、その通りであるとしても、できていないことには違いがない。

IBMが、製品がすばらしいから大きくなったわけではなく、営業力で大きくなった会社だ、という話もよくするものであるが、営業的なスキルの低さにも気付かされる。

自社のホームページの技術的な不備も、これまで数も分からないほどホームページを作る仕事をしてきたのにも関わらず、である。

これらは「知っている」のだが「できないこと」「できていないこと」だ。

「知っている」が「できる」になって初めて私自身の成長、変化になる。
気付くだけではだめだ。
知っているだけではだめだ。
「できる」になるまで訓練が必要だ。

全てができるようになると思ってはいない。
だが、できるようになりたいと思えば、できるようになる努力をするしかないのだ。

まだまだやらなければならないことが多いことに改めて気付かされたのが、異業種交流会に出たことの、1つの大きな成果である。

井の中の蛙になってしまってはいけない。

Takanori

育てる研修の形

研修といえば、講師が話し、受講生がノートを書いて一日が終わる、というイメージが強いのではないだろうか。

そして、時々質問があり、講師が回答する。

実習が含まれる研修も、最近では多い。演習問題が時間を決めて出され、時間内にできなければ解答が配られて説明がなされる。ワークショップが実施されることもあるが、時間は例えば三分など短い。

このような研修では、本来の研修の道具の力を発揮できていない。

講師が話すこと。
これは必要である。
だが、長く話しすぎてはいないか?
3時間知らないことを話されたら、それを理解しながら覚えることは、ほぼ不可能だろう。
少なくとも私には無理である。

演習問題は、自分で解けて初めて意味を持つ。特に時間内で終わらない人にとってはそうである。
解答を配ることは、やり方にもよるが、考える機会とモチベーションを奪ってしまうに等しい。

ワークショップの3分でできたのは自己紹介だけだった、なんて笑い話もあるが、実際にどこまで話し合いができて、そこから何かを得られたか、が、重要である。

気づきを得て、学びの道具として使うワークショップには、やはり必要な時間がある。

考えさせて育てる研修には、これらの配慮が欠かせない。
それがないものにも、有効な研修はもちろんあるだろうが、育てる研修にはなっていない場合が多いのではないだろうか。

講師が長く話さないためには、的確に話をする必要があり、その準備もスキルも欠かせない。

演習問題がなかなかできない人を待つのには覚悟がいる。解答を配って、できたことにしてしまった方が楽である。

本当のワークショップからはさまざまなものが出てくる。何が出てくるか分からないものに対して、きちんと対応するためには、講師にも幅と深みが必要である。

さて、これまでのあなたの見た、受けた研修は、人を育てる研修だっただろうか?

考える力を育てる研修だっただろうか?